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best friend

「明菜──明菜!」
 駆け寄りながら叫んだ。
 倒れた明菜の指先に、ルガーが転がっている。梨沙は床に跪き、明菜の身体を揺すった。その動きに合わせて懐中電灯の灯りがちらちらと揺れる。
 一度懐中電灯を床に置き、抱きかかえるようにして明菜を仰向けに寝かせた。薄明かりの中、至近距離で視線がかち合う。
「あんた、やるじゃん」
 明菜が言った。恐らく花井を倒したことについてだろう。
 床に寝ている明菜の側にはおびただしい血だまりができていた。白い夏服の胸も真っ赤に染まっている。口元に付いた血だけでも綺麗にしようと、梨沙は指先でそれを拭った。
 ふと思い出して、梨沙は懐中電灯を手にとった。明菜のすぐ近くに純がうつ伏せに倒れていた。見た目にも死んでいるのは明らかだった。その静けさの中、梨沙は呆然と懐中電灯を降ろす。
「梨沙」
 明菜が呼んだ。梨沙はまだぼんやりとした表情でそれを見下ろす。
「放送、聞いた、から」
 途切れ途切れの声が耳をくすぐる。
「知らなかった。ずっと、梨沙がつらかったの、知らなかった。何でも言ってよねって……あたし言ったけど、そんなこと、簡単に言えるわけない、じゃんね」
 薄く開いた明菜の双眼から涙が溢れ出た。
「あたし、甘えてたんだね。こんなの、梨沙のに比べたら……」
 思い出して、梨沙は明菜の腕に視線を飛ばした。初めて知った明菜の秘密。その、初めて見る傷だらけの左手首をそっと包み、梨沙は首を振った。
「違う──あたし、あたしだって、気付いてあげられなかった」
 明菜の手を抱き締めるように、胸元に引き寄せた。
 その動作を見つめながら、明菜が微笑を浮かべて頭を揺らす。
「嫌われるのが、怖かった」
「嫌わないよ!」
 叫びに近い泣き声を上げて明菜の手を握った。
 嫌いになるのは自分自身の方だった。明菜に嘘をつき通して、罪悪感を抱かせて、そして彼女の辛さには気付いてあげることができなかった。
「そ、か……」
 短く応えながら、明菜が天井を見上げた。
 微笑をたたえた頬の上、長い睫毛をゆっくり閉じていく。
 
 ──嫌だ!
 
 切れ切れになった記憶が、梨沙の脳裏にフラッシュバックしていく。
 白い頬、伏せた睫毛、四角い棺桶に眠る姉の姿。
 思わず明菜の肩を掴んでいた。
 
 一人にしないで。
 お姉ちゃんみたいに置いていかないで。
 大事な人。大事な友達。大事な大事な大事な。
 
 目鼻立ちのはっきりした顔で笑うと、すごくかっこよくてうらやましかった。
 いつもクラスのみんなのことに一生懸命で、憧れてた。
 怒っても泣いても熱くて、温かくて、様になってた。
 時々ふざけて梨沙に触れる手が大好きだった。
 
 まぎれもなく彼女が、あたしの居場所だった──。
 
「や、やだ……やだやだやだやあああああ」
「……う、るさいよ、梨沙」
 制服越しに伝わってくる体温が、冷たくなっていく。
 明菜が死ぬと予感していながらも、それを無理に否定する気持ちの方が強かった。
「おっ、おこ、怒るからね。目、閉じたら怒るから──き、嫌いになってやる。絶交するからね! だから、あたしを、置いてかないで」
 返事はない。
「あたしたちやっと、向き合えたのに。隠し事、なくなったのに」
「……りさ」
 囁くような声が一度だけ聞こえた。それが終わらないうちに、明菜の四肢は僅かに痙攣しはじめた。
 
 どうして──さっきまで、あたしを助けてくれていたのに。動いていたのに。
 なんで急にこんなになっちゃったの。──助けて。明菜を、助けて。
 
 あの人の顔が浮かんだ。
 
 ”必ず助けに行くから”。
 
 そう、言った。
 
「だめ……助かる……そう、助かるんだよ! だから──」
 明菜の返事はない。
「早く来てよ! 助けてくれるって約束したじゃない!」
 顔を上げて、どこかで聞いているだろうあの人の顔を何度も思い浮かべる。それなのに彼は答えてくれない。
「ねええ……! 絶対来るって……約束……したじゃん!」
 明菜の身体を抱き締めながら叫んだ。消えていく明菜の魂にすがりついたまま、自分もこのまま一緒に付いていきたいと思った。
 激しくなっていく雨音の中、小さな声が聞こえた。既に痙攣がおさまりつつある明菜の身体から顔を上げ、梨沙は声のした方へ目を動かした。
 青白くなった明菜の顔に、優しい微笑が浮かんでいる。
「りさ」
 ゆっくりと唇が動く。
 恐らく、これで最期になる彼女の言葉。
「だいすき」
 次の瞬間、梨沙が驚くほどの力で手を握り返された。それは痙攣で最後の力がこもっただけだったのかもしれない。それでも思わず叫び声を上げて手を振り落としそうになるくらい、梨沙の心臓は跳ね上がった。
 だが、それもほんの僅かの出来事に過ぎなかった。すぐに指一本一本の力が次第に抜け、明菜の手は梨沙から離れて床に付いた。
 生前の笑顔を残したまま、明菜はもう動かなくなっていた。

 ──”梨沙、大好き”。

 冷たくなった明菜の額に涙がいくつも落ちた。
 ……大好き。あたしも、大好き。
 いくら言葉にしたとしても、彼女はもう答えてくれることはない。二度と微笑みかけてくれることはなくなってしまった。

 窓の外で風が鳴いている。雨が建物のあちこちを叩いていく。
 そのうちに男たちの声と足音が部屋に近付いてきた。
 迎えに来た兵士たちに腕を掴まれてもなお、梨沙はそこから立ち上がることができなかった。




【残り1人/ゲーム終了・以上大東亜女学園3年D組プログラム実施本部選手確認モニタより】

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