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a sneer

 島に静寂が戻った。風だけがぼうぼうと耳元で叫ぶ。空は深い藍色になっていたが、雲が出ているせいか星は見えない。かわりに遠く見える半島の灯りだけが大粒の宝石のように輝いている。
 筒井雪乃(18番)は水産試験場の入り口に座っていた。膝を抱えるような格好に、風で舞い上がるスカート。しかし、雪乃は隠すこともせずにそのままでいた。
 二回の放送について考えながら、雪乃は膝の上に腕を乗せた。
 残りの人数は雪乃を入れて五人。それはとても喜ばしいことだった。加えて、厄介な転校生が一人減ったことも、雪乃にとってはいいことだった。
 ただ一つ気になるのが花井の放送だった。梨沙の姉のことについてはもちろん驚いたが、「カワイソウだけど、あたしの命にはかえられないよね」と割り切ることにした。問題はそれよりも──。
 
『C=6、宿泊所一階の室内プールへ来い』
 
 開けた場所に行くことでさえ気が引けるのに、宿泊所の中、それも一階のプールとは指定が細かすぎる。そこに行き着くまでに何か罠が張られている可能性だってある。プールに着く前にどこか物陰から撃たれることだってきっとある。
 反対にこの放送はありがたくもあった。このあたりにいる生徒は一掃してしまっていたし、どこへ逃げたか分からない花井に怯えることはとりあえずなくなった。梨沙を除いた残りの二人の居場所が分からない中、宿泊所に行けば全員を倒すチャンスができるかもしれないのだ。
 しかし、あの放送を全て鵜呑みにしていいのかと考えると、雪乃はどうしても首を振りたくなる。罠であることももちろんだけれど、もし花井と梨沙が、あるいは雪乃以外の者が組んで、雪乃をおびき寄せようとしているのかもしれない。
 ……行くべき? それとも、ここにいるべき?
 雪乃は左脚を揺すりながら舌打ちした。ほんのわずかの判断ミスが死を招く。今までの努力が無駄になる。そんなことになったら悔しすぎて浮かばれない。
 ……でも。
 名簿を見た。残り五人。乱雑に線を引かれた名前の数々と、今まで見てきた死体の映像が頭の中に連続再生されていく。どれも酷い。魂が抜けてしまったら、生前どんなことをしていようがゴミ同然に成り下がる。
 思い出して体がぶるっと震えた。
 まだ出発地点にいた時、まだゲームに対する迷いがあった時、雪乃は今のように震え上がった。
 
 佐藤彩(11番)が手を上げて発言した時、何となく予感があった。彩はきっと逃げるのだろうと。それから連なって出ていこうとする仲間たちの声を聞きながら、体の中に不思議な焦りを感じていた。自分だけ逃げ遅れたかもしれないという焦燥と、逃げようとすれば何が起こるかを同時に考え──ついに銃声と悲鳴が響いた。
 一歩間違えば雪乃もあの時死んでいたかもしれない。何度も思い出すたびにぞっとする。仲間たちの死体の側を通った時、普通は心が壊れて錯乱状態になったかもしれないが、雪乃がそのようにならなかったのには理由があった。
 ……こんな風になりたくない。
 その思いが雪乃の心を固く凍らせた。
 身だしなみに気を使って化粧をしたり、何キロ太っただの痩せただのと騒いでいた仲間たちは、一瞬にしてひどい姿になってしまった。あんなに見た目に気をつかっていたのに──こうなればひどいもんだ。彼氏が欲しいとか言ってたけど、もうダメでしょ、その姿じゃあ。
 悲しくはなかった。彼女たちはあまりに生前の姿とかけ離れたものになってしまっていたので、死んだという実感なんてわかなかった。ただ、汚く壊れていた。死体を見下ろす雪乃の目には同情の涙はなく、崩れてしまった者への侮蔑が含まれていた。
 その時に決めたのだ。自分はこんな風にならない。生き残って家に帰って好きなことをして、また周りから「かわいいね」と言ってもらえる日々が戻って来るなら──そのためなら何だってできる。
 
 そう。何だってできる。
 空に向けて首を伸ばし、深呼吸した。静かな曇天の下、雪乃の呼吸する音だけが聞こえる。
 行ってみるしかない。それしか生き残る方法がないんだから。
 肩から下げていたキャリコM950をチェックした。マガジンにも弾は詰めてある。それから、スミスアンドウエスンM29もある。最終決戦には申し分ないくらい武器は揃っている。
 ゆっくりと立ち上がり、スカートの裾を引っ張った。
「生き残る。優勝する。おうちに帰る」
 キャリコをしっかりと右手で掴み、雪乃は唇の端を釣り上げた。



【残り4人+1人】

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