10

 海岸沿いを小さな影が走り抜ける。
 栗原みち(女子7番)はまだ幼さの残る顔の上、額にぽつぽつと汗をかいていた。このあたりはあと三十分ほどで禁止エリアになる。支給された地図は非常におおざっぱに描かれているため、目印のない場所が禁止エリアに選ばれてしまうと万が一の恐れがある。それに、住宅街なら身を潜める場所がたくさんありそうだ。禁止エリアの明確な線引きが見えない以上、住宅街の中心部まで入っていく必要があった。

 みちが分校を出発したのは二十三番目で、ちょうどクラスの半数がいなくなったころだった。外に待っていたのは同じグループの石渡麻友(女子2番)と、全然接点のなかった遠藤和実(女子3番)の死体だけ。そもそも──誰かが待っていてくれるんじゃないだろうかという期待なんてなかった。一瞬立ち止まってしまったが、みちはすぐに走り出した。後から出てくる同じグループの鈴木雅(女子10番)を待つこともしなかった。

 栗原みちは基本、だれも信用しない。そして自分に信用がないのも分かっている。

 みちは小柄で色白の可愛らしい容姿をしていた。明るい茶色のボブ丈の髪に小さくて通った鼻、つやつやの唇。そしてくりっとした猫のような丸い目。その瞳に見つめられると、無下にできる男性はいなかった。ただし、それはあくまでも”表向き”の姿ではあった。
 みちの日課といえば、彼女の容姿に惹かれて近づいてきた男性と出掛けては好きなものを買ってもらったり、援助交際のまねごと──「先払いでお願いします」などと言って金だけ貰って逃げて美味しいとこどり──ばかりだ。自分のお金で買い物など、ここのところは全然していない。それでうまくやれているのだから、コツコツおこずかいを貯めるなんてダサいことはしない。
 男子の前ではとても可愛らしくふるまっているが、女子に対しては声色も表情もまるで違う。そんな様子だから、みちのことを好きな女子はほとんどいなかった。一緒につるんでいる女子だって心から彼女を好きなわけでない。華やかで異性に囲まれているみちの傍にいると、彼女と同じレベルに並んでいるような気になれるからに過ぎない。みちにもそれが分かっているから、上っ面の関係以上は求めない。
 いつだったか、クラスでも割と気の強い菊池加奈子(女子5番)が、「あんたそんなんじゃ嫌われるよ」と言ったことがあったが、みちは余裕たっぷりの上目遣いで「男の子がお話ししてくれるからそれでいいの」と答えた。これにはさすがの加奈子も呆れ顔でそれ以上は何も言わなかった。

「なんとか間に合ったっぽい……」
 華奢な手首にはまった時計に目を落とす。これはお気に入りの腕時計だ。誰に買ってもらったか忘れてしまったけれど、大好きなブランドの秋の新作。文字盤にはまった小さなダイヤモンドとハートのモチーフがきらりと光った。いつもの癖で髪を整えようとして、触れあった腕時計と首輪が音をたてた。
「はあ、なんでアタシこんなとこでこんなことしてんだろ」
 首輪を触りながらみちはつぶやいた。認めたくない現実。何度触れても慣れない感覚。”これ”がある限りは移動と殺し合いを強制され続けることになる。もう一度地図を引きずり出して自分の位置を念入りに確認する。ここで間違えたら失敗どころでは済まない。みちはもちろんやる気になってはいたが、デイパックの中に入っていた武器はヌンチャクだった。

 みちの作戦はただ一つ。「単身で女子に遭遇しないこと、男子と組むこと」。女子からの受けは抜群に悪い。恨まれていることだってあるだろう。この状況下では味方が絶対に必要だ。使える武器と体力がないなら、武器となり盾となってくれる者が絶対に必要なのだ。とりあえずはどこかの住宅に身をひそめ、味方になってくれそうな男子が近くを通りかかるのを待つしかない。

 住宅街はひっそりと静まり返っていて、みちはなるべく足音をたてないように努めたが、ローファーを履いていたために歩を進める度にコツコツとコンクリートが鳴った。舗装されてない道を走っているときには気が付かなかった。自分のたてている足音にぎくりとして、そっと一軒の庭に入り込んだ。そこには子供が乗っていたと思われる補助輪付きの小さな自転車などが停めてある。裏の扉に手をかけてみるが、頑丈に鍵がかけられていて中に入ることは不可能だった。
 扉を開けようとしていると、ガラス戸に映る自分の後ろにいつの間にか人影が近づいていた。大きな影がみちに被さった。
 ひっ、と息をのんだが、すぐに動けた。振り向きざまにみちは持っていたヌンチャクを思いっきり前に振りかざしたが、それは楽々相手の手中に収まった。
「栗原、シーッ! 大丈夫だから!」
 目線を上げた先には須田清(男子11番)が立っていた。無遠慮にみちの全身をじろじろ見まわす。
「家の中から見えたんだよ、栗原がこっちに入ってくるとこ」
 長身の清が身をかがめてみちの腕を引く。みちは初めぼんやりとしていたが、教室での須田清の人となりを思い出して──にっこり微笑んだ。
 やった! ”防具”をゲットした。
「夜のうちにここに来てさ、一個開いたままになってた窓から中に入れたんだよ。あー、でももう玄関も鍵あけてるから、普通に入れるからな。窓からなんて女子にはきついよな」
 導かれるまま二階へ上がると、子供部屋らしきところに辿り着いた。ただ普通と違うのは、デイパックや武器が無造作に置かれていることだ。
 いつもよりも饒舌に清は話し続けた。
「栗原、俺と会えてラッキーだったろ? ここなら他のやつに見つからないから安全だし」
「うん、あたし怖かったんだ。須田君に会えてよかった」
 なーんて。ウッザ。自分からそういうこと言う?
 清は満足げに笑うと、みちを自分の隣に座らせた。いつもよりも強引な態度だった。ちらりと床に視線を落とすと、そこには軍用ナイフが置いてある。みちは少し考えて、口を開いた。
「須田君のことはよく知ってるから、安心できるんだよね。他の男子じゃなんか怖くて……」
 清が顔を上げた。
「だってあたしたち、ずっと近くにいたもんね」
「そう、だったっけ──いや、でもさ」
 清は落ち着かない様子でちらっとみちを見た。みちは目線を合わせて得意の笑みを返す。清はぎこちなく頭を掻いた。
「そうだよ。だってキヨは……」
 キヨ。この呼び名で呼ぶのは一人だけ、だった。もう死んでしまったから過去形。同じグループの石渡麻友(女子2番)が、愛しの彼氏に向けて使っていた呼び名だ。

 麻友は派手な外見だった。みちとつるむようになる前は、もう少し地味だったが、彼女は彼女なりに考えて、大人っぽくなりたいと考えたのだろう。みちがやっている援助交際の真似事にもすぐ手を出した。そしてまた、同じグループの鈴木雅(女子10番)とよく、彼氏自慢をしていた。
 清の事も、別の女の子からとったとか何とか──。それをひどく自慢に思っていたらしいが、みちから見れば馬鹿らしいことだった。清は身長こそ高かったが、麻友と並ぶと冴えなくて地味な容姿に見えた。なんとなく人目をいつも気にしていて、優柔不断で、おそらく強引な麻友に言われるがままに交際を始めたのだろう。麻友はいつものろけていたが、清からは同じくらいの気持ちを感じられなかった。

「こんな時にごめん。麻友の呼び方、よく聞いてたからうつっちゃった」
 清が気まずそうにうつむいた。
「ねえ、麻友のこと、悲しい?」
 ほんとうに、悲しそうな細い声で言った。清がちょっと顔を上げて、頷いた。──そう。本当に?
「こんな時に不謹慎かもしれないけど、麻友がいなくなってね、ラッキーだったって思っちゃったの。ごめんね、怒らないで。あたし須田君のこと好きだったから」
 その言葉を聞いて清は弾かれたように顔を上げた。先ほどまで悲しそうに見せていた表情が消え、隠しきれない高揚の色が目に宿る。
「え?いやいや、マジなの?」
 完全に顔が緩みきっていた。
「こんな時にマジじゃないこと言う?」
 意地悪っぽく、みちは返す。
「俺──麻友にはゴメンだけど──俺さ」
 清がみちの方に身体を向けた。抱きしめようとしてきた清の体に手を添えたが、予想外の力に押され、みちはベッドに引き倒された。スカートにひんやりした手が滑りこんでくる。
 あー。こいつダメ。クズだわ。
 彼女が死んだばっかのくせに、別の女の子に告白されて返事もしないでヤるとか。さすがに麻友に同情しちゃうかも。
 みちは清に応えるように身じろぎして、シーツに手を滑らせた。そして持ち上げた腕を清の首筋に手を添えると、ゆっくり、その中のものに力を込める。清はびくりと体を動かし、慌てて自分の首に手を添える。その首には軍用ナイフが深々と刺さっていた。
 みちの白い頬に赤い点がぱたぱたと落ち、目を細めてそれを指先でぬぐった。力を込めてナイフを引き抜くと、壁は一気に赤く染まり、清は床に倒れこんだ。どたっという音がして、清が床に体を打ちつけた。みちはクマの絵の描いてある掛け布団にナイフを押し付けると、何回もこすりつけて血を拭った。

「須田君のことはよく知ってるから、安心できるんだ」
 ──同じグループの石渡麻友の彼氏。優柔不断で地味なやつ。
「だってずっと近くにいたもんね」
 ──麻友にくっついていつも近くにいたから。
「だってアンタ……ずーっとあたしのこと見てたもん」
 ──麻友と一緒にいながら、目線はあたしのことばっかりを見てた。
 隙あらばあたしと話そうとしてた。麻友はそれが不安だから、いっつも必要以上にあたしにのろけてた。

「須田君、ヘンなとこで気が大きくなっちゃったのかなあ。欲を出さなきゃもうちょっと生かしておいてあげたのに。ヘタにヤっちゃったらあたしが先に用無しになっちゃうかもしれないから、残念だけどばいばい」

 かっと目を開いたまま倒れている清には見向きもせず、部屋のドアに手をかける。
 一息つくと、みちは階段を軽やかに降りて行った。

【残り31人】

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