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new rule

「先生」
 部屋に戻ってきた渡辺ヨネを見つけると、一人の兵士が声を掛けた。
「お電話は終わりましたか」
「ああ、うん、ごめんね。ちょっと私用でさ」
 いつもの笑顔を浮かべながら席につく。
 
「先生、さっきの花井のことですが」
「うーん、あれか、放送だね?」
「はい。ルールを勝手に作る気ですかね。ある意味プログラムの乗っ取りですよ」
 花井のやり方に反感を持ったしい兵士が息巻いて言う。
「まあまあ。呼び掛けをしちゃいけないルールはないんだからさ。いいじゃないの。それにさ、花井君はゲームを早く終わらせようとしてくれてるんだ。そのへん考えれば俺たちは花井君に味方してあげるべきだよ」
 ヨネは笑顔で兵士の言葉をかわす。同じように煮え切らないような表情をしている兵士を指差した。
「君、ちょっと」
「何ですか?」
「外はどうなってるかな。見てもらえる?」
 兵士は窓に向かって歩き、カーテンを素早くひっぱった。その様子を見守っているヨネと他の兵士たちの姿が、蛍光灯のあかりを受けて窓ガラスに映っている。
 窓に顔を近付けて見た後、兵士はおもむろにサッシに手を掛けて開いた。機械音しか聞こえていなかった部屋の中に、自然の雨音が入り込んできた。
「降っていますね」
「そうだね。ありがとう。天気予報はどうなっていた?」
 今度はパソコンを叩いている兵士にたずねた。
 ディスプレイに向かっていた金髪の兵士が、面倒臭そうにキーボードを叩き、ヨネに席をゆずった。ヨネは「口で報告してよね」と文句を言いながら、隣の椅子に移る。
 画面には地図と天気の記号がずらりと並び、関東南部に雨傘のイラストが踊っている。しかし、ただの雨ではない。
「まずいね、台風が近付いてる。日付変わったくらいからひどくなるみたいだ。予想はしてたけどなあ、まさかこんなタイミング……ああ、まあ、いいか。ちょうどいいや。放送の準備して」
 頭を抱えたままのヨネを見下ろして、兵士たちがどよめいた。
「え、放送、ですか?」
「うん、放送」
 それでも数秒立ちすくんでから、兵士の一人がマイクの立ててあるところへ歩いていった。
 
 
 側で見ていた金髪の兵士が腰を曲げ、ヨネに顔を近付けた。
「天気予報でもしてやんの?」
 ふざけた調子で言われた言葉に、ヨネも笑みを返した。
「あはは、それも面白いね。って、そうじゃなくてー雨が強くなったら放送聞こえなくなっちゃうでしょ。だから大事なことは今伝えようと思ったの。それにちょっとだけ、花井君のお手伝いをしてあげるよ」
 よいしょ、と小さな掛け声と一緒に立ち上がる。
 
 
 マイクの電源を入れた。もう何度目かの放送なので慣れている。それでも一応、マイクの先を指先で弾いてみた。
 
『みんなこんばんは。といっても、さっきぶりだね!』
 
 何事かと雨降る空を見上げる生徒たちの姿を思い浮かべると、子供がイタズラをする時のようにわくわくする。
 
『雨が降ってきたから避難しよう! ちなみにね、今晩から明日中、関東地方に集中豪雨です。台風が近いのかな? 嫌だなー』
 
 何と親切だろう。即興ではあったが、天気予報を入れてみた。先ほど会話した金髪の兵士がにやにやと頬を緩ませてこちらを見ている。ヨネも一緒になってにやついていたが、本題はここからだ。
 
『というわけでー、花井君の意見も考慮に入れたらちょうどいいから、みんな、宿泊所に集合! ……ん、今七時過ぎだね。じゃあ、あと二時間あげよう。午後九時までに宿泊所のエリアに入ることー。それ以外は全部禁止エリアにするよ』
 
 兵士たちがいっせいにヨネの方を向いた。強引なやり方に皆驚いて目を丸くしている。
 だが、これで終わりではない。
 
『んーそうだな、それから、宿泊所は夜の十二時に禁止エリアだ! それまでに優勝者を決めてよねー。それじゃあまっ、嵐が来る前に優勝者さんカモン!』
 
 勢いに任せてマイクの電源を切った。
 部屋の中の静寂がおかしくて、ヨネはにやりと笑った。
 
 
「ずいぶん無茶苦茶なこと言いますね」
 戻ってきたヨネを迎えた兵士は苦笑している。今になってようやく他の兵士たちもざわめきだした。
「そんなの、このゲーム自体が無茶苦茶なんだから。今さらどうってことないよ」
 そう言いながら、持ってきていた缶詰めとレトルト食品の箱に手を伸ばす。ここへ来てから二回目の晩御飯。そしてこれが、この島での最後の食事になるはずだ。
「俺よりは花井君だよ。随分無茶したもんだね。目的のためなら手段は選ばない、か。このままだと花井君、最後には……」
「なんだよさっきからよう」
「最後のお楽しみだよ」
 金髪の兵士が不満げにヨネの隣に腰を降ろした。いつの間にか持ってきていたらしい菓子パンの袋を乱暴に破り、中身を頬張る。
「ところであんたさ、誰に賭けたんだ? もう優勝は花井で決定みたいなもんだろ」
「じゃあ君だったら誰に賭けていた?」
「そりゃ花井だろ。訓練積んだ男がメスガキに負けるわけないっての。その通り、もう優勝目前だしな」
 金髪は得意げに答える。単純で素直なやつだと、ヨネはいつも思う。
 嫌いではない。だが、こういう計算せずに感覚で動くタイプは、ついからかってしまいたくなる。
「ふんふん。そうかあ。至ってまともな答えだ」
「あんたもそうだろ? 違うのか?」
 苛立った調子でヨネの答えを急かし、残りのパンを大口でかじる。
「さあ、ね。世の中何が起こるか分からないよ。ただの偶然で大当たりが出るっていうよりはさ、情報が大事だったりするんだよね──俺は神がかったものなんて信じないからさ。俺が信じるのは現実と、それによって推測される出来事──」
「わけわかんねえよ」
 ついに怒りをあらわにし、金髪がパンの袋を握りつぶした。笑いを噛み殺しているヨネと、脚を投げ出して貧乏揺すりをはじめた金髪の側に、別の兵士が近付いてきた。
 金髪の友人──こちらも派手に色をつけた髪を揺らして、金髪の頭を叩いた。
「いや、俺には分かったね。お前がバカなんだ。おい、バカ!」
「ああ? お前のがバカに決まってんだろ。じゃあもう一回こいつが言ったこと説明してみろよ。ほら、おい、やっぱり分かってねえじゃねえか。知ったかすんなよ」
 すぐ近くではじまったやりとりに、ヨネは肩を竦めた。普通の人間であったら最も近付きたくない場面だろう。明らかに”ヤバい奴ら”が喧嘩しているのだ。
 しかしそれも、ヨネから見れば可愛らしいじゃれあいだった。かつてはこんな生徒がごろごろいる学校にいたのだから、もう慣れっこだった。
「パソコンの側にいるんだからね、暴れたりはしないでよ」
 被害が自分に及ばないうちにと、ヨネは席を立った。
 レトルトカレーの袋を持って、ガスコンロがある一室を目指して歩きだす。
 
 ふと、妙な思いつきが起こってヨネは足を止めた。
 ……花井君はこうなることも予想していたのかな。
 花井崇には特別な理由が存在する。それゆえに、全てにおいて調査を怠っているはずはない。
 そう考えるとヨネが放送で協力することも、更には雨さえも──何もかも、プログラムの全てが花井の計算の中に含まれているような気がしてくる。
「まさかね。気持ち悪いなあ」
 口に出して否定した。珍しく自分の考えに対する自信が揺らぐ。
 ……全てが花井君の思い通りなんて、そんなわけないじゃないか。全部、花井君の計算も含めて俺の思い通りに事が進むはずで──事実、そう進んできているんだから。
「先生?」
 床を見つめたまま突っ立っていたヨネに気付き、兵士が声を掛けた。
「ん、何でもないよ。今、ガスコンロ使えるかな?」
「はい、大丈夫だと思いますよ」
 笑顔で礼を言い、ヨネは再び歩き出した。
 カレーカレーと嬉しげに呟きながら、それでもどこか、心の奥に花井のことが引っ掛かっていた。



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