15

  住宅街の奥には商店街の跡があった。小さな島なので元からなのか、すべての店のシャッターはしっかりと降ろされている。錆びた自転車に引っかかっているビニール袋が、風で揺らいで微かな音をたてた。栗原みち(女子7番)は丸い目をくるっと回してそちらを一瞥したが、すぐに視線を前に戻した。店はみんな閉まっていたけれど、みちは何か役に立つものはないかと探していた。ついでに人も探していた。男子なら誰でも良かったのだけれど。
 須田清を殺して軍用ナイフを手に入れたのは良かったが、やはり銃が欲しかった。ナイフではかなり接近しないと戦うことができないため、小柄なみちには使い方が限られる。持っているだけでも相手を威圧できるもの──そして、多少距離があっても確実に仕留められる銃が欲しかった。
「まぶし」
 日差しを避けるように店の隙間に入り込んだ。こんな時でも日には焼けたくない女心だ。
 バッグから小さなハンドクリームを取り出し、細い指先に絞り出した。桃の絵がついた、日焼け止め効果も兼ねているハンドクリーム。遅れてふわりと鼻に桃の香りが届いた。

『みっちゃんに似合うと思って買ったんだ。おそろい、ね』

 同じグループの中野絵里(女子16番)が、回想の中でみちに向かってほほ笑んだ。
 ふんわりとした優しい笑顔、可愛らしい声。その全てにみちは──イライラした。

 三年になりたての頃、絵里と初めて会話をした。
 体育の授業の時、一人でいておどおどしていた絵里に、みちは気まぐれで話しかけた。男子も見ていたから優しい子だと思われた方が得かなと、それぐらいの理由だった。絵里はこのクラスに知り合いがおらず、一人ぼっちで困っていたようだった。みちが声をかけたことにとても感謝していて、その日から後をくっついてくるようになった。まさに拾った子犬のようにみちを慕い、素直についてくるので、はじめは連れていて悪い気はしなかった。「地味だしぼんやりしているけれど、顔はまあまあ可愛いからグループに入れてやってもいいかな」と思ったのを今でも覚えている。
 ところが、地味な絵里をちょっと弄ってやろうという気持ちでメイクや髪型のアドバイスをし始めた頃から変化が起こった。無理をして背伸びをしている姿をからかってやるつもりが、絵里はどんどん可愛くなっていった。そもそもの素材がとても良かったのもあり、今ではみちと並んでも引けを取らない。そして何より絵里は、元々の性格が良かった。見た目は可愛らしいが女子に嫌われているみちと、男女問わず好かれている絵里。二人の立場は徐々に逆転しつつあった。それでも絵里は驕ることなく、みちを慕い続けている。そこがまた、みちをイライラさせた。絵里にとってのみちは、仲間に入れてくれて、可愛くなるためのアドバイスまでしてくれた女神様らしい。どんなに八つ当たりをしても、絵里はただ困ったように優しく微笑むのだ。わざと似合わなさそうな服やメイクを勧めてやっても、みちの意図には気付かず「みっちゃんはやっぱりすごいなあ」といつも笑っていた。

 絵里なんて大嫌い。
 あんたといると、うまくいかないしろくなことない。
 だけど、今あたしを裏切らないでついてきてくれる女子はあんただけかも。

 珍しく弱気になってしまっている。おなかも空いてイライラしてきた。
 ハンドクリームをバッグにねじ込み、考えを振り切るように大げさに座り込んだ。
 スカートが引っ張られる感覚がして、”びいっ”と嫌な音が聞こえた。遅れて太ももに鋭い痛み。錆びて切れ切れになっていたフェンスから、太いワイヤーが伸びていた。みちの白い太ももにピンク色の筋が走り、そこから鮮血が滲み出た。
 叫びそうになるのを抑えて、みちはその場にうずくまった。

「いっ、たい……もうやだあ……」

 絞り出した声が震えた。

 いつも楽しくて、 学校でも外でも怖いものなんてなくて、キラキラしていた自分。
 今は汚い路地の隙間に隠れてうずくまるしかない、正反対の境遇にいる。
 心臓の鼓動に合わせて、傷もじわじわと痛んでくるような気がして歯を食いしばった。

 ずきん、ずきん、ざく、ざく。

 違和感を覚えて目を開く。いつの間にか足音が近づいてきていた。
 抱えた腕と膝の細い隙間の世界に一人の男子生徒が現れた。

 ──あたしはやっぱりツイてる。
 
 みちはぱっと顔を上げ、中腰になって後ずさった。店舗用の大きなゴミ箱の裏に身体を隠し、視界に現れた男子生徒をこっそり盗み見た。 田中誠(男子12番)は立ち止まり、きょろきょろ周囲を見渡している。こちらにはまだ気づいていないようだ。

 みちは田中誠について脳内にストックされている情報を取り出した。

 えー、田中君。確か宮沢紀之(男子19番)らへんの男子と仲良くしてたかな。背はそんなに高くないけど、須田なんかよりは全然好みなのよね。性格は、あんまりじっくり話したことないから分からないけど、まあ真面目君って感じに見える。でも、宮沢と似たような感じだったら困るんだよね。妙に鋭いんだよなあ、アイツ。一回おじさんと歩いてるとこ見られちゃってるし。田中君にもバラされてたらまずいんだけど。

 ──でも、証拠なんてない。
 目の前にいる怪我した可愛い女の子と、友達から聞いた噂話のどっちを信じるのかなあ。

 みちがゆっくりと腰を上げ、誠に向かって走ろうと足を出したが、その後ろから突然現れた二つの影に、動きをぴたりと止めた。
 誠から数メートル離れて菊池加奈子(女子5番)と、松本由佳(女子18番)が話ながらついてきていた。
「もうちょっとゆっくり歩けないわけ?」
「お前らこそ速く歩けないわけ? ミヤにおつかい頼まれてんだから急ぐぞ」
 そのうちだんだん話し声が遠ざかっていった。
 みちは小さく舌打ちすると、路地の隙間から這い出た。三人の姿は小さくなり、今まさに商店街を抜けたところだった。女子が二人も付いていたのでは作戦が実行できない。それに、みちは菊池加奈子が苦手だったのだ。何より、話の内容はよく分からなかったけれど、誠が口にした”ミヤ”という単語。これこそみちが最も苦手とする男、宮沢紀之の愛称なのだ。話ぶりからして一緒にいるのだろうと考えたので、やめることにした。

 ああ、もう、ムカツク!
 
 店の前の古びた自動販売機を蹴ると、がこんとあまり冴えない鈍い音がした。
 同時にすぐ近くでシャッターを開ける音がして、みちは再び店の間に身を潜めた。向かいの文房具屋らしき中から現れたのは近藤武正(男子8番)だった。

 武正はクラスの不良男子をまとめるボス的な存在で、短く切った髪を金髪に染めて立てているのが特徴的だ。
 いつもは威圧感を感じるその姿だが、みちのたてた音に怯えるように首だけを出して周囲をうかがう様子は雛鳥のようで、今はとても間抜けに見える。ゆっくりと時間をかけて這い出してきた腕には猟銃が握られていた。
 みちの瞳が再び輝いた。普通の女子ならば間違いなく武正には近づきたがらないが、みちは既に武正とは”お近づき”になっていたので、恐れることはなかった。むしろ、とても好都合な相手だった。

 近藤武正──コンちゃん(こう呼ぶのはあたしだけ)。見かけによらずけっこう奥手。同じグループのやつらの前では虚勢を張ってるけど、たぶん女子と付き合ったことないんじゃないかな。見た目で怖がられてるから女子は近づかないし、学校外で何かあった時守ってもらう保険のつもりで仲良くしてあげてたら、あっさりあたしのこと好きになっちゃったみたいで。はっきりは言ってこないけど遠まわしにアピールしてくるんだよね。可愛く気付かないフリしてあげてるけど。ここにきてこんなに役に立ってくれそうな人に会えるなんて! やっぱ、あたし、ついてる!

 すぐに武正に走り寄ろうと思ったが、先ほどひっかけたスカートを深く破き、そしてブラウスをはだけさせた。そして顔をくしゃっと歪めると、目からぽろぽろと得意の涙がこぼれた。
 準備は整った。
「コンちゃん!」
 武正は一瞬びくっとして身体をこわばらせたが、さらに目を大きくした。泣いている可愛い想い人が、胸元と太ももをはだけさせて走り寄ってくるのだ。みちは半ば放心状態にあった武正にすがりついて泣きはじめた。
「おまえどうしたってんだ?」
 動揺を隠しきれない武正の声が上ずっていた。
「須田に襲われそうになったの……コンちゃんはそんなことしないよね? あたしを守ってくれるよね?」
 先制で襲うな宣告。
 武正は一瞬困惑した表情を浮かべたが、言葉の意味を理解したのか、いつもの鋭い目つきでみちが走ってきた方角を睨みつけた。
「まじかよ須田、許さねえ」
「でもね、須田、さっき放送で呼ばれたでしょ? あたしを追いかけてくる途中で誰かに……」
 みちは大げさに顔を覆ってみせた。
「栗原のせいじゃねえ。つうか、天罰だろ。生きてたら俺が殺してやったのによ」
 うふっ、とみちの唇から笑いがこぼれてしまった。それを誤魔化すように嘘の嗚咽を漏らしながら、みちはぎゅっと武正に抱きついた。
「ここのエリア、危ないかもしれない」
「ん? なんで?」
「須田もそうだけど、さっきも誰か通ったでしょ? やる気になってる人に会ったら、怖いの」
 あたしとかね、と心の中で舌を出していたが、みちはまだ得意の泣き顔を作り続けていた。
「俺が守ってやるから平気だって! 少し移動するか?」
 みちは可愛く一回頷くと、先に歩き出した武正の肩に下がっている猟銃を見つめて微笑んだ。


【残り30人】

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