16

 消防署の中には微かに灯りが点っていた。その灯りを見つめながら、宮沢紀之(男子19番)は頬杖をついて考え事をしていた。べっ甲色のフレーム付き眼鏡の下、長い睫毛がゆっくり上下に動く。手元にはびっしりと文字が書かれた紙があった。特徴的な天然パーマの髪を指に絡ませ、ため息をひとつ吐く。考えに詰まった時に紀之がよくやる癖だ。
 メモ用紙と地図の下に埋もれていた名簿を引っ張り出した。残り三十人。放送から数時間が経過した今、さらに死者は増えているかもしれない。時間がない。その中ではたして、自分がなすべきことをやり遂げられるのか──紀之は頭を抱えた。もう十二人死んでいる。そのうちの何人かの死に際を、紀之は目の当たりにしてきた。

 紀之が分校を出たのは四番目だった。
 まず初めに考えたことは、相澤祐也をはじめ多くの者と同じように誰かと合流することだった。出発が早かったのは幸いだった。先に出た女子二名についてはあまり危険視していなかったし、不良グループの水木宏治(男子18番)はやや気になる存在ではあったが、いきなり単身で襲ってくることはないだろうと楽観視できた。おそらく、まずはみんな紀之と同じように様子見をするであろうと考えたのだ。
 出発地点の見える手頃な茂みに身を隠すと、とりあえずは幼馴染みで同じ化学部の木村貴久(男子7番)を待とうと考えた。他には、田中誠(男子12番)なんかも信用できる。
 女子だったら誰だろう。自分の前に出たはずの松本由佳(女子18番)、それと由佳と仲のいい菊池加奈子(女子5番)なんかは無難だ。加奈子は気は強いが正義感があってなかなか好印象だった記憶がある。
 考えをめぐらせていると言い争う声が聞こえてきたので少し茂みから頭を出した。
 説得を試みようとした相澤祐也が池田梨花に襲われていた。紀之はそっと自身の支給武器、ブローニングハイパワー九ミリに触れた。銃があれば梨花の包丁には対抗できる。祐也の武器は分からないが、この状況でいきなり紀之に襲い掛かってくるとは考えにくい。仲間にするのも悪く無いだろうと思い、仲裁に立ち上がろうとした時だった。突然の銃声と共に、反射的に紀之の体は地面に突っ伏した。恐る恐る茂みから覗くと、村田宏典が相澤祐也に銃を向けていた。助けるべきかどうか迷っているうちに、遠くの茂みから小柄な影(女子だったと思う)が飛び出して、相澤祐也と一緒に逃げて行った。
 一瞬の事で何が何だか分からなかったが、その先もきちんと見ていた。宏典は次々と出てきたクラスメイト達を襲ったが、魚住孝雄(男子2番)は宏典が見ていない隙を見計らって逃げて行った。宏典はしばらく転がった死体を眺めていたが、怖くなったのかそのまま何処かへ消えて行った。
 それから気を失って倒れていた池田梨花が起きあがり、遠藤和実を殺したのも見ていた。
 ”和実、あたしは間違ってないでしょう?”
 あまりの異常な光景に圧倒されながらも、紀之はじっと仲間を待った。

「おーい、ミヤ? きーてんの?」

 頭上でした貴久の声にはっと我に返った。幼い感じの優しい丸顔が紀之を見下ろしている。おかげで回想が途切れたが、それでよかったのかもしれない。思い出したくないことが多すぎた。せめて自分が仲間と合流できたことだけでも感謝しなければならない。
「ねえ、ミヤが言ってたとおり非常食けっこうあったよ!」
 貴久の興奮した様子に、紀之はにやりと笑った。
「だから言ったろ? こんな小さい島でも消防署の中には貯めこんでんだよ」
 抱きしめていた大きなビニール袋を机の上に乗せ、貴久が中身を一つ一つ見せてきた。乾パン、やきとり缶詰、レトルトカレー、スープ缶、ゼリー、レトルトごはん。支給の固いパンで満たされなかった食欲がぐっと湧き上がる。
「このまま食べてもいいけど、どうせならもっとウマくして食べたいよなあ?」
 紀之の目配せの意味に気付かず、貴久は眼鏡の中の丸い瞳をぱちくりさせた。指先は今にも缶詰のリングを引っ張り上げそうになっている。
「あっためるんだよ。ガスの缶探そうぜ。なかったらペットボトルかビニールに水入れて炙れば沸騰するだろ」
「それすっごい部活っぽい! ほんとにビニール破れないかな?」
「ビニールが燃えるより水の沸点が低いんだからいけるだろ」
 貴久の表情がぱっと明るくなった。消防署内にキッチンはあったが、電気とガスはもちろん止まっている。だが非常食と同様に、探せばガスの缶など見つかる可能性は高いだろう。
「それができたらさ、外の水も消毒して使えるよね? あったかいお湯で体拭きたいな」
「おまえ女子かよ」
 思わず吹き出してしまった。繊細でやや潔癖ぎみの貴久にとっては、この状況はきついに違いない。大量の湯を用意できるとなれば色々用途は広がる。笑顔になった紀之の顔をじっと見つめてから、貴久がぽつりとつぶやいた。
「ねえ、俺、不謹慎だけど今ほっとしてる」
 静かな声だった。
「またこんな風にミヤと楽しく、話ができてさ」
 改まって言われるのがなんだか照れくさくて、遮ろうと口を開きかけたが、貴久は少し声を強めて続けた。
「俺、こんなだし、一人じゃきっとすぐ殺されるんじゃないかなって、怖かったんだ。だから、殺さなきゃいけないのかなって、思ってたんだ」
 男子にしては小柄な体を抱きしめながら、貴久はその足元に視線を落とした。声が少し震えていた。争いが苦手で、体力があまりなく運動も苦手な貴久(運動に関しては紀之もあまり大差はないけれど)はプログラムで生き残れる確率は低いだろう。本人にもそれが分かっている。
 しばらく黙ってから、紀之をまっすぐに見た。
「だからミヤが待っててくれて本当に嬉しかった」
 泣き虫で、素直で、優しい。子どものころから変わらない貴久と一緒にいることで、紀之もまた救われていた。このゲームが始まった時、一人で行動することが頭をよぎった瞬間もあった。怖がりな貴久は、きっと誰かを殺したりはできないだろう。もし待たないでいて見捨ててしまったら、きっと一生後悔すると思った。
「何を言ってんだよ」
 手をのばし、照れ隠しに貴久の頭を小突いた。それを受けて貴久も笑顔に戻った。
「そういえば菊池たちがいないんだけど知らない?」
「ちょっとお使いを頼んだのさ。夜には帰ってくるだろ」
「おつかい? 三人とも?」
 紀之は曖昧に頷くと椅子に座り直し、なおも質問を続けようとする貴久を遮ってゆっくりとした口調で話しはじめた。
「ま、その話は後で。で、小学校の頃のこと覚えてるか? 二人で簡単な爆竹みたいの作ったろ?」
「あー、今考えたら俺らって危ないガキだったよな。でも何で急に? こんな時に思い出話って、なんか縁起悪いってば」
 貴久の苦笑いには反応せず、続けた。
「俺は今でもあれの作り方を覚えてる。これから一緒に作らないか? ただし、火薬はあの頃の数十倍だ」
 貴久が首をかしげた。
「武器ならあるでしょ? しかも強いヤツ。俺のなんてメスだもんなあ」
 机の上の紀之の支給武器、ブローニングハイパワー九ミリを持ち上げてみせた。無機質な光を放つそれは、貴久の手には不釣り合いな無骨さだった。
「戦う相手が違う。俺が言ってんのは、幸とかいうオカマ野郎と戦う武器を作ろうってことだ」
「どうやって攻撃するんだよ。あの分校にはもう近付けないんだよ?」
 紀之は黙ったまま机の上に置いてあったメモをめくり、そこに”分校”と大きく書いて丸で囲った。
「俺らが教室を出る前、渡瀬が撃たれただろ。奴らは銃器をたくさん持ってる。相手は兵隊つきだ。いくら俺らの武器をかき集めたところで勝てっこない。だから爆弾で吹き飛ばす」
 とんとん、と鉛筆の先で”分校”を叩く。あ、と口を丸く開くと、貴久は目を輝かせた。
「まさかお使いって……」
「そうだ。爆弾を作るための材料を探してもらってる」
「すっげえ! さすが化学オタク!」
「ほめてんのか? 喧嘩売ってんのか? お前もオタクだろーが」
 二人は小突きあって笑ったが、貴久は少し表情を曇らせた。
「ミヤ、あのさ、どうやって爆弾を投げ入れるんだ? 危なくないの?」
「だから、今それを考えてんだよ」
 その言葉で急に会話が途切れ、しんと嫌な空気が流れる。貴久は微かに溜め息をついたようだった。その気配に紀之はじろりと下から睨み上げた。優しくて穏やかだけれど、受け身で保身的すぎるのが貴久の悪いところだ。今だけでなく、そういうところにイライラさせられることが多々あったが──この幸せゲームの鉄則。感情的になったもん負けだ。
 貴久の態度にいささか腹が立ったが、敢えて感情には出さないように口を開いた。
「なあ、何で俺が仲間を集めたのか分かってるのか? 皆で野たれ死にするためじゃない、俺は皆で助かりたいんだ。それとも最後まで残ったら相撃ちするつもりなのか?」
 まっすぐに目を覗き込まれ、貴久は苦しそうに顔を歪ませた。
「ちがう、ちがうけど……」
「俺はお前のアタマを高く買ってるんだからさ、一緒に考えてくれないと困るからな」
 悪戯っぽく笑いながら、紀之は手を上に向けて差し出した。貴久はその手をぼんやりと見つめていたが、ようやく意味が分かると照れくさそうに叩いた。

「菊池達が帰ってきたら作戦をちゃんと練ろう。絶対、生きて帰ってやろうな」


【残り30人】

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