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all for me

 高見瑛莉(16番)は走りながら、くっくっと喉の奥を鳴らした。
 瑛莉の計画は至極簡単なもので、泉に呼び掛けをさせて仲間を集め、転校生との戦いで盾にする、あるいは、大勢集まったところに襲撃者がきて人数を減らせれば、という考えだった。運任せなため、どちらになるかは分からない。生き残ることを決意した瑛莉としては前者が望ましかったけれど(一人で戦って転校生に勝てるとは思わない。武器次第だが)、結果は後者になったようだ。
 あの場所で銃撃戦になれば必ずガスタンクが爆発する。発煙筒を見た時に思いついた。銃が当たるほどの距離にいれば襲撃者も助からないし、一石二鳥だと思った。そして本当に、瑛莉の想像通りの結果になった。
 とりあえず、まあまあ成功といっていいだろう。あとは離れて人数が減るのを待つ。それでだいぶ違うはずだ。
 長谷川紗代(25番)を見張りに選んだ基準は、自分を疑うかどうか、それだけだった。泉は瑛莉を盲信しているところがあるけれど、一対一になったらどうするかわからない。運動神経もいいので敵になった時に厄介だ。それに比べ、紗代は疑っても口にしない。長いものには巻かれろ精神で助かる。銃を渡してあるが、奪うのもきっと簡単だろうと考えたからだ。
 瑛莉はだいぶ走ってから足を止めた。
 まだ建物の一部から炎が上がっているのが見える。離れてもまだ焦げ臭い。
「……ごめんねえ」
 瑛莉は苦笑して呟いた。
 瑛莉はどうしても生き残らなければならなかった。誰か、他の人が聞いたら笑うかもしれないけれど、本人としては切実な問題だった。
 
 瑛莉は五人兄弟で、自分が一番上だった。小学校に二人、幼稚園に一人、それと生まれたばかりの赤ちゃんが一人。父親は小さな工場に勤めていたが、当然それだけでは家族を養っていくのは難しかった。瑛莉が中学に上がった頃から、母親がパートをはじめた。朝から晩まで働き詰めの両親を見て、いつか瑛莉が言ったことがある。「私立に行くのはお金がかかるから、違う学校へうつりたい」。しかし両親は首を縦に振らなかった。
 二人に対する感謝もあったが、現在の生活に対するどうしようもない嫌悪もあった。
 大東亜女学園は確かにいいお嬢さん学校というイメージが世間からもある。その通り通っている生徒たちも生活水準が平均以上の子が多い。両親は瑛莉の将来のためにもそのような学校に入れたのかもしれないけれど、瑛莉にとってはあまりよくなかった。どことなく、彼女たちの心身共に裕福な様子に嫉妬していたのかもしれない。
 家のことも兄弟の世話もほとんど瑛莉が一人でやった。充実感もあったけれど、友達との間にどうしようもない壁が見えたのも事実だった。
 こんなに頑張って労働しているのはクラスであたしだけだ。貧しいものは幸い、と学校が支持している宗教は言うけれど、そんなものは慰めか負け惜しみに過ぎない。両親は政府を盲信しているけれど、所詮は金を吸い取られるだけだ。
 あたしはあんな風にならない。年をとってまで苦労するのはまっぴらだ。あたしはいい学校へ行って、政府の官僚にでもなってやる。働くんじゃなくて、働かせる側に立つ。あたしの生活は、あたしが切り開いていくしかない。
 そう、決意したのだ。中学に入って何ヶ月か経った頃に。
 そのために瑛莉は人一倍努力した。
 学校という組織の中でルールを守り、一定以上の成果を上げれば待遇が変わる。簡単なことじゃないか。あたしだって人間だから、クラスメイトに友情を感じたり、団結して感動が得られれば涙することもあった。その時感じたことは嘘じゃない。だけど、自分がのし上がるためなら、彼女たちすらも利用する。友情ごっこも気持ちいいけど、それが障害となるなら捨てる。全てはあたしの欲望のおまけに過ぎない。
 そして──このプログラムにはプログラムのルールがある。そのルールを守って最後まで生き残れば、あたしが今まで欲しかったものが全て手に入る。保証金に、政府の役人に近付く切符。あたしはそれが、欲しい。
 
 見つめていた景色を、すっと何かが横切った。瑛莉は目を細め、その何かが消えた方向に体を向けた。
 まっすぐ、誰かが向かってくる。ぼろぼろのセーラー服、熱風でぼさぼさになった髪、すすで黒ずんだ体──見たことがないような姿だったが、それは、河野幸子に相違なかった。
 河野幸子? まさか──。
 見張りに行く前にしっかりと手錠で拘束したはずだった。だが、側にいた優子の様子から考えれば、逃がすのも時間の問題のように思えた。そしてその予想通り、逃がしてもらったのだろう。
 登場には驚いたが、ストレートパーマをあてていた幸子の髪が、すっかり元のやや癖っ毛に戻っていて、瑛莉は膝を叩いて笑いたくなった。
 ケッサク、ケッサク。最高。生きてたのは運がよかったけど、髪、髪。
 にやりと笑いながらも瑛莉はグロックを持ち上げ、幸子に向けて撃った。ぱあん、という乾いた音と衝撃で瑛莉の腕が跳ねた。幸子が身を躱し、銃弾がすぐ近くの木の枝を弾き飛ばした。
「強運なやつ」
 瑛莉は銃を構え直したが、幸子はすっと身を低くして茂みに身を隠した。
 幸子が身を隠したあたりの茂みに一発撃ち込んだ。すぐに静寂が訪れる。うめき声すら聞こえない。外したか──それとも、一発で急所に当たったか。
 確かめないわけにはいかなかった。瑛莉はそろそろと茂みに近付いた。
 ざっと茂みを割って幸子が飛び出してきた。ただし、瑛莉が予測していたのとは全く違う方向から現れた。左側から飛びかかり、グロックを構える間もなく瑛莉は突き飛ばされた。
 グロックが少し離れたところに飛んだ。瑛莉は視線だけでそれを追った。瑛莉のすぐ近くに落ちている。幸子は拾おうとはせず、瑛莉の前に仁王立ちになった。
「……人殺し!」
 第一声がそれか。
 瑛莉は肩を竦め、突き飛ばされた時に付いた泥を払った。
「最低だよ。みんなを集めるふりして殺したんだ!」
「あたしが殺したんじゃないっての」
 幸子がぐっと表情を強張らせた。
「……同じことだよ。そうしようとしてたんでしょ!?」
 大袈裟にため息をついてみせ、瑛莉は微かに笑った。笑いながらちらと見た幸子の顔が、あまりに鬼気迫るもので少し驚いたが、それでも平静を装って言った。
「だから何? 驚くことないでしょ。あんた最初の説明聞いてたの?」
「聞いてたよ。けど実行するなんておかしすぎるよ」
 きっと幸子が睨んだ。瑛莉はその言い方に心底うんざりした。
 苦労も知らない人間のきれいごとは嫌いだ。現実を見ていていない、おかしいのは向こうだ。
「バーカ! 合法なの。分かる? ここではそういうルールなの」
「合法? ほんとにそんなこと考えてるの?」
 むかむかした。幸子の表情にも、言葉にも。自分の今までのこと全てを否定されたようで。
「あたしは自分の足で立とうとしてるだけ。友達とか愛だとか、そんなの引き合いに出して勝ち残れないやつは負け組よ、負け組!」
「負け組だって、友達を殺すよりは全然まし。みんな、瑛莉のこと信じてたから呼び掛けに協力したんじゃないの? そんなひどいこと考えながらいつもみんなと接してたの? 嘘ついて信頼されて悲しくないの?」
 ……幸子、甘いよあんた。そんなんだからいつも二番手。言ってることは綺麗でも、結果は残せない。意味がないんだ、それじゃ。
「嘘でも何でもいい。あたしが手にした人脈も、信頼も、成績だってみんなあたしの実力。あんたにあれこれ言われる筋合いはない」
 自信を持ってそう言い切ることができた。これには幸子も返す言葉を無くし、声を詰まらせた。
「だいたいさあ、みんな自分の頭で考えないであたしに従ってたんだから自業自得なんだよ。命がかかってんのに決定権を他人に投げすぎなんだよ」
 瑛莉が体を捻り、落ちているグロックに手を伸ばしかけた時、幸子が突然瑛莉に向かって突進してきた。
 幸子に突き飛ばされるのは二度目だ。起き上がろうとしたところに幸子が馬乗りになってきた。
「……合法、って言ったね」
 いつもの明るい声色ではなく、もっと低い声で幸子が囁いた。ぎょっとして仰いだ顔は表情に乏しく、目がすわっている。
「瑛莉がそれを認めるなら、あたしは瑛莉を殺す。合法なんでしょ?」
 幸子が両手を伸ばして瑛莉の首を締め上げようとした。瑛莉は向かってくる腕を押し返し、抵抗した。
「あんたなんかに殺されてたまるか!」
 押し合いながら叫んだ。
「せっかく努力したんだ! 無駄にしてたまるか! 有望なあたしが、殺されて──」
 ぱん、と乾いた音が響いた。遅れて頬がじんと痺れた。突然平手打ちされ、瑛莉は呆然として幸子の顔を見上げた。
 幸子の目から、ぼろぼろと涙が溢れだしていた。それでも懸命に堪えているのか、幸子は顎を震わせていた。また、幸子が右手を挙げた。ぶたれる、と分かったが、何故か避けることができなかった。
「謝れ!」
 叩きながら、幸子が叫んだ。
「今までのこと全部! 全部! 優子ちゃんにも謝れ! 瑛莉のこと信じてた子みんなに謝れ! 謝れえええ!」
 壊れたおもちゃのように言葉を繰り返しながら、幸子は瑛莉を殴った。本当にどこか、彼女の感情のダムが決壊してしまったのかもしれない。瑛莉も抵抗したが、下になっているうちは圧倒的に力の差でかなわない。
 また、ぱん、ぱん、という音。今度は殴られたわけではなかった。音は幸子の後方から聞こえていた。ぱすっという湿った音の直後、幸子の脇腹から血が噴き出し、瑛莉の上に覆い被さってきた。
 体を押し上げようとしてまた、ぱんと音がした。幸子の体がびくっと震えた。今度は音がだいぶ近い。
 顔だけ起こした瑛莉の顔が歪んだ。前方に立っている、銃を向けている少女。銃口から流れる煙の奥に金色の髪が靡いていた。



【残り10人+2人】

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