雪乃の死を見届けて、梨沙は呆然と座り込んでいた。
銃撃戦が終わった室内には雨の音が聞こえていた。窓に吹き付けるほど激しいものだったが、こうして静かになるまでは全く気が付かなかった。
「立てるか」
ややあって、顎を上に向けた。花井が腰を屈めて手を差し出している。
一瞬、ためらいの気持ちが起こったけれど、気が動転していたせいなのか、素直にそこに自分の手を重ねてしまった。上に乗せられた梨沙の手を掴むと、花井が勢いをつけて引き上げた。
「怪我は」
「あ、多分……」
ないです、と言おうとした時、静けさを取り戻したはずのプールに一発の銃声が響いた。
銃声と同時に花井の体がびくりと震えた。短く息を吸う音が耳元でし、やがてそれは微かな呻きに変わった。さっきまで引っ張り上げるようにしていた梨沙の体に、花井が僅かに体重を掛けた。
この人、撃たれたの──どうして!
筒井雪乃はもう死んだはずだ。混乱する頭で、梨沙は花井の背後の闇に目を凝らした。
花井が苦しげに息を大きく吐いた。梨沙は思わず、ぐらつく男の体をしっかり支えた。無傷のはずの自分の体が震えだす。花井は支える梨沙の腕を力強く掴み、顔を覗き込んできた。
この人は──香奈ちゃんを殺した。いっぱいひどいことをした。可哀想だと思う価値もない、最低な──。
闇の中、花井の二つの目が梨沙を見つめている。ふっとそれが静かに伏せられた。
だけどこの人は、あたしを助けた。ここにみんなを集めた後、人質として価値がなくなったはずの、あたしを──。
「梨沙あ、逃げてえ!」
花井の背後から明菜が叫んだ。その声よりむしろ、花井が瞳を大きく開いたことに驚き、梨沙は体を硬くした。花井の目には燃え尽きる前の激しい色が宿っていた。
また銃声が響く。すぐ近くの蛇口が吹き飛んだ。花井は梨沙を突き飛ばし、コルトガバメントを抜き出した。
そうだ、あたし──勘違いしていたんだ。
暗い室内に窓からの微かな光が入り、花井の姿が見えた。手に持った銃口は、明菜の方を向いている。
ちょっと一緒にいたくらいで、ほんの少しの気まぐれで言われた言葉に騙されていたんだ。この人はあたしの仲間なんかじゃない。あたしの友達は──。
叫ぼうと試みたが、喉が乾燥していて声が出ない。
手探りでデリンジャーを掴み、花井に向けた。
夢中で引き金を絞った。一発、二発──。
がちっと音がして弾切れが起こったのだと分かった。しかし、それでも十分だった。
花井がゆっくりとした動きで振り返る。表情は分からない。ガラス窓から差す鈍い光が花井の左頬を照らし、唇の端が釣り上がっていた。それで、笑っているのだと分かった。
花井の右手からコルトガバメントがこぼれ、指先が不自然にくねくねと動いた。あまりに奇妙な情景に、梨沙はデリンジャーを握ったまま後ずさる。
頭上からごおっという凄まじい雷の音がして、その瞬間に花井の首筋に火花が散るのが見えた。火花の正体を確認しようとした時、雷光が窓から差し込んだ。梨沙は思わず目をつぶっていた。
目を開けた時には、プールから水しぶきが上がっていた。花井の姿はない。
慌てて懐中電灯を掴み、プールサイドに駆け寄った。少し離れたところから照らすと(あまり近付き過ぎるのは怖かった。横田麻里の時のように、水中から飛び出してこられては困る)、破れた学生服と脱げたスニーカーが水中に揺らめいている。
……死んだ。
それも、あっけなく。
死体にも動じず、人を殺すことにためらいがない、死神のような男。その男は、梨沙の手で、たった二発の銃弾に倒れた。
あの男は──一体なんだったのか。何がしたかったのか。
分からない。考える必要などないはずが、胸を締め付けられるような不思議な気持ちになる。
呆然としていた梨沙の耳に、背後からがしゃっと何かが落ちる音が届いた。
振り向きざまに懐中電灯を向けた先には、うつ伏せに倒れた明菜が浮かび上がっていた。
【残り2人】