82

desperate struggle

 がんがん、と音がして、二つの方向から弾丸が飛んで来る。筒井雪乃(18番)は思わずその場にしゃがみ込んだ。
 すぐ近くにあった手すりが吹き飛び、錆びた鉄の匂いと火薬の匂いが鼻を刺激する。ふと思い出される、濃厚な死の匂い。血だまりに浮かんでいた佐藤彩の顔や、自分が殺した生徒たちの顔が頭をよぎる。──あんなふうになりたくない。あたしは死にたくないんだ。
 雪乃は奥歯を噛み締め、手探りでスミスアンドウエスンM29を掴んだ。
 プールの左奥に丸い光が灯る。その灯りに照らされて、しゃがんでいた雪乃は弾かれたように立ち上がった。
 自分の姿をさらすわけにはいかない。走って逃げるのだが、灯りと弾丸が背後に迫って来る。子供の頃に見た怪盗のアニメでは、主人公がこんな風に照らされていたのを思い出す。
 すっかり立場が逆転してしまったことで、雪乃は苛立ちを募らせた。灯りに追われて逃げる自分が、まるで踊らされている人形のようで、思わず舌打ちする。
 
 二階席は一階のプールを見下ろす形でぐるりと囲まれている。彼らから見える場所に移動してきたのは失敗だった。もう一度彼らの頭上にあたる場所に戻れば身を隠すこともできるのだが──今からではもう遅かった。はじめに残りの生徒を撃ちもらしたことはもちろん、マシンガンが今手元にないのが一番の痛手となっている。反対側に戻ろうにも、戻るまでには相手に一旦近付かなければならない。更に悪いことには、相手は両端に分かれてこちらに攻撃してきているらしい。どちらから戻っても、至近距離で攻撃されることは必至だ。
 
 考えているうちに、背中が急に熱くなった。雪乃の身体はほんの少し宙に浮いたが、手すりに上半身を叩き付けられるようにして止まった。
 一瞬、頭が真っ白になった後、背中の肉を握り潰されるような痛みが襲う。ぐうっと呻き、雪乃は手すりを握りしめて膝からくずおれた。
 痛みで頭がくらくらする。顔からは脂汗がふきだし、背中は燃えるように熱い。それに対してスミスアンドウエスンを握る指先は冷たくなっていた。
 
 ……何なの。何でなの。
 
 雪乃は今まで、失敗という失敗を経験したことなどなかった。完璧とまではいかなくとも、いつもそれなりにうまくやってきた。願えば叶わないものなど、ほとんどなかった。
 
 最後の生き残り──井上明菜、花嶋梨沙、堀川純、そして転校生。それらの顔を思い浮かべて、雪乃は口元を歪めた。

 ……誰一人、あたしより価値があるもんか。あたしが生き残るんだ。あたしの邪魔をするなんて、許せるわけがない。
 
 震える脚に力を入れて立ち上がる。スミスアンドウエスンを持ち上げ、ゆっくり歩き出す。
「死んじゃえ」
 銃弾が向かってくるのにも構わず、雪乃はそのうちの一つに向かって歩を進める。
「みんな死んじゃえ」
 引き金を闇に向けて絞る。衝撃で身体がぐらついたが、構わずに撃ち続けた。
 それに応えるように、目の前に光が弾け、雪乃の肩を弾き飛ばした。そのままそこにしりもちを付いたが、それでも雪乃は立ち上がった。
「……生き残るのはあたし」
 薄く開いた唇から血が溢れだしたが、構わずに喋り続けた。
「あたしがおうちに帰るんだから」
 都内に建った大きな庭付きの家。その家の中にある、広くて可愛らしい部屋。そこまで想像するのだが、身体がふわふわ浮かんでいくような感覚がして、目の前に闇が戻ってくる。
 手すりを掴み、見下ろした。闇の中、黒い影が動いている。すぐ下から、雪乃を撃ち殺そうとしている。
「なんで、なんで、邪魔するの──!」
 スミスアンドウエスンを持ち上げるのと同時に、真下から弾丸が放たれた。
 懐中電灯の灯りが、スポットライトのように雪乃の最期の姿を照らす。悪趣味なショーの主人公となった雪乃は、目を丸く見開いて客席を見下ろすのだ。
 
 黄色い光の中で、赤い飛沫が上がるのが見えた。一度呼吸が苦しくなったが、すぐに感覚がなくなっていく。身体がまるで宙に浮いているかのように軽い。
 
 喉を撃ち抜かれた雪乃は、そのまま上体を前に倒すと、手すりのところで身体を折り曲げて落下した。奇妙な曲芸の終わりを告げるように、重い音が室内に響く。締めくくりに灯りが静かに消えた。
 
 
+ + +

 
 井上明菜(1番)は構えていたルガーを降ろすと、床に手を付いて身体を支えた。指先に感じるのは、冷たくなった血液のぬめりだけだ。
 ……終わった。筒井雪乃を殺した。
 落下した雪乃の姿は闇に紛れて見えないが、すぐそばにある黒い塊がそうだろう。自分が雪乃を殺し、あの残酷なショーを一番前で見ることになってしまったのだが、明菜はもうそのことで心を動かされることはなかった。
 明菜も既に重傷を負っていた。襲撃者の死に安心しても、そのことで良心を痛めている余裕は残されてはいなかった。
 痛む体を引きずって、雪乃とは反対の方に寝ている影に近寄る。
「純ちゃん」
 声を出すとじわりと温かいものが傷口から染み出してくる。そして反対に、寒気が全身を襲う。
 純の身体を揺すってみたが、反応がない。襲撃の直後には小さなうめき声が聞こえていたのだが、今はぴくりとも動かない。
 宿泊所の外で純が原田喜美にしたように、頬に手を伸ばしてみる。死体にしては温かい。指先をこめかみの方へ動かすと、そこは更に温かく、ぬるりとしたものに触れた。驚いて手を浮かせかけてしまったが、唇に手をかざしてみてようやく理解できた。呼吸が止まっている。
 
 あの時、ほんの一瞬の出来事だった。耳をつんざくような音が聞こえたと思った時には、身体のあちこちに叩き付けられるような痛みが走り、床に寝そべっていた。誰かが走り去っていく気配がする。続く銃弾の音の中、梨沙の叫び声が聞こえて、明菜は手探りでルガーを掴んだ。
 強烈な痛みの中、それでも明菜の筋肉はまだ生きていた。光の中に浮かび上がった筒井雪乃を見つけると、ルガーを撃っていた。
 何となくだが、もうその時には純は死んでいるような気がしたのだ。確認はしていないけれど、何かあった時には真っ先に側に来てくれていた彼女がいない。それで、ぼんやりと理解した。
 純を殺した雪乃を撃つのには、何のためらいもなかった。それだけではなく、梨沙をも狙おうとしているからには、放っておくわけにはいかない。明菜は一度死を覚悟したけれど、まだ生きている。生かされているから、最期まで戦うことにしたのだ。
 
 それが、終わった。
 もう一度純の肩に手を伸ばす。いつも握り返してくれていたはずの手は、床にだらんと付いたままだ。
 こうなってみれば何とあっけないことだろう。あんなに純に友情を感じていたのに、涙が一滴もこぼれてはこない。
 生前の彼女の言葉を思い出そうとした時、ふと、ある一言が明菜の動きを止めた。
 
 ──”梨沙ちゃんを助けるんだよね”。
 
「うん、そうだった」
 明菜は独りごちながら、もう一度ルガーを握り直し、ポケットから弾を抜き出した。汗と血で滑りそうになりながら、手探りでルガーに弾を込める。
 
 明菜は梨沙を助けるためにここに来た。
 梨沙を傷付けようとした雪乃は死んだ。そして、彼女を助けるために必要なことはもう一つある。
 傷付いた身体を起こし、振り向いた。薄明かりの中に黒い男の背中と、側に座っている梨沙が見える。
 ルガーをしっかりと握りしめると、明菜は男の背中に暗い銃口を向けた。



【残り2人+1人】

Home Index ←Back Next→