71

too much pain

 ……この男の言葉に一度でも期待したあたしがバカだった。
 
 下唇を噛み、梨沙は花井の顔を睨み付けた。
 あたしの”味方”。みんながここへ来るまでの。つまり──。
「全員集まったら、みんなを殺して、それからあたしを殺すの……」
 自分からそう言ってみると、遠い世界にあったはずの死が目の前に広がるようだった。それでもまだ、自分が死ぬのは一番最後だと思いたいらしい。
 マイクを降ろし、花井が口を開いた。
「本当はあの時殺すつもりだったけど、考え直した。俺は一人で不利だ。おまけに人数が少なくなってどこに隠れているか分からない。何とか一ケ所に生徒を集められればと──そのために全員を集めるだけの餌が必要だ。あんたを生かしたのはそういうわけだ」
 呆然とする梨沙を見据えたまま、皮肉っぽく唇を歪める。
「あんたは小さくて持ち運びにも便利そうだったから」
 腕が震え、手錠が擦れてカチカチと音を出した。
 つまり──香奈の遺言に何かしらの感銘を受けて生かしたのではなく、梨沙を餌にするためだけに生かしたというのだ。集まってくる他の生徒を殺し、梨沙を殺して優勝する──そういう作戦だというのだ。
 そして確かに、体が小さければ扱いやすいというのは間違いではないだろう。もし、香奈と梨沙が同じような体格だったらどちらが殺されていたかは分からない。逆に言えば、そのような花井の勝手な都合で香奈は殺されてしまったのだ。
 花井がまた、マイクを口元へと運んだ。
「……やめて!」
 振り向いた花井と視線がかち合う。
 どうしよう。明菜たちだけじゃない。相澤さんがここへ来る! この男に殺されてしまう。
 しばらくの沈黙の後、花井が梨沙の方に体を向けた。マイクを握った花井の腕が伸びてくる。
「泣け。仲間を呼ぶんだ」
 梨沙の唇にマイクが押し当てられた。
「いや……」
 口元に押し付けられたマイクを払おうにも払えない。首を無理に動かし、梨沙は顔を背けた。
 間髪入れずに花井の左手が顎を掴んできた。強い力で顔を戻され、頬に花井の長い指が食い込む。微かな呻き声は出たが、今泣いて助けを乞うわけにはいかない。
 我慢はしたが涙だけはぽろぽろと零れ、頬を伝って花井の手の甲を濡らしていく。
 
 想像した。
 縛られた梨沙の目の前で、明菜たちと相澤祐也が順番に殺されていく。
 愛する人たちの死を目の前にして何もできない。
 あの、姉の死に顔に触れた時の絶望を再び味わわなければならない。そんなことはもう、したくなかった。
 
 薄く目を開いた。涙の膜越しに花井がのぞきこんでいる。
「あなたがどうしてここに来たか知らないけど」
 声が嗚咽で震えたが、続けた。
「こんなゲームを喜んで進めようとする神経がわかんない」
 花井が小さく舌打ちし、顎を掴む力を強めた。頬の肉が圧迫され、その下の骨に響くような痛みが走った。しかし、やめるわけにはいかない。
「あなたに分かる? 家族が殺された苦しみ。分からないでしょうね。こんなひどいこと、平気でして」
「分かったような口をきくな」
「そっちこそ!」
 かっとなってつい大声が出た。
 姉が死んだ後の母親の泣き顔、相澤祐也の泣き顔、それから──自分の泣き顔。それらが頭の中をぐるぐる回っている。
「何も知らないくせに……あなたになんか……お姉ちゃんがプログラムで殺されたあたしの気持ちなんて、一生──」
 言葉に詰まり、梨沙は口を閉じた。
 
 ──お姉ちゃん、友達が死んだ時、こんなふうに泣いたんだろうか。辛かったんだろうか。
 殺されそうになった時、怖かっただろうな。傷付けられて痛くて苦しかったんだろうな。
 プログラム中に思い浮かべた、お父さんお母さん、それからあたしの顔はどんなだっただろう。家に帰れないと分かった時、どんなに大きな絶望を味わったんだろう。
 
 涙が溢れて止まらなかった。
 ずっと、たまに思い出してはこのようなことばかり考えてしまう。夜中に泣いて、翌朝目が腫れてしまったことも何度もあった。
「……あたしはこれ以上、自分の好きな人たちが死ぬのを見たくない」
 黙って聞いていた花井が、梨沙の顎を乱暴に放した。これもまた強い力だった。頭がぐらつき、固定されている手首を中心にぐるっと体が回転し、壁に勢いよく頭をぶつけた。衝撃で子犬の鳴き声のような悲鳴が喉からこぼれた。
 梨沙は揺れる視界を第三者の目線を通して見るように感じていた。テレビなんかでよく見られる、倒れて空を仰ぐビデオカメラの映像を見ているようだった。しかしそれも一瞬のことで、後頭部にじわりと痛みが広がっていく。
 花井にとっても予想外のことだったのか、一瞬驚いた表情で梨沙に手を差し出しかけた。中途半端な情けを見せるのがこの男の癖なのかもしれない。
 差し出しかけた手を引っ込め、それでも梨沙の方を少し気にするそぶりを見せながら、花井がマイクに向かって喋った。
「繰り返す。C=6、宿泊所一階の室内プールへ来い。優勝者はここで決める」
 早口に言い切ると、マイクの電源を切った。

 壁に寄り掛かったままぐったりしている梨沙を覗き込み、花井は黙って何か考えているようだった。一度梨沙の肩に手を伸ばしかけ、やめてまた違う角度から覗き込む。それを繰り返した。
 梨沙の方は、ただぼんやりとしていた。何とかしたい、何とかして生徒がここに集まるのを防ぎたいと思うのだが、どうにもできない。放送を止めることもできず、逆に花井の圧倒的な力の下にねじ伏せられてしまった。
「頭をぶつけたのか」
 花井が苛立った調子で言った。
「どこが痛む」
 うつろに眼球を動かし、花井の顔を見た。しかし、今は何も答える気分にはならない。
 痺れをきらしたのか、不意に花井が手錠を外しにかかった。
「答えないなら平気だと見なす。プールまで降りるぞ」
 両手の拘束を解かれ(それでもまだ片手には手錠がぶらさがっているけれど)、梨沙はふらつきながらも促されて立ち上がった。花井が持ち上げた銃口で扉を差した。
 背中に銃口が押し当てられたのが分かった。──疑われるようなことは一切できない。
 銃口の感触がある背中に冷や汗が出てくるのが分かる。緊張と疲労で歩みはゆっくりであったけれど、梨沙は頭の中を何とか動かそうと必死になっていた。
 埃だらけになった宿泊所の床を見つめながら、花井から逃げ出す方法を考えた。
 ぴったりと体の横につけた腕に当たる感触──右ポケットには携帯電話。左には確か、香奈から受け取ったデリンジャーが入っている。デリンジャーに弾を入れられれば──そう、一人になれる時間があれば──。
 問題はどうやって一人になるか。一人になって、片方の手だけでも使える状態でなければ厳しい。そんな好条件にめぐまれることは、これから果たしてあるだろうか。
「左だ」
 花井の声に驚き、梨沙は背をしゃんと伸ばした。言われるままに薄暗くなった廊下を左に曲がり、階段を目指す。
 ……早くしないと。プールに連れていかれる前に、何とかしないと。
 無意識のうちに梨沙の歩幅はどんどん小さくなっていった。それに気付いた花井が強く背中を押した。
 ……ああ、もう、だめかもしれない。時間ない。それにさっきのあれのせいで、頭痛いし──。
 ──頭!
 脳みその中にびりっと電気が走るような思いつきが浮かんだ。
 うまくいくかは分からない。きっと最後のチャンスになるだろう。
 階段の手すりを握りしめながら、梨沙は一番下の段を見つめた。最後の段に差し掛かった時に、実行するしかない。
 成功する確率は四十パーセントほどか。いや──半分までいくかもしれない。
 下の段が近付いてくる。梨沙は大きく息を吐き、拳を握りしめた。



【残り4人+1人】

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