14

 すっかり紅葉しきった山道を中尾朝子(女子15番)はふらふらと下っていた。自らの荒い呼吸音を聞きながら、揺れる地面に視線を落とす。いまや朝子の特徴的な長いおさげの結び目は乱れ、いくつも毛束が飛び出していた。そこにとまってきた羽虫を機械的に払い、無表情のままうつむく。山の中を移動しているときにこういったことは幾度となくあった。最初のころは叫びそうな声を抑えてしゃがみこんだりしていたが、もうすっかり慣れてしまった。それよりなにより──そんな些細なことには構っていられないほど体調が悪かった。
 夜間は寒かったので上着を着たまま過ごしていたが、昼になると気温もあがってくる。それでも朝子は、怖かった。上着を脱いで白いシャツ姿になれば、森の中にいても目立つのではないかと恐れたのだ。風は涼しくなったとはいえ、先程から南中したばかりの太陽の下を移動していたために脱水の症状が出始めていた。日が出てからは歩いていると大粒の汗が顎を滴ったが、飲み水の量を減らすのをセーブするため、ろくに水を飲んでいなかった。恐怖と体調不良で視界がぐらぐらと揺れる。

 ああ、何でこんなことになっちゃったんだろう。

 普段はお調子者の朝子でさえ、今は額に玉のような汗を浮かべながら眉間にしわを寄せている。顔や制服についた泥は、先ほどふらついて転んだ時についたものだった。

「みんなどこにいるの……」

 仲が良かった桐ケ谷茜(女子6番)吉田桃子(女子20番)の顔が思い浮かんだ。
 朝子が出発したのは最後から四番目だった。時折銃声が聞こえていたので嫌な予感はしていたが、出発点を出た時、外はひどいありさまだった。ひとりひとりの顔を確認している余裕はなかったが、そこには三人の死体が転がっていた。教室にいる時は何とか誰かと合流したいと思っていたが、その光景を見て願いは吹き飛んだ。朝子も誰も探したり待つことなくその場を走って離れるしかなかった。もちろん、茜も桃子も待っていてはくれなかった。

 二人は合流できたのかな。あたしのことも探してくれてるかな。茜は──もしかしたら岡村君と一緒にいるかな。だってすごく仲良しなカップルだったもん。こんな時に頼れる彼氏がいてうらやましい。あたしも彼氏、ほしかったな。このまま終わっちゃうのかな。こんなことになるならぼんやりしてないで恋愛しとくんだった。

 体がぐらりと傾くのが分かった。ざっと枯れ葉の上に倒れ、体を起こそうとしたが突然の目眩がそれを許さなかった。頭を抱えて目を閉じると、少し前に見た光景がフラッシュバックするかのように蘇る。
 体がなくなったクラスメイトの頭。
 折り重なった二つの死体。
 その背中からは大きな矢が生えていて、ブラウスの白に赤茶のシミが広がっていた。
 その形を鮮明に思い出すにつれ、胸の奥から何かが込み上げてくる感じがして朝子は口を手で覆った。ちぎれた首の、ごわごわした肉の断面が頭いっぱいに広がって、苦しさで涙を流しながら嘔吐したが、胃液だけが地面に落ちた。何とも言えない苦い味が口に広がり、朝子は支給されたペットボトルの水で一回だけうがいをした。口の端からこぼれた水をぬぐうと、朝子は再び立って歩き出した。

 怖い。怖い。あたしには殺せない。でも、死にたくない!

 クラスメイトは現に十人程死んでいる。殺し合いはまぎれもなく始まっているのだ。やる気になっているクラスメイトに鉢合わせたら、弱っている朝子を喜んで殺してのけるだろう。
「殺されちゃう……殺されちゃう……」
 口の中でその言葉を繰り返すと、背筋がぞくりとして体が震えた。とにかく何処かに身を隠すことだけを考え、弱った体にムチ打って足早に山道を下って行った。
 クラクラして気持ちが悪い。身体がぬるぬるして汗だくだった。どこか手ごろな民家に入ってシャワーでも浴びたいところだった。激しい運動はしていないのに、朝子の口からははあはあと荒い呼吸が絶えず漏れ出ていた。かばんを握っていた指先がオブラートに包まれたように感覚が鈍くなっていく。握りなおそうとした指先からかばんが滑り落ちた。あ、と思った時には朝子の体は地面に伏していた。


「朝子」
 どこからか聞き慣れた柔らかな声がして、朝子はゆっくりと目を開けた。
「大丈夫?」
 声の方に顔を向けると、そこには森山美帆(女子19番)の姿があった。ぼんやりしていた輪郭をはっきりとらえ、朝子は寝かされていた質素なソファから起き上がった。
「美帆……美帆!」
 抱きついてきた朝子の頭を撫でながら、美帆は嬉しそうに微笑んだ。安心できる笑顔だった。朝子と美帆はグループは違ったが、席が近くになった時から仲が良くなった。彼女のことはすっかり頭から抜けてしまっていたが、朝子が考える信頼できる人物の中に美帆もいた。
「そういえば、あたしなんで……」
「あたしはずっとこの農協にいたんだけどね。窓から人影が見えたから覗いてたんだけど、急に倒れたからびっくりしちゃったよ。近くで見たら朝子だったんだもん。引っ張ってくるの大変だったんだから感謝しなさい」
 美帆が明るく、おどけるように言った。
 彼女が見つけてくれなければどうなっていただろう。この巡りあわせと美帆の優しさに感謝しなければならない。他のやる気になっている誰かに見つかっていたら、今頃朝子の命はなかった。
 朝子はお礼を言いかけ、急に思い出したように体が強張った。

 体がなくなったクラスメイトの頭。
 折り重なった二つの死体。
 その背中からは大きな矢が生えていて、ブラウスの白に赤茶のシミが──。

「ちょっと、どうしちゃったの?」
 急にうつむいて震え出した朝子の肩をつかみ、美帆は諭すように尋ねた。しばらく沈黙が流れたが、朝子は俯いたまま溜息をついた。
「あたし、さっき山の方で死体見ちゃったの」
 美帆は眉をひそめていたが、続きを促すように黙ってうなずいた。朝子が美帆の顔を見上げた。
「芽衣子と、野中と、中村が死んでた」
 放送で既に三人の名は呼ばれていたが、最後の中村光太郎の名前を聞いて美帆は口を開いた。
「誰? 誰にやられたの?」
 普段大人しくて落ち着いた感じの美帆が大きな声を出したのに少し驚いたが、朝子は続けた。
「わかんない。芽衣子には矢みたいなのが刺さってた。中村は銃で撃たれてたみたい。野中は、首がとれ、てた」
 首が、のところでぶるっと再び体を震わせる。もう思い出したくないと体が拒絶している。朝子を見守っていた美帆の目から涙が一筋零れた。
「美帆?」
「あたし、中村と席が隣だったじゃない。中村ってぶっきらぼうに見えてね、結構優しい奴だったんだよね。隣の席になってから、学校に行くのがすごく楽しかったんだ。好き──だったのかなあって」
 そこまで言うと美帆は腕の中に顔をうずめて黙り込んだ。朝子はなんだか苦しくて、近くに寄って抱き寄せ、頭を撫でた。朝子には好きな人はいなかったけれど、もし自分だったらきっと同じように悲しむだろう。もともとお人好しで、もらい泣きすることが良くあった朝子は、美帆につられて涙をこぼしはじめた。
 二人はしばらく抱き合ったまま泣いていたが、それは突然の音によって中断された。
 ガチャッという音で二人は弾かれたように体を離し、音のした扉を見た。外から誰かが開けようとしているらしく、ドアノブが乱暴に音をたてている。朝子は震える手で自分のデイパックを探った。探り出されたものは中くらいの斧で、奥の作業用品が納められている棚に身を隠すとドアの方に向かってそれを構えた。この距離では無意味かもしれないが、何もないよりはましだった。
 しばらくの間重苦しい沈黙が流れたが、今度はドンッという音とともにドアに小さな穴があいた。銃だ。それは二人の武器では到底かないそうにない(美帆の武器は何故かロケット花火だった)。

 あたしは、死んじゃうの? さっきの三人みたいに?

 朝子の頭の中で三つの死体がぐるぐると回って呼び掛ける。”中尾朝子、あんたもこっちだよ”。
 斧を握りしめた両腕がぶるぶる震えた。戦いたくない。怖い。怖いけれど体が動かない。
 不意に美帆が朝子を引っ張り、部屋の奥へ連れて行った。美帆の指さした先には小さな出口があった。誰かわからない襲撃者は、まだ表のドアと戦っているようだった。音を立てないようゆっくりとノブを回す。キッというかすれた音がして、二人は一瞬体を強張らせたが表の方で響く銃声に安心してそのまま這い出た。
 ちょうど二人が立ち上がろうとした時だった。バンッという音と共にドアが開けられ、襲撃者が入ってきた気配がして二人は駆け出した。手前の林に飛び込むと、農協の中にひとりの影が現れた。

 一本の長い三つ編みが特徴的な少女。その影の持ち主は高橋彩子(女子12番)で、その手には銃とボウガンが握られていた。朝子と美帆には、展望台で三人を殺したのが彩子であるとすぐに理解できた。
「あれは──」
 彩子はきょろきょろと農協の中を見渡している。出て行った二人の気配は確かに感じていただろう。彩子が出口に気付く前に遠くに逃げなければならない。朝子は隣で呆然としていた美帆を引っ張り、さらに林の奥へと移動した。
「さっきの、高橋さん?」
「うん、たぶん、そう」
 朝子も自分の目を疑った。そして、学校でのことを思い浮かべた。
 彩子は別にいじめられていたようには見えなかったが、一般でいう”不登校”。ごくたまに学校に来ていて、その時は朝子も話しかけてあげようと思ったことがあった。でも反応はあんまりよくなくて、話しかけても少し相槌をうつだけのことが多かった。そんなことが続いてクラスのほとんどの人は関わろうとしなくなっていった。だから修学旅行に現れたのはちょっと意外であった。

 今思えば、高橋さんにとってはイジメみたいなものだったのかな。だからみんなを殺そうと思ったの?

 考えても朝子には分からなかった。
「なんでよ……」
 美帆のか細い声が聞こえた。きっと朝子と同じような考えが頭の中を巡っただろう。
 つないでいる手が強く握られて、美帆が泣いているのが分かったが、今は止まるわけにはいかない。また安全な場所を探さなくてはならなくなった。


【残り30人】

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