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the Last Judgment

 続けざまに閃光が走る。
 梨沙は身体を折り曲げて頭を抱えていた。
 身体が小さいせいか、それとも襲撃者がこちらの場所を把握していないか──とりあえず、弾丸は梨沙のところまでは届いていない。前者ならば、コンプレックスだった自分の身体に感謝しなければならない。
 ほんの一瞬だけ、相澤祐也がやってきたのではないだろうかと思った。
 だが、花井だけにならばともかく、明菜たちや梨沙の近くまでマシンガンの光が降り注いでいる。相澤祐也ではあり得ない。
 
 ──怖い。
 全身が震えだし、歯がかちかちと鳴る。
 
 プログラムに選ばれたと分かった時、花井に遭遇した時、クラスメイトたちの死を目の当たりにした時──そのどれもが怖かった。それでも理性を失わずにいられたのは、いつも近くには誰かがいて、相澤祐也によって与えられる希望があったからだ。
 しかし今は隣には誰もいない。たった独り、暗闇の中で拘束され、今にもマシンガンの雨に撃たれそうになっている。
 握りしめる指先が冷たくなり、脂汗が浮かぶ。遠いと思っていた”終わりの瞬間”が近付いてくる。
 
「……お姉ちゃん」
 霊的なものなんかない。あたしを助けてくれるものなんかない。
 だけど──あたしだって人間だ。何かに縋りたい時だってある。
 お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん助けて。
 
 不意にどん、と体に衝撃を感じ、梨沙は叫んでいた。
「きゃああ」
「声をあげるな──狙われる!」
 自分を抱きすくめているのが花井であることを理解するのには時間がかかった。
 ただ、怖かった。自分に向かってくるもの全てが恐ろしかった。何かに触れた途端、体が弾けて死んでしまうような気がしたのだ。
 錯乱状態で花井の胸を叩いたが、びくともしない。小柄な女子中学生と男の圧倒的な力の差。
 耳元で荒い息遣いと舌打ちが聞こえた。しかし、それは梨沙に胸を叩かれた苛立ちによるものではないようだ。
「くそ、こんな時に」
 花井の焦燥した声は初めて聞くかもしれない──と、場違いにも思った。
 大きな手が伸びてきて手首を掴まれた。鎖の音がすぐ近くで聞こえる。どうやら、花井は手錠と鎖を離そうとしているようだ。だが、なぜわざわざそんなことをしようとしているのか、全く分からない。
 ぱぱぱぱ、とタイルに火花が散り、光の列が二人に迫ってきた。花井がそれを振り返る。
 終わりだ。二人とも、終わる。
 目を固く閉じ、思わず花井の制服の端を掴んでいた。
 しかし次の瞬間、梨沙は室内プールの床を背に寝そべっていた。
 頭上に見える水飲み場の縁が削れ、白い粉が舞う。そこまで見守ってやっと、梨沙は胸が苦しいことに気付いた。
 自分の上に花井が覆い被さっている。火花の中で浮かび上がった花井のつむじが、初めて見るアングルでなんとも奇妙だった。
 
 ……自分より大きな男の人をこうして見下ろすようにしているのは、不思議な感じ──ああ、違う。それよりも、何で、この人はあたしを──。
 
 梨沙たちを追い掛けていた光が止まった。花井は素早く体を起こし、プールを挟んだ二階席に懐中電灯を向けた。
 
 ぼんやりとした黄色い円の中央に一人の少女が立っていた。突然の光に目を細め、マシンガンを抱えた腕を引き寄せて闇に逃げる。
 光が二階席の少女──筒井雪乃(18番)を追う。形勢が逆転した。
 その姿を見て、おぼろげながら分かった。二階から侵入できると知った雪乃は、全員がここに集合したのを見計らい、上から奇襲をかけた。梨沙が相澤祐也に伝えようと思った作戦を、あっさりと彼女はやってのけた。
 静寂の中、再び室内に一発の銃声が響いた。二階席の手すりに火花が散る。花井のコルトガバメントではない。梨沙と花井は同時に音の方に振り向いた。
 明菜と純がいるであろう場所から聞こえた銃声。そして二階の雪乃を狙った攻撃。
 二人は──少なくとも、どちらか一人は生きている。襲撃者に応戦するだけの力が残っている。
 花井も梨沙と同じことに気付いたのだろう。当座の敵は襲撃者に絞られた。
 はじめの一撃で相手に致命的なダメージを与え、体制を立て直す隙を与えないことでこの奇襲は成功する。初めに思いついた梨沙も思い至らなかった、この奇襲の大きな穴。筒井雪乃はうまく狙いを定めずに撃った(花井はぴんぴんしているし、明菜たちもまだ動けるようだ)。そしてマガジン交換の際に隙が生じ、その間に自分の居場所を敵に把握されてしまった。
 雪乃は漁夫の利を狙ったつもりだったろうが、まさか揉めていた双方が組んで(といえるかどうかはまだ微妙だけれど)自分に攻撃を加えようとは思わなかっただろう。
 
 花井は再び梨沙の腕を掴み、ポケットから鍵を取り出した。
「今外す」
 囁き声が耳元をくすぐる。暗闇の中では気付かなかったが、いつのまにか花井が接近していたようだ。思いがけずに胸の奥が脈打つ。──こんな時にこんな人にドキドキして。あたしはなんて脳天気なんだ。
 これと似た感覚を知っている。もっと温かく、幸せな気持ちになれる、あの人とのやりとり。自分でもませていたなと思うけれど、初めて会って抱き締めてもらった時の安心感は忘れられない。相澤祐也の温かい言葉の全てに、小学生の時からずっと、不思議とドキドキさせられた。
 梨沙が反応を示すより早く手錠が外れた。
 一度花井との距離が開いたが、もう一度腕を掴まれた。掴まれたと思った時には、引っ張られて走り出していた。
 それを待っていたかのように、マシンガンの音と光の帯が頭上から降り注ぐ。
 ぼんやりしていた梨沙を引きずるようにしながら、花井はプールの端まで駆けた。壁に手を触れると、勢いをつけてそこにしゃがんだ。
 規則的な音が続き、梨沙たちから離れたところを光の弾道が彷徨う。
「丸見えだな」
 花井の言葉の対象を探し──梨沙は目を丸くした。
 発砲している雪乃の手元は光り続けている。懐中電灯で照らすまでもない。雪乃の場所はこちらから丸見えだ。
 がーんと頭の中が破裂しそうな音がして、梨沙はしりもちをついた。一点の灯りがともり、雪乃の姿が照らし出される。
 花井が放った一発の銃弾は見事にキャリコを打ち抜き、雪乃の腕から壊れたマシンガンがこぼれ落ちる。がしゃっという無機質な音が灯りの下から聞こえた。
 薄明かりの中、雪乃の顔が歪んだ。光から逃れようと飛び退き、腰のあたりを手で探る。
「まだ銃を持ってやがる」
 頭上から聞こえた花井の呟きも気になったが、梨沙は別の方向ばかりを気にしていた。
 明菜と純がいるであろう場所。先ほど銃声が聞こえたのが嘘のように、彼女たちは静まり返っている。
 再び花井の拳銃が火を噴く。梨沙は片手で耳を押さえながら、火花で青白く浮かび上がった花井の顔を見上げた。そして、がっちり組まれている右腕に気付く。
 ぐっと引っ張ってみたが、更に強い力で引き寄せられた。
「離れるな。死ぬぞ」
 明菜たちのところへ行きたいと思うのだが、とても今は離してもらえなさそうだった。



【残り4人+1人】

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