17

 外側は熱いのに体の芯から寒気がする。
 その感覚と肩の痛み、喉の渇きに耐えながら西川周平(男子15番)は森の中をひたすら歩いた。紺野美咲(女子8番)に肩口を撃たれてから半日以上経ち、既に体力は限界にきていた。

 周平はしばらく痛みによるショックで失神していたようだったが、果樹園に設置してあったスピーカーの音でようやく起きた。このとき第一回目、朝の放送である。朝日が夜露に反射して、緑色の果実がきらきらと輝いていた。その光景にぼんやり見入っていたが、体に感覚が戻った時に再び獣のような叫びをあげた。他のクラスメイトに見つかるかもしれないと思うことまでも頭が回らず、むしろプログラムの最中ということも忘れて痛みに体をよじった。そのまま転げまわっているうちに、どんと鈍い衝撃が体に伝わってきた。眼前に現れた水木宏治と常盤栄一の死体。ずっとすぐ隣で添い寝していたというのに、この時にようやく彼らの亡骸に気が付いた。周平の口から「ぎゃっ」と短い叫びが漏れ、一瞬痛みを忘れたように俊敏に身体が跳ねた。
 それらを目にした瞬間、恐怖と今までの記憶が一気に蘇ってきた。声を上げないように歯を食いしばり、無事な方の腕を曲げて口を覆った。喉の奥からはまだ叫び足りないような声が漏れ出ていたが、ぐっと顎に力を入れて耐えた。左の肩が猛烈に熱かった。熱を持った傷口を水で冷やそうと思ったが、デイパックの中にそれはない。宏治と栄一のデイパックの中にも、重要な物は全て残っていなかった。考えられるのは一つ。

 ──紺野が盗んで行ったんだな。

 思い出すと怒りに顔が歪む。
「クソ、あの女。今度会ったらただじゃおかねえ」
 肩まで捲っておいたブラウスを破くと、血はもう固まってはいるもののグロテスクな傷が顔を覗かせた。ゾッとして思わず自分でも目を背けてしまう。弾は肩の中に残っているらしく、少しでも動かすと酷く痛んだ。無事な方の右肩を回し、地図とコンパスを取り出す。

 もうだいぶ歩いたはずだ。もうじき、灯台に着く。

 灯台に身を隠すと同時に、建物の中に何か飲み物が残っているかもしれないと考えた。何せ今は丸腰だ。おまけにひどい怪我を負っている。傷の痛みが思考の邪魔をしてきて、周平の頭の中はとてもうるさかった。

 とにかく、隠れたい。休まなきゃ。傷を何とか。何か飲み物。なにか。なにか。なにか。

 目の前が少し明るく開け、コンクリートの地面が少し離れてはいてもはっきり見える。そしてそこには白い灯台がそびえ立っているのが見えた。周平は思わず走り出したい衝動に駆られたが、何処かで見たことがあるモノを見つけて足を止めた。はじめは前方の木が邪魔で良く見えなかったが、今ははっきりと見える。
 小さなカーキの制服に身を包んだ、青いボンボンの二つ結びが特徴的な女子。吉田桃子(女子20番)が歩いているのが目に留まった。肩に掛けているのは──大きな黒い水筒だろうか? 視力があまり良くない周平には分からなかった。しかし、周平はにやりと笑ったのだった。

 やっと水が手に入る。

 桃子は早歩きで灯台の入り口に辿り着くと、そっとドアを押した。首だけを中に入れて、どうやら中の安全を確認しているらしい。それからしばらくして中に姿を消した。笑いを噛み殺しながら周平は素早く茂みから飛び出した。

 ひんやりとする白い壁に手を添わせながら、先程桃子がしていたのと同じように中の様子を伺う。中からは微かな物音──恐らく桃子が荷物を広げているのだろう音が聞こえてくる。音をたてないようにドアノブを握る手を傾けると、わずかな隙間から内部の様子が見えた。無防備に背を向けている桃子は、デイパックから地図、パン、水の入ったボトル二本を取り出した。二本のうち一本はまだ手を付けていないらしく、そのフタは固く閉まっている。たっぷりと入れられた液体を目にすると、ごくりと自然に喉仏が動いた。

 吉田桃子。ちんちくりんのガキみたいなやつだ。
 紺野みたいな美人でもないし、手を出す気は起きねえ。だがおかげで水が楽に手に入りそうだし、うまくいけば当たり武器を持ってる可能性もある。しかも灯台の安全確認までしてもらえてラッキー。

 桃子はクラスでも体は一番小さく、体育も得意な方ではない。周平とは身長で約三十センチほど違うだろう。それ以前に男女の力の差もある。後ろからそっと近づいて首を絞めるか殴るかすれば一発だろう。周平は勝利を確信した。
 ドアの隙間から体を滑り込ませ、そこからは慎重に、すり足しながら桃子の背中に近づいて行く。何も知らない桃子は、片方のボンボンを髪から取るとラメの入った綺麗なクシを頭に運ぶ。クシが髪に入りゆったり上下に動き出した時、周平は桃子のすぐ後ろまできていた。
 緊張で冷たくなった両手を桃子の細い首筋に近づけて行くと、シャンプーの香りがそっと鼻をくすぐる。桃子がクシを置き、もう片方の髪を解いた。
 ばたんと背後で扉が大きな音を立てて閉まった。それを合図に、周平の手が桃子の首筋に食いついた。振り向こうとしたが叶わず、ただ桃子は声も出せずにその手をがりがりと引っ掻く。引っ掻かれた部分からは皮がむけて血がにじみ出たが、そんなことはどうでもよかった。周平の右肩の痛みは強くなっていたが、興奮でもはやそれどころではなかった。必死の抵抗も虚しく、桃子の首から上はうっ血して真っ赤になっていた。もう一息だと思われた時、不意に桃子は机に手をのばすと狂ったようにその木目を撫で回した。置いてあった黒いもの──周平が水筒だと思っていたものを掴むと力任せに振り上げた。周平の視界にその黒いものが一杯になり、がんと頭に衝撃が伝わる。突然両手を離され、桃子は床に崩れ落ちた。よろけて壁に肩をぶつけた周平は、蘇った傷の痛みに少しうめいた。
 むせながら、らせん状になっている階段の方へ這っていった桃子は、一瞬振り返った。
「……に、しかわ?」
 顔を真っ赤にして涎を流しながら、それでもしっかりと周平の苗字を口にした。桃子の充血した目と視線がぶつかる。周平の中で何かが弾けた。

 もう正体がバレたんだ、もう、何をしたって構わない。
 俺は、こいつを殺さなきゃならない。

 急に桃子の腕を捕らえようとした周平を振り切ると、階段を一気に駆け上がった。カンカンと鉄の階段にローファーを打ちつけながら、必死に手すりを先ヘ先へと手繰り寄せる。
「クソ、待ちやがれ!」
 すぐ下から迫る周平の足音に、桃子の体は微かに震え出した。

 どこかでこんな感じがしたことがある、と桃子は思った。確か夢の中、誰かに追い掛けられて逃げるのだけれど全然早く走れない。その感覚だった。
 体育だって苦手だったし、もっと運動しておくべきだったと今更ながら思った。二人の荒い呼吸が筒状になった建物の中で大きく膨れ上がって聴覚に迫る。一体今どれくらい周平と距離があるのか──怖くて怖くて、後ろを振り返って確認したかったが、そんなことをしてスピードを落として追いつかれてしまったらたまらない(桃子は体育のリレーの時、後ろを振り返るなとよく先生に怒られていたのだ)。

 ふいに頬に吹き付ける風に上を見やると、白い空がこちらにぽっかりと口を開けている。てっぺんだ。どこでもいいからとにかく逃れたかった。
 最後の二、三段をとばして灯台のてっぺんにようやく辿り着いた。広い海岸線から海原の遠くに浮かぶ大きな島が視界に飛び込んだ。後ろを振り返ると周平の姿はまだ見えない。しかし、足音は確実に大きくなってきている。
「ど、どうしよう……どうしよう、どうしよう」
 胸のあたりまでの高さの柵から下を見下ろすと、あまりの高さに思わず頭がくらりとする。飛び降りて逃げることは不可能だ。あとは戦うしか道は残されていない。まさかこんな大変なことに巻き込まれるとは思っていなかったが、桃子は肩からさげた重い黒いものをしっかり握りしめた。
 階段を巻き付かせるようにして立っている棒の影から、ついに周平が姿を現した。体の震えが再発して止まらなかったが、桃子は必死に歯を食いしばって立った。
「来ないで! お願いあっち行ってえ!」
 泣き叫ぶ桃子の表情を楽しむかのように笑うと、周平は一気に階段を駆け上がって来た。あと三メートル、二メートル。震えのせいか恐怖のせいか、指がその黒いものに力を込めた。
 ぱぱぱぱと物凄い音がして、同時に立っていられない程の振動で桃子の体は後ろに飛ばされた。暴れる黒いものを全身で押さえようとしたが、逆にその力に体ががくがくと揺さぶられる。そのたびに顔やら腕やら、体のあちこちに生暖かいモノを感じたがそれが何かは認識できなかった。力を抜くと、手からすり抜けるように余った力で跳ね上がって地面に落ちた。
「う……、何だったの」
 ぐらりと体を起こすと、周平の姿はそこになかった。かわりに白かったはずの灯台の壁は真っ赤に染まっている。それはごく近くにもあった。目の前のコンクリートから階段にかけて、赤い液で濡らされている。恐る恐るその下を覗くと、桃子は言葉を失った。
 周平が水筒だと思っていた黒いもの──実はイングラムM11だった──に全身穴だらけにされて吹き飛ばされた周平──それは周平とは似ても似つかないモノになっていはいたが──が無惨な姿で転がっていた。頭や顎の一部を欠いている顔の下で、灰色の細かいゼリーみたいな脳味噌が階段に奇妙な模様を描く。そして桃子の髪や腕にもそれは染み込んでいた。

 嘘、なんで、こんなことになるなんて。
 あたし、殺すつもりなんかなかったのに。
 なのに怖くて、とても怖くて引き金を引いてしまった。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。どうしたらいいの。

 よく分からないままこのゲームに放り込まれて、よく分からないまま友達がどんどん死んでいって、よく分からないまま殺されそうになった。
 そして、よく分からないままクラスメイトを殺してしまった。
「もう何が何だか、分からないよ……」
 桃子は延々と、子供のように大声を上げて泣きじゃくった。


【残り29人】

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