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You were my angel.

 大東亜記念館二階の一室で、渡辺ヨネは呑気に窓の外を眺めていた。
 南向きの窓から見える景色は、この島の中で起こっている惨劇とは全く遠い世界のように思われた。沈んでいく太陽に照らされた条ノ島大橋、その向こうに見える二浦半島の家々の灯りは平和に瞬いている。
 仕事は思ったよりも早く終わりそうだった。ちょうど一日前にプログラムがスタートし、もう残りは六人ばかりになっている。うまくいけばあと数時間で終わるかもしれない。思わず鼻歌まじりになって、ヨネはうっとりした気分で頬杖をついた。
「……二十番中村死亡」
 兵士の声に顔を上げ、ヨネは紙に名前を書き出した。それから思い出したように頬を緩ませた。
「ああー、あの子だね。ほら、俺のこと殺すって言った、背の大きい子」
 答える者はなかったが、続けた。
「死んじゃったんだ? 残念だねえ。それで、誰と戦ったの?」
「花井」
 兵士が答えた。ヨネはテーブルの端に置いたペットボトルを手に取り、笑みを洩らした。
「花井君。それじゃあ無理ないね。俺はあの子の担当じゃなかったけど、聞いたところによると特殊訓練を受けた子の中でもとりわけ優秀だったそうだよ」
 それからちょっと沈黙のあと、「真由美ちゃんも」と言った。
「佐倉ですか」
 別の兵士が聞いた。ヨネは一度首を縦に振り、少しずつ思い出を語るような口調で話し出した。
「真由美ちゃんはいい子だったよ。会ったばかりのころはろくに口もきいてくれなかったけど、段々俺と話してくれるようになったんだ」
 ペットボトルを口に付け、水を飲んだ。
「訓練を受けた期間は一年にも満たない。元から運動神経抜群てわけでもなかったし、それを考えたら花井君と並べて参加させるのは無意味にも思えるよな。でも──」
 兵士の顔を見た。
「あの子には花井君の技術に匹敵するほどのものがあった。何か、分かるか?」
 いつの間にか他の兵士たちも手を休め、ヨネの言葉に聞き入っていた。彼らを充分見回した後、ヨネは笑って続けた。
「嫉妬だよ。いや、恨み、かもしれないな。それが花井君とは桁外れのやる気を生み出した原因なんだ」
 言葉を切り、タオルで口元を拭った。
「シット? 何にだよ?」
 話に興味を持った兵士が身を乗り出した。パソコンにくっついていた体は、今ではすっかりヨネの方に向けられている。
「首輪からの盗聴を聞いてなかったの? あの子は前の大会で随分酷い目に遭ったんだよ。好きだった男の子に騙されて殺されかかったんだ。それからやっと信用できる彼が出来たと思ったら、裏切られて? 街ですれ違う子はみんな自分より幸せそう。今回プログラムに選ばれたクラスの子は特に、ほとんど不服のない生活を送ってる。そんな酷い目に遭ったことなんか一度だってない。そしたら」
 ヨネが一気に喋り、兵士たちが頷く。
「そしたら、悔しくなるだろ。何で私だけ? 思うだろ? その証拠に、このプログラムに参加を希望したのはあの子なんだよ。俺が無理矢理このクラスをすすめたわけじゃない」
 目を伏せ、「花井君とは違うんだ」と呟いた。ほんの一刹那、表情をなくしていたヨネが顔を上げた。
「そういえば初めて俺が声を掛けた時、援交したいの?って睨まれたよ。──はは、俺みたいなオッサンが寄ってきたらそう思うよなあ」
 情景を思い浮かべているのか、窓の外、条ノ島大橋の向こうの山々に目をやりながら笑んだ。自虐的な笑いだったが、兵士たちは黙ったまま、誰も笑うことはしなかった。
「可哀想にな。あの子は誰も信用できなかったんだ」
 ヨネが残酷な、それでいて愛しむような目を遠くに据えて、神経質に口元を歪ませた。
「でも、ちょっと複雑だな。真由美ちゃんがプログラム後どんな目に遭ってきたか、俺はおおまかにしか知らなかったんだ。そう考えると最後にさ、花井君を信じられたんだなって思うよ。俺にはあそこまで言ってくれなかったんだからね。よかった、のかなあ……」
 兵士たちは俯いたまま、答えない。しばらくの沈黙の後、ヨネがようやく元の調子で手を叩いた。
「いやっ、寂しいものだね。可愛い娘みたいだったからさあ」
 乾いた笑いが部屋に大きく響いていく。兵士の一人がぎこちなく椅子に座り直した。それを皮切りに、他の者も金縛りが解けたように動きだした。
「それで、花井君が死体愛好家って噂は本当なの?」
「それがよくわからねーんだよ」
 乱暴にキーボードを叩きながら、金髪頭の兵士が首を傾げた。
「どうして? 衛星には映ってないの?」
「そうなんだよねー。だってあれってどっかの家の中だっただろ」
 パソコンを覗き込み、ヨネは画面を注視した。衛星の映像が映し出されている。兵士がマウスを動かすたびに、条ノ島管理事務所がアップになっていく。しかし、肝心の建物の中身が見えない。
「音声で変わったところは?」
「それもナシ。それっぽい音はなかったんだよ。変だよなー」
 望月操(34番)の首輪の盗聴記録と、花井が死体と一緒にいたという事実から考えれば、花井にそのような趣味があったと疑いがかかるのも無理はない。だがどうにも、それを裏付けるものがない。操も「脱がせていた」としか言っていないし、事実はそれだけかもしれない。ひょっとしたら、そのような趣味とひとくくりにしてしまったけれど、服を脱がせるだけで満足して悦びに浸れるような性癖の人間もいるのかもしれない。
 こんなばかげたことを一生懸命考えてしまうのも、全て仕事が順調にいっているせいだった。目立ったトラブルもなく、プログラムは実にスムーズに進んでいる。もう少しこの彼の変わった性癖について推理するのもいい暇つぶしになるだろう。
「さっき中村さんが死んだって言ったね? 彼女はどうやって死んだの?」
「中村……ああ、こっちも建物ん中だな。銃声はしなかったから、首絞められたか刺されたかってとこじゃねえの? ま、こっちは時間的にもヤるのは無理だな」
 ヨネは兵士の露骨な物言いに苦笑しながら机に戻った。中村香奈についての資料を取り出し、死亡時刻と死亡原因を書き加えた。死亡原因はあいまいだったが、いつも清掃業者が来てから本格的な検死を行うのだ。問題は特にない。
 香奈の行動記録に記されている一つの名前にヨネは目をとめた。
「そうだそうだ。花嶋梨沙ちゃんは?」
「それが……」
 衛星の中継を見つめていた兵士がヨネを振り返った。その隣の兵士はヘッドフォンを耳につけて首を傾げている。
「なになに?」
 二人の間に割って入り、ヘッドフォンを着けた。
 中継に黒い塊が高速で道路を走っていくのが映っている。ヘッドフォンからは大きな排気音と規則的なノイズが聞こえる。
「映像拡大して」
 喋りながら、ヨネは自分でマウスを操作した。黒い塊が段々大きくなり、やがてそれがバイクに乗った一組の男女であるところまで分かるほどになった。花井が梨沙を後ろに乗せて、バイクで走っている。
「バイクだ」
「なんで女が大人しく乗ってんだ?」
「ほんとだ、どうなってんだ」
 この不思議な出来事に興味をそそられて集まって来た兵士たちをよそに、ヨネは机を離れて窓に向かって歩き出した。
 すっかり日が落ちて、外は段々と藍色に包まれていく。部屋の灯りが、ヨネとその向こうでパソコンを囲んでいる兵士たちを窓ガラスに映している。遠くの灯りを透かして見ながら、ヨネはまたひっそりと笑んだ。
「花井君が何を考えてるのか、俺にはよく分かるよ」
 兵士たちが顔を上げて振り返った。答えを急かすような視線がヨネに注がれる。
「まあ見てなよ。そのうち大きな動きがあるから──さっ、俺はトイレ行くかな」
 いつものにやけた笑顔を残して、ヨネは思わせぶりに部屋から出ていった。



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