02

 クラスメイト達が凍り付く中で、いずみはスローモーションのようにゆっくりと後ろに倒れた。幸の手には小型の拳銃が握られていて、銃口からはかすかに煙が出ている。
「いずみ、そんな──」
 豊島愛が右手を宙に浮かせたまま、立っていた。細い脚が揺らめき、ゆっくりと床に付く。
 いずみはおそらく、愛の制止を振り切って飛び出したのだろう。
 掴むもののなくなった愛の手がぎゅっと握り締められる。
 残っていた女子たちの泣き声が、しんとした教室に広がっていく。祐也も状況が把握できずにただ、倒れたいずみを見ていた。いずみは右胸に穴を開けて、ひゅうひゅうとか細い呼吸をしていたが、目はうつろですぐに動かなくなった。
 誰も、近寄れなかった。みんなの目線の先には、銃口をこちらに向けている幸が立っていたから。幸は満足そうにいずみを見下ろすと、祐也の方に目を向けた。
「次、あなた。男子一番相澤祐也君」
 祐也は恐怖で足がすくんだが、気力をふりしぼって立ち上がった。教室の方へ顔を向けた。あぐらをかいて座っている敦史と目が合った。無表情だった敦史が、にやりといつものように笑った。それでだいぶ、気分が落ち着いた。
 デイパックを受け取り、廊下に出るといやにひんやりとした空気が頬を撫で、気分が悪かった。
 くそ。さっきのことでみんなは生きて帰ろうという気力をそぎ落とされたわけだ。あの幸って奴にはかなわないって思い知らされたってわけか! ──いや、俺までそう思ったら奴の思うつぼだ。俺は菅原達と合流してみせる。
 歩いていくうちに一つの扉が見えた。空港を出たのは確か昼過ぎだったというのに、外は薄暗い。校庭と思われるそこは閑散としていて、誰もいなかった。廊下よりもさらにひんやりとした風が吹いている。
 まだ俺の前には八人しか出ていない。うまくいけば、支給された武器であの女を攻撃できるかもしれない。

「相澤」

 心臓のあたりがビクッと跳ねて、祐也は振り返った。そこに立っていたのは、次に出てきた池田梨花(女子1番)だった。
 池田梨花。 同じ出席番号なので接する機会はそこそこある。
 セミロングのゆるやかに伸びた髪。今日は前髪を上げてポンパドールにしている。さっぱりとしていて快活な性格が、外見にもよく表れている。
 今目の前にいる彼女は、つい数時間前に機内で見たのと変わらない。首に銀色の首輪を着けられていること以外は──。
「い、池田。よかった。一緒に他の奴を待たないか? みんなでこれからの事を考えよう」
 動揺を隠せなかったが、そこまで一気に喋った。まずは、こちらにやる気がないことをアピールしなければいけない。しかし梨花は少し距離を置いて立ち、右手を不自然に背中にやったまま祐也を見据えていた。表情はこわばっていて、飛行機の中で見せたような笑顔はなかった。
「何、バカなこと言ってるの?」
 祐也から視線を外し、俯く。伏し目がちになった目に涙の痕が見えた。
「逃げられるわけないじゃん。あ、あたしを騙して殺す気だった?」
 祐也は驚きでぽかんと一瞬口が開いた。違うんだ、と言おうとしたが梨花の方が早かった。
 風を切る音が耳もとで聞こえ、祐也の焦げ茶の髪が少し空に舞った。梨花は文化包丁を振り上げた反動で少しよろけたが、体勢を立て直すと今度は上から振り下ろしてきた。刃が月明かりを反射してきらりと輝く。
「うわああああ」
「池田、待て!」
 梨花は明らかに”やる気”になっていた。いつもの無邪気な表情からは想像出来ないくらいの気迫に圧倒された。すまないと思いながらも、向かってきた梨花のみぞおちを蹴り上げた。包丁を手から取り落とした梨花は、目を大きく見開いたまま腹部を抱えてうずくまった。
 息をつき、冷や汗をぬぐう。
 これからどうやって池田を説得する? 他のやつにこんなところを見られたら、例えこれが正当防衛であってもやる気があると思われたりはしないか?
 突然、強烈な爆音に空気が震え、砂埃がたった。闇に目をこらすと、村田宏典(男子20番)が立っていた。宏典は割とお坊っちゃんで、父親が裁判官だか何かで、彼もいつかそうなるつもりらしい、と聞いていた。クラスでも出来る方で、特に三国志なんかが好きな真面目なやつだった。
 そんな村田が何故?
「お前、戻ってきたのか? なんでいきなり撃つんだよ」
 体から血の気が引いて行くのを感じた。宏典も梨花と同じように表情がいつもと変わっていた。普段から色白の顔はさらに青くなり、まさに顔面蒼白というのがぴったりだな、と場違いな事を思わせた。
「なんでって? お前だって聞いただろ。このゲームで生き残るのは一人だ。だから俺は戻ってきた。お前も、これから出てくるやつもみんな殺してやるよ」
 ふざけんな。ここで俺はおしまいか? 冗談じゃない。でも相手は銃だ。
 ショットガンが持ち上がり、祐也は死を覚悟した。
「……ってえ」
 ぱららっと細かい音がして、次の瞬間祐也は誰かに手を引っ張られて駆け出していた。振り返ると宏典は顔を手で覆って見えない敵と戦うように腕を振り回している。もう一度ショットガンが火を噴いたが、当たる距離ではなかった。
 一度に色んなことがありすぎて頭の中が痺れたようになっていた。しかし体だけは何とかしっかりしていたようで、走り続けることが出来た。
 すぐに廃校らしき場所に辿り着いた。建物の中は静まり返っていて、二人の押し殺した息づかいが聞こえるだけだ。
 ──二人?
 祐也は自分を掴んで連れてきたその手を引き寄せると、あの分校で見送った懐かしい顔を見た。
 優しげなアーモンド型の目。つややかな髪。少しエキゾチックな魅力を感じさせる顔と肌の色。
「花嶋……」
「よかった、ここまで来れば多分平気」
 蘭はまだ息が上がっていて肩を上下させていた。あの時、宏典の顔面に小石を投げて助けてくれたのだ。お礼を言わなければいけない時なのに、祐也は何故か入学した当時のことを思い出していた。

 蘭と知り合ったのは、中一の時だった。逗陽中学では入学してすぐに”オリエンテーション”というものがあり、簡単に言えば生徒同士が親睦を深めるための旅行だ。二泊三日の短い期間ではあるが割と楽しいものだった。
 最終日、学校の最寄りの駅に向かうバスの中で二人は初めて言葉を交わした。誰かがトイレに行きたいと言い出したため、何処かのパーキングエリアでいったん止まることになった。祐也は別に行きたくなかったのでそのまま席に座って外を眺めていた。乗車口から出て行く生徒の数はかなり多かった。バスの中はしんとしていて全員降りたように思われた。
 なんだよ全員か? 出発前に行っておけばいいのに。
 ふと視線を車内に戻すと、補助席を挟んだ隣に一人の女子が座っているのが目に入った。長い黒髪を青の飾りのついたゴムで二つ結びにして先程の祐也と同じように窓の外を眺めている。まばたきするたびに長い睫毛が上下しているのが、祐也の位置からもはっきり見えた。
 小学校から上がったばかりの女の子に”美しい”という表現は変かもしれないが、とにかく祐也がその時受けた印象はそんな感じだった。つい黙ったまま彼女の横顔を観察してしまう。何だか眠たそうに目を細めている。すると祐也の視線に気づいたのか、彼女もこちらを振り返って目線がぶつかった。
 まずい!
 祐也は我に返って目をそらした。
 初対面の女の子をじっと見てしまうなんて、変に思われてしまうじゃないか。
 それでも車内にたった二人という状況で、さっきのことも含めて何か言った方がいいんじゃないかと思われた。しかし、何を言っていいのかさっぱり見当がつかない。
「あの、初めまして。花嶋蘭です。同じクラスだよね? よろしく」
 先に口を開いたのは蘭というらしい女の子の方だった。
「……相澤祐也。よろしく」
 少し戸惑ったような笑顔で挨拶されて、人見知りの激しい祐也はそう言うことしか出来なかった。後で考えるとかなり不愛想だったと悔やまれたが、 それから蘭とは少しずつ仲良くなっていった。
 たまたま同じ電車を使っていたこともあり、駅で会ってそのまま一緒に通学することも良くあった。今年になって同じ塾に行くようになり、さらに祐也は蘭を意識した。入学してから陸上部に入り、ファンクラブと自称する女子達にきゃあきゃあ言われることもあったが、祐也は少し醒めた性格も手伝ってかそういうものに興味はなかった。
 一方蘭は全くそのへんは意識せずに接してくれた。今までに会った女子にはいないタイプだと思った。しっかりしているのに、それでいて天然だったり、 それに──。

「あ!」
 びくりと心臓が跳ねたが、急いで暗闇の中にいるだろう蘭の姿を探した。
「見て、あたしの武器これだった。ネズミ捕り……。こんなんじゃ何も出来ないね」
 しゅんとする蘭を見て、胸をなで下ろした。
 なんだそんなことか……てっきりまた誰か他のやつでもいたのかと思った。
 そういえばまだ自分の武器は確認していない。デイパックを探ると冷たい鉄の感触があった。
「俺のは、これみたいだ」
 デイパックの中にはコルトガバメント(銃だ、頼れる武器で良かった)があった。
 しかしこれをクラスメイトに向けろというのか?
 このプログラムのルールが”殺し合い”である以上、先程の村田宏典のように向かってくる人間がいるかもしれない。その時は、これを使うことになるのだろうが、やはりクラスの友人を自分から殺して行くのは気が引ける。祐也は弾を装填するとポケットに無造作に突っ込んだ。
「少し、眠っといたほうがいい」
 遠慮する蘭を休ませて、祐也は溜息をついた。
 結局、大輔にも敦史にも会えなかった。それに、梨花をあの場所に放置してきてしまった。あの後きっと、宏典は出てきたクラスメイトを順番に殺すつもりだったのだろう。
 俺はあのまま逃げてきて良かったのか? でも今から戻るわけにはいかない。
 蘭を一人で置いて行くことも、危険な場所に連れて行くこともしたくなかった。八方ふさがりの状況に苦笑する他はなかった。


【残り41人】

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