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tattered ambition

「こんにちはあ」
 金髪の転校生──佐倉真由美が銃を握っていない左手を挙げて微笑んだ。
 その笑顔はごく親しい者に向けられるように柔らかなものだったが、何故か背中に氷の柱を突っ込まれるような薄ら寒さを瑛莉は感じた。
「ほんとはここの子とお喋りするつもりなかったんだけど、なんか面白い話してたみたいだから、まぜてね?」
 ちょい、と可愛らしく首を傾げて真由美が瑛莉に近付いてきた。瑛莉は河野幸子の死体の下から這いずり出て、そのまま肘だけで後退した。
 瑛莉はとっさに、自分のすぐ横に落ちているグロック19に視線を飛ばした。──あれを手にすることができれば、勝てる。まだやれる。
 グロックに指を伸ばそうとして、腹部から胸にかけてがじわっと熱くなった。次いですぐに襲ってくる激痛に、瑛莉はバランスを崩して再び仰向けに倒れた。
 なんで──まさか──やられたのは河野幸子で──。
 腹部にのばした指先に、ぬるっとしたものが触った。間違いなくそれは、血だった。瑛莉が自分の手を汚して殺した、皆川悠が流したものとそっくりな血が、瑛莉の腹から溢れだしていた。河野幸子を殺した銃弾のいくつかは幸子の身体を貫通し、瑛莉の肉体をも傷付けていたのだ。
「そん……」
 そんな、と呟きかけた瑛莉の口から赤い液体が零れた。それらを手の平に受け、瑛莉はぼんやりと目の前に立った真由美を見上げた。
「うわあ、イタそー」
 顔を歪めた真由美に覗き込まれ、瑛莉は無意識に懇願するような視線を投げかけていた。同情を含んでいた真由美の顔が、また笑顔に戻った。
「ダイジョーブ? さっきまであんな喋ってたのにね。黙っちゃうくらい痛い?」
 瑛莉ははっとして真由美を睨み付けた、つもりだった。ほとんど痛みのせいで歪められた表情に変化はみられなかったけれど。
 無理に再び上半身を起こした。しかし、縦になっているのは思いのほか難しかった。今度は両手を地面に付いて痛みに耐えるほかなかった。
「ねーこの子イイコだねー。可哀想だよあんまりいじめたら」
 ぐったりしている幸子の顔を覗き込み、次いで瑛莉の方を見た。
 ──あんたが殺したくせに!
 瑛莉はそう言ってやりたかったけれど、口の中に溢れてきた血を吐き出すので精一杯だった。
「こんなとこで大声出してちゃダメだよ。騒ぎがあったとこから離れないとさ、やる気になった子が来ちゃうよ? あたしみたいなやつに見つかったら大変じゃーん、って、さっき緑のに手榴弾投げたのもあたしだったりするんだけどさあ」
 真由美は早口で喋りながら笑っているようだった。
「あんた頭いいみたいだけど、人を殺して生きていくのって、思ってるほど簡単じゃないよ」
 目の前に立っていた真由美が、すっとしゃがみこんだ気配がした。まるで泣いている友達を慰めるように瑛莉の前にしゃがみ、顔を覗き込んでいる。真由美の明るい口調と、身体がいうことをきかなくなっていく感覚に苛立った。
「特にコレね。このゲームで生き残っちゃった人はね、その後マトモに生活できなくなるらしいよ? さっきあんたが言ってたみたいにさ、合法とか正当化して殺す人いるけど、いざ生き残っちゃうと狂っちゃう人ばっかりだって」
 ……うるさい、あんたに何が分かるんだ。
 覗き込んでくる真由美のぐるりと黒いアイラインで囲まれた目、そして、そのすぐ横にある痛みきった金髪、だらしない服装。
 こんな──こんなやつに。こんなに、好き勝手なこと楽しんでるバカに、分かってたまるか。何も知らないくせに。あたしがどれだけ頑張ったか。どれだけ決意が固いか──。
 付いた両手で土をぐっと掴んだ。視界が揺れている。傷が痛い。しかし、弱音は吐きたくなかった。弱いところなど、見せたくなかった。
「うるさい……うるさいっ!」
 煙を払うように(瑛莉自身はもっと力を込めていたつもりだが)右手を伸ばした瑛莉から距離をとり、真由美が静かにその様子を見下ろした。
 あたしは、狂ったりするもんか。そんなことで今までの努力を無駄にしてたまるか。あたしは……あたしは……。
 真由美がくすっと小さな音をたてて笑った。気のせい、かもしれない。
 肉体的には限界が来ていた。揺らぐ視界。突然やってきた寒気に体を震わせ、全身の毛穴がきゅうっと引き締まる感覚を得た。
「でも中にはね、フツーに生活できちゃう図太い人もいるみたいよ? きっとあんたもそうなるんだろうね。なんだっけ? ”有望なあたし”、だっけ? ムカツク。ちょっとは苦しんでみろっての」
 後半から、明らかに語調が変わった。
 夢を見ているようだった瑛莉の神経が研ぎすまされ、顔を勢いよく上げた。
 真由美がまた、優しげな視線を投げかけていた。だが、今度は右手の拳銃を持ち上げていた。手探りでグロックを握ったが、時間がなかった。
「バイバアイ」
 Cz-75が火花を散らし、静かな敷地内に一発の銃声が響き渡った。
 銃弾を受け、瑛莉は座った姿勢から上半身を倒して横になった。彼女の初めて経験する挫折は、死だった。
 
 佐倉真由美は倒れた瑛莉を一瞥してから背を向けた。幸子が持っていた手錠に手を伸ばしかけた時──Cz-75とは別の銃声が響いた。
 背中に衝撃を受けたが、それでも振り返った。また、響く銃声。倒れたはずの瑛莉が、グロックを握った右手を持ち上げていた。そうしているうちにも腕ががたがた震えだし、指からグロックがこぼれ落ちた。瑛莉の腕もそれを待っていたかのように地面に沈んだ。
 瑛莉は最後の力を振り絞って真由美を狙ったのだ。
「くっ──」
 短く息を吐き、真由美はその場に膝をついた。



【残り9人+2人】

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