09

 柏木健人(男子5番)J=6にあたる港を歩いていた。そこには繋がれた船がいくつか泊まっていて、太陽の光を反射しながらおだやかな波に揺られている。沖の方では魚が何匹か跳ね上がっているのがよく見えた。
「暇だ」
 目を細め、太陽を見上げながらそう呟いた。

 健人はクラスでも変わり者の部類に入るほうだったが、この状況で”暇”だと思ったのは彼くらいだろう。ぼんやりと海を眺めながら歩く彼の姿は心無しか優雅に見える。
 彼は帰宅部で目立った特技というものはなかったが、寝ぐせで少しはねたうす茶の髪に整った顔が特徴的であった(クオーターらしい)。見た目から見ると、かなり女子生徒にうけそうなのだが、何せ、表情も乏しければ口数もあまり多くない。一種、気味の悪い雰囲気があったので、実際は付き合っている友人すらいなかった。
 そして性格はかなり変わっていて、自分の気が向いたことしかしないのだ。その気が向いたことの内容もたいてい場違いで変わっている事が多いのだけれど。
今回のことに関してもそうだった。”プログラム”に選ばれたことでパニックになるクラスメイト達を尻目に、ぼんやりと自分の爪を眺めていたツワモノである(しかも、昨日は何時に寝たんだっけな? などと考えながら)。
 とにかく、健人は自分から殺そうとも仲間を作ろうともせず、気が向かないのでぶらぶらしていた。彼の武器は釣り竿で、それを見た時に釣りをしようかと思い立ち港にやって来た始末である。普段から授業は気が向かないと言って図書室に篭っていたり、屋上などでぼんやりとしていることが多かったが何故か成績は上の中くらいをいつもキープしていた。
 その不思議な雰囲気は人を寄せつけにくかったし、健人もまた誰かに興味を示すことは無かった。この修学旅行に関しても、クラスメイト達は彼が興味を持って参加するとは夢にも思わなかっただろう。

 しばらく歩いて行くと、 ある小舟の前で健人の小柄な影はぴたりと止まった。黙ったまま見下ろした場所には、無防備にも船上で居眠りしている佐野慎一郎(男子9番)がいた。慎一郎は八十キロの巨体を船の柱に預け、いびきまでかいていて余裕っぷりだった。船の上には支給されたパンが無惨に食い散らかされている。三日分の食料を一気に食べて眠くなったらしい。健人は側に寄り、しばらく黙ってそれを見ていたが、ふいに慎一郎のデイパックを引き上げた。デイパックの中には水と三味線の糸が入っていた。
 何を思ったか、健人は三味線の糸をポケットにしまった(釣りに使おうとでも思ったのだろうか?)。健人はそのままその場を去ろうとしたが、彼の頭の中にかつて教室で聞いた言葉が蘇った。

 ”それは取れないし、無理に取ろうとしても爆発するからな。あと海に逃亡しようとしても、だ”。

 目線を上にあげてしばらく何か考え込んでいたようだったが、首を少し傾けると自分のデイパックに手を忍ばせた。取り出した彼の手の中にはカッターナイフが握られていた。健人はカッターをじっくり眺めた後、それを船を波止場に繋ぎ止めている綱にそっと当てた。ギシギシという音と共に粉っぽいクズが散り、健人はさらに力を込めてカッターを上下させる。
 ついに綱がぷつりと切断されると、慎一郎を乗せた船を沖に向けてそっと押した。

 見てみたい。これからどうなるのか。

 いつになく健人は嬉しそうにその目を輝かせた。ゆったりとした波が船を沖へ沖へとさらっていく。波に乗ってだんだん沖に向かって行く船を、ただじっと眺めた。ギィギィときしみながら船は小さくなり、やがて先程魚が跳ねているのが見えた所に到達した頃であろうか。ドン、というこもった音と共に船から赤いしぶきが上がり、それは晴れた空によく映えた。
 それからは、海は元通り穏やかだった。
 健人は満足げに一息つき、その場に腰を下ろした。太陽光で少し温まったコンクリートが心地よい。手に持っていた釣り竿に先程の三味線の糸をくくり付け、食料であるパンを少しちぎって先端に付ける。右腕を後ろに反らせ、ひゅっと一振りすると糸は見事な弧を描いた。ゆるやかな波紋をつくる海面を見つめながら、健人は先程の事をじっくり思い浮かべた。
 「意外と首輪の威力は強いんだ」
 何故か試したかった、何故か知りたかったのだ。それがどのくらいのものであるのか。
 彼にとってこれは殺人ではなく、ちょっとした実験に過ぎなかった。


【残り32人】

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