13

 放送は終わったが、花嶋蘭(女子17番)はそのまま立ち尽くしていた。カーキ色のブレザーの上、艶やかな黒髪が風に揺れた。相澤祐也(男子1番)に背を向けたまま、蘭は窓の外のスピーカーをじっと見つめている。木造の窓枠に切り取られた賽の目状の青空が彼女の輪郭を浮き彫りにしていたが、祐也からはその表情が見えなかった。

 蘭と関芽衣子はよく一緒にいた。
 バスケ部所属でボーイッシュな見た目の芽衣子と、おっとりしていて読書が好きな蘭は対照的な雰囲気を持っていたが、どういうわけか気が合うようだった。
 祐也が蘭と偶然を装って一緒に帰ろうと思った時、芽衣子に先を越されてしまったことは数えきれない。それでほんの少し悔しい思いをしていたので、いつだったか蘭に聞いてしまったことがあったのだ。「花嶋と関ってタイプが少し違う感じだけど、仲いいの?」と。失礼な言い方だったかもしれない。そして、多分そういう質問を何度か受けたことがあるのだろう。「やっぱりそう思う?」と前置きしたうえで蘭は答えた。「芽衣子ってはっきりしてるけど優しくて、一緒にいると楽しいよ。仲良くなったきっかけは帰りの方面が一緒だったことなんだけど、実は趣味もあうんだ。芽衣子は小説とか漫画も好きだから貸し借りしあったりしてるの」。
 いつだったか蘭と芽衣子と同じ電車に乗り合わせた時、二人は楽しそうに顔を寄せ合って話していた。少し離れたと思えば腕をつかんでじゃれあい、耳打ちをしては笑いあう。話している内容は聞こえない。けれど、本当に楽しそうに話をしていた。思わず見つめてしまった祐也の視線に気づいた蘭が「もう、ひみつの話してるんだから見ないで」とはにかんだ。
 お互い別の部活に所属して、それぞれの雰囲気に合った友人もいたが、それでも一番はお互いだったのではないかと、第三者の祐也が見てもそう思う。校内で活動している場所は離れていたけれど、時間が許せば彼女たちはいつもお互いのそばに戻っていた。

 その友達の名前がつい先程、呼ばれた。

 蘭の指先がぴくりと動いたことで、祐也は回想から目覚めた。一瞬のうちに色々なことがよみがえり、なんだか奇妙な気持ちがこみ上げてくる。関芽衣子と直接的な関わりはあまりなかった。それでも蘭とのやり取りを通じて知った彼女のことを思うと、鼻の奥がつんと痛んだ。隣に座っていた菅原大輔(男子10番)がそっと祐也を小突いた。なんでお前が泣きそうになってるんだよ、花嶋の傍にいってやれ──大輔の視線がそう言っていたが、祐也はまだ立ち上がることができなかった。
 蘭がスカートの裾をぎゅっと握った。その動きに合わせ、ほこりが日の光を受けて場違いにきらきら光る。
「花嶋、あのさ」
 祐也は励まそうと思ったが、その先どう続けていいのか分からずに黙ってしまった。横に並ぼうとした祐也の動きを察し、蘭は顔をそむけた。
「……ごめん、いま、みないでほしい」
 声が震えていた。黒髪からのぞく頬に涙が伝い、床にぽたっと落ちた。
 祐也は息をのんだ。はっきりとした拒絶。けれど、それは祐也の存在に対してではない。いきなり無神経に近づきすぎてしまったことと、泣き顔を見られたくない蘭の気持ち。頭で理解してはいたが、胸に刺さる言葉だった。
「ごめんなさい、違うの。どうしたらいいか……」
 蘭が顔を覆った。祐也が感じたことを、彼女も感じ取ったらしい。
「いいよ、俺がごめん」
「なんでこんなことになっちゃったんだろ」
 祐也の言葉にかぶせるように蘭が続けた。
「なんで、芽衣子が死ななきゃならなかったんだろ。他のみんなだって何も悪いことしてない」
 教室を出てから考えている余裕なんてなかった。目の前の危機から逃れることでいっぱいいっぱいで、クラスメイトの死すら考えないように頭の隅に追いやってきた。それがここにきて、好きな女の子の一番の友達が死んだことで現実味を帯びてくる。麻痺していた頭の中に、クラスメイトが着実に死んでいることが理解されて浸透していく。そしてその人数はこれから確実に増えていくのだ。何の罪もなくても、これはプログラムだから。選ばれたら逃れられないから。

 関芽衣子だって、誰だって悪くない。そんなの俺だって分かってる!

 言葉が喉元まで出かかったが、祐也はそれを我慢して飲み込んだ。この場合、蘭に何と言うべきなのか、分からなかった。
 ふいに、二人のやりとりをじっと見ていた大輔が立ち上がった。支給された簡易レーダーを取り出し、廊下を覗き込んだ。
「菅原?」
 二人の呼びかけを手で制し、そっと廊下を指さす。大輔の方に顔を向けた二人の表情に緊張が走った。
「……足音、しないか?」
 二人も黙って耳を澄ます。大輔のささやき声が消えたころ、遠くから微かではあるがギシギシと床がきしむような音が聞こえてきた。古い校舎だからたまにはきしむこともあるかもしれないが、規則的に続くその音はまぎれもなく足音であり、まっすぐにこちらに向かってきていた。
 じわっと手汗がにじんでくる。祐也はコルトガバメントをやっとの思いでポケットから取り出した。指に握るまでの時間が恐ろしく長く感じられた。
 クラスメイトは誰も悪くない。なぜ殺されなければならなかったのか。──そう思ってからまったく時間が経たないうちに祐也は武器を手に握っていた。それでも放送で分かってしまったのだ。死んだクラスメイトに比例して殺したクラスメイトもいることを。
 大輔がレーダーを見てうなずいた。床のきしむ音は大きくなり、それに比例するかのように制服の下から汗がふき出てくる。冷たい、いやな汗。頭だけがぼうっと熱い。大輔は急いで三人の荷物をまとめ、蘭のぶんのデイパックも担ぎ上げた。
「俺が最後になるから、花嶋を先に連れて行ってくれ」
 祐也の言葉に大輔が頷いた。いま、使える武器を持っている者は祐也しかいない。本当は一目散に逃げ出したいところだが、もう出口はふさがれてしまっている。こんな状況でもまだどこか非現実的な気持ちがあって恰好をつけたかったのかもしれない。他に方法を思いつけなかった。
 こちらにやってくる者が何者なのか、想像の中の人物はどんどん大きく膨れ上がっていく。小柄な武器も持たない、殺意もない女子の可能性だってあるのに、顔の見えない大柄な男子が大きな斧を背負ってこちらに向かっている想像が浮かんだ。緊張から呼吸が細切れになってきて、祐也は自分の大きな呼吸音に気付いて一度息を止めた。
 静かな木造の教室の中、音をたてないように後ずさり窓辺に向かう。見下ろすと二階とはいえ割と低く、途中に屋根のようなものがあって決して降りれなくはない。既に大輔は途中の屋根にデイパックを置き、自身もそのそばにいた。蘭に飛び下りるように手で指示しているようだが、蘭は怯えているのか首を振っている。きしみはさらに大きくなり、あと数メートルほどの距離にまで近づいている。
 二人の様子を伺うと、蘭はまだ降りていない。
 頼む、早く降りてくれ!
 この距離では守りきれないかもしれない。
「花嶋! 絶対落とさないから早く来い」
 大輔が小声で呼び、蘭は一度祐也を振り返った。そして意を決して窓に足をかけると大きく前方に飛び出した。蘭の姿が視界から消え、窓の外から「きゃあ」と悲鳴があがった。落ちた様子はないが、恐怖で声が出てしまったのだろう。その瞬間、近くまで迫っていた何かが動き、部屋に飛び込んできた。
 ババババ、と勢い良く奥の本棚が削れ、木屑が舞った。突然の奇襲に心臓がきゅっと縮んだ感じがしたが、祐也は身を潜めていた扉の右側からコルトガバメントを握った両手を素早く襲撃者に向けた。乾いた音が二度響き、襲撃者はうめき声と共に床に崩れた。一発目はたぶん、外れた。発砲の衝撃で腕が持ち上がってしまったが、次で何とか持ち直せたこと、襲撃者が眼前に飛び込んできたことで二発目を当てることができたようだ。煙と火薬の匂いに頭がクラクラとして、祐也もふらついて背中を壁に打ち付けた。
 肩に銃弾を食らったその男は、かつて分校で襲ってきた村田宏典(男子20番)だった。二度目の嬉しくない再会。想像していた中でも悪い相手がやってきてしまった。
 宏典の普段から青白い顔はいまや紙のように真っ白になっていた。こちらを睨み上げた目は血走っていて、とても人間のそれとは思えない。得体の知れない恐怖に背筋がぞくりとし、足が自然に二、三歩後ろに引いた。肩から噴き出た血がぼたぼたと木造の床を染めていくが、宏典は呻きながらも立ち上がった。血液を浴びた頬が、笑っているようにひくひく痙攣している。強烈すぎる痛みのせいで神経がイカれてしまったのかもしれない。
 それでも宏典は再びショットガンに手を伸ばした。その動きに我に返った祐也は、手元にあった椅子を思いっきり投げつけた。ガタンと大きな音がしたが、振り返らずに窓に走る。何メートルもない距離が、スローモーションのように長く感じられた。窓枠に手足をかけ、祐也も窓から飛び下りた。屋根に着地した時に足の裏がじんと痺れたが、構わず蘭と大輔が待つところに走る。間に合った、と思ったが二人は祐也の後方をぼんやり見上げている。
 祐也が振り返ると、宏典は窓に足をかけ、こちらに降りてこようとしていた。距離的にも、逃げたとしても間に合わない。ショットガンが三人にポイントされた時だ。
「伏せろ!」
 何が起こったのか分からなかったが、祐也が反射的に二人をかばうようにしてしゃがむと、黒いものが宏典の頭上を通って廃校の窓に吸い込まれていった。
 瞬間、耳の鼓膜が破れたんじゃないかと思われるくらい大きい音がして、廃校の一角は消失していた。爆風で起こった砂埃に目を瞑るしかできない。数秒、耳の中がぼわぼわとして何も聞こえなかったが、そのうちに校舎が燃える音がうっすら耳に届いてきた。さきほど三人が下りてきた窓も、宏典の姿もどこにもない。木造の建物についた火はそのうち校舎全体を焼き尽くすと思われた。おそらく、宏典がまだ生きていたとしても火事になった校舎から生還するのは難しいだろう。
「今のは──」
 校舎の爆発によって難を逃れたが、別の襲撃者が近くにやってきている。
「すぐに移動するんだ。別のやつが来て──」
 大輔が蘭の腕を掴んだ。言い終わらないうちに、突然がさっと茂みを割ってもう一人の襲撃者が現れた。ゆるんでいた緊張を再び取り戻した祐也は、銃を反射的にそちらに向けた。しかしその人物を目視した瞬間、祐也は銃を握った手を抑えていた。
「助けてやったのにこれかあ?」
 よく聞きなれた声。爆風の名残にそよぐ赤茶色の髪が特徴的なその男は、まぎれもなく三人が探していた広瀬敦(男子17番)だった。両手を上げたまま三人をぐるっと見渡し、祐也と視線が合うといつものようににやりと悪戯っぽく笑みを浮かべた。


【残り30人】

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