「きゃああ! やああ!」
狂ったように叫びながら、腰だけでずるずる後退した。
十メートルもない距離に、女の子が立っていた。クラスメイトのはずが、初めて見る顔のように錯覚した。筒井雪乃(18番)がマシンガン──キャリコM950を抱えて笑みを浮かべているという、何とも非現実的な目の前の状況に、操は置いてけぼりをくらっていた。
「操ちゃん」
雪乃がにっこり笑んで、今度は操にキャリコの銃口を向けた。それでもまだ、その甘ったるい口調と銃口のアンバランスな様に、一瞬思考がまわらなかった。ただ、得体の知れないものへの恐怖だけは感じていた。
「あっ……ああ……」
今の感情はとても言葉にできそうにない。それ以前に、歯と唇ががたがた震えて、言葉を紡ぐことができない。
どうして──これは……何なの?
紗代の死体に視線を移した。雪乃も、操の視線を追って伏し目がちに紗代を見た。
「ああ、長谷川さん?」
やけにあっさりとした、冷たい口調だった。
「しょうがないよね? わかるよね?」
操は腰に力を入れ、無理に立ち上がった。ぐらっとよろけたが、何とか踏み止まった。脚全体が、生まれたばかりの子鹿のように震えてしまっていた。
立ち上がった操の胸に合わせるように銃口が上がったが、操は同時に踵を返し、林の奥に向かって駆け出した。背後にぱぱぱ、という銃声が迫ってきていた。
逃げなければ、と思った。そして、ぎりぎりのタイミングで逃げられたと思った。しかし──じわっと、背中に痛みと熱が広がった。
操はそれでも走った。リレー選手の雪乃に勝てるとは思わない。さらに撃たれてしまっては、きっと逃げ切れるなんて夢のまた夢。それでも──それでも、操の脚は休もうとしなかった。恐らく本能的に、死から逃れようとしているのだ。
背中に火のついた導火線をぶら下げて走っているような気分だった。撃たれた箇所はじりじりと焼けるように熱く、追い付いてくる弾丸の恐怖からは逃れたくとも逃れられない。
ぱぱっ──と音が途切れた。弾切れだ、逃げよう、逃げられる──思ったが、音に遅れて操の体は、幅跳びの選手のように飛び上がっていた。
眼下に草に覆われた地面が見えた。操は重力の働くまま、林が途切れた場所から少し下の原っぱに投げ出されていた。
地面に叩き付けられるたび、操は咳き込んで血を吐き出した。しばらく転がって、やがて仰向けの姿勢でようやく止まった。
起き上がろうとして、操は再びひっくり返ってしまった。もう一度、もう一度と試すのだが、力が入らず、入れようとしても腕と脚が震えてしまって体を支えられない。
どこかで自分はまだ死なない、もしかしたら、ずっと死なないかもしれないと思っていたせいか、操は現在自分がどのような状態であるのか、上手に把握することができなかった。撃たれたとはいえ、走ることはできた。軽症だと思っていたかった。
脇腹からの出血とと口から吐き出した血で、操のセーラーはどす黒くなっていた。それを見下ろしてはじめて、深刻な状況だと気付いた。本来ならちょっとグロテスクな映画も気持ち悪くなってしまうのに、自分の体の変化を見て、嘔吐したり失神するなどということはできなかった。
や……なんで……こんなに血がいっぱい……!
息を吐き出してみたところで、ぐんと痛みが増えた。
背中、撃たれたのになんでお腹が真っ赤なの? こんなに血……あたし、死ぬの……。
ぼんやりしていた操の耳に、がさがさと草をかき分ける音が届いた。マガジン交換を終えた雪乃が、こちらに向かってきている。
「見つけたー」
……なんでついてくるのお!
ぬっと姿を現した雪乃の姿に怯え、叫びそうになった。しかしもうほとんど抵抗する力をなくして、涙を溜めた目で見上げることしかできなかった。
雪乃はなぜこんなにも冷酷になれるのだろう。自らの血にまみれながら、操は思った。思ったところで、無駄だと分かった。雪乃のことは苦手だったし、自分よりもずっと押しが強くて甘え上手だったから。向こうも、あまりこちらにいい印象はなかったのかもしれない。どうでもいい相手だからきっと、こんなにも冷酷になれるのかもしれない。
「なん、で……」
操なりに理解したつもりだったが、口に出した。
「なん……でこんな、こと……?」
弱々しく、風邪を引いた時に無理矢理出した声に似ていた。操の耳がおかしくなっているのか、それとももう十分な元気が残っていないせいなのか──。
雪乃はそれでも聞き取ってくれたようだった。
「なんで、こんなことするの、って?」
──そう。
ちょっと眉を下げて、雪乃は困ったような顔をした。
「雪乃が操ちゃんのこと嫌いだと思った?」
的外れな質問で返され、操はしばらく思考停止したまま雪乃を見上げていた。
「あのね、それ誤解。長谷川さんも、操ちゃんも嫌いじゃないよ? ほんとだよ? でもね──」
優しい声とは反対に、雪乃はキャリコを掲げた。
「ほら、これってさ、最後まで残ったらおうちに帰れるんだよね。雪乃、帰りたいから頑張ってるの」
操は弱々しく首を振った。雪乃の話を聞いていると、何が正しいのか、間違っているのか分からなくなってくる。
「そ……な、あたしも、帰りた……」
「ええー、操ちゃん帰ったら、雪乃が帰れないよ。ね、雪乃に帰れる権利、ちょうだい」
がちっと音がした。操の目の前数センチのところに銃口を突き付けて、雪乃はにっこりと笑った。
静かな原っぱに銃声が響いた。どこかに隠れていたらしい、小鳥がいっせいに飛び立った。ややあって、寄り目がちに銃口を見つめたまま操は上体を倒した。
──また、ちょっとおうちに近付いた。あー、あと何人だろう。もういい加減少ないんじゃないかな。頑張れ、雪乃。
雪乃は頬を緩ませ、操のカバンを掴んだ。武器らしいものはペーパーナイフしかなかった。そのままカバンを放ると、雪乃は操の死体に背を向けた。
【残り7人+1人】