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intelligence

 長谷川紗代(25番)は西に向かって歩いていた。
 静まり返った細い道を歩きながら、周囲に目を配ることも忘れなかった。上履きのゴムの擦れる音が一際大きく聞こえ、紗代は一度足を止めた。
 元来た道を振り返り、体をそちらに向けかけ──やめた。出発して工場が見えなくなり、心細くなって引き返そうとしたことは何度もあった。しかし、任されたものは仕方がない。嫌だったのだが、いつも断れずに引き受けてしまう性格はこんな時にも健在だった。
 あー。失敗した。せめてもっと明るいところだったら。
 工場から西に伸びる、水産試験場へ続く道は薄暗かった。空は青く、左側の山頂あたりの葉はぎらぎら輝いているのだが、紗代のいる小道は南側に高い崖があるために日光が当たらない。それでいてじめじめしているので気味が悪いことこの上なかった。
 おまけに右手には、どこかの収容所のような太いワイヤーのフェンスがそびえたっている。中はだだっ広く、ぼろぼろになった小屋や車が点々とあるだけだ。
 何となく、小学校の頃に流行っていた怪談話を思い出しそうになり、紗代は全く別のことを考えようと努力した。
 浮かんで来たのは、双子の妹の佳代の顔だった。一、二年の頃はよく間違えられ、 同じ顔と言われる度に何となく不愉快だったものだ(紗代と佳代からしてみれば、二人は全く別の顔としか思えなかった)。
 よく考えると、佳代は本当にラッキーだ。佳代はA組にあまり親しい友人がいないと愚痴っていたが、D組にならなかったおかげで殺人ゲームから逃れることができた。それで充分じゃないか。
 もし、二人のクラスが逆だったらと考えると恐ろしい。佳代が死んでしまうことだけでなく、ひょっとしたら選ばれずに安堵してしまう自分が容易に想像できたので。
 紗代が今さら”もしも”という想像で一喜一憂しているのは、恐らく、殺し合いに対する実感がまだわいていないせいだった。既に半数以上の生徒が命を落としているが、死体は一度も見ていない。おまけに誰かに襲われるということもなく、ずっと親しい友人と一緒にいることができている。どこか現実離れした夢を見ているような気分になるのも仕方がないことだった。
 
 風が吹いて崖の上の木々がざわめいた。反射的にそちらを見上げ、それから四方に視線を飛ばした。誰もいない。また、静寂。
 どこかから見られているような居心地の悪さにむずむずした。紗代はざっと周囲を見回した後、自分の眼鏡の下に指を潜らせてまぶたを掻いた。これはいつもの癖だったのだが。
 もう、いいかな。いいよね? 誰もいないし?
 紗代はまた、開けた右側に目を遣り、傾いていた眼鏡を直した。
 うん。誰もいない。いいじゃん。帰ろう帰ろう。瑛莉に怒られても、一通り見たってことにして。誰かに会ってしまったら元も子もない。特に転校生、更に男の方に会ってしまったら大変だ。そうならないうちに、帰ろう。
 方向を転じて歩き出した紗代の背後から突然、大きな声が響いた。
「さーちゃん! さーちゃん!」
 ぎくっとして、全身が硬直した。呼ばれているのが自分のあだ名で、それは学校の廊下で聞いたなら笑顔で振り返ることができる声だったが──紗代はスミスアンドウエスンM29を持ち上げていた。
 紗代が振り返った先、さっきまで誰もいなかったはずの小道に、望月操(34番)がこちらに向かって走ってきているのが見えた。
 一瞬警戒したが、操はカバン一つしか持っていない。手には武器らしきものは握られていない。おまけに──ずっとどこかで泣きじゃくっていたのか、目も鼻も真っ赤になっていた。
 二人は普段一緒のグループとして過ごすことはなかったが、一年の時に番号が近かったこともあってか、それなりに親しかった。どちらかといえば大人しく、話を黙って聞いてあげることの多かった紗代に、操は懐いていた。人に甘えてばかりの操は、高見瑛莉をはじめ自分で解決するタイプの人間からは、あまり好かれていなかったけれど。
 いつもの癖で、紗代は「どうしたの」と呟き、操を迎え入れるように両腕を広げた。程なく、操がその細い体にぶつかるように飛びついた。
「さーちゃん、さーちゃん、怖いよ助けて」
「どうしたの? なんで泣いてたのさ?」
 操は一気に喚いてから、思い出したようにぜいぜいと呼吸を荒げた。紗代は操の顔を覗き込んでから、道の向こうに目を凝らした。”怖いよ助けて”──何かから逃げてきているのだと考えたので。
「おかしいよ……おかしいよ……あの人……」
「あの人?」
 ただ、こくりこくりと頷いて操はまた泣き出した。じれったく思ったが、ここは操が落ち着くのを待つしかなさそうだ。
 その間、少し予想してみる。操に何があったのか──誰かに襲われた、あるいは誰かが殺し合いをしているところに遭遇したか。そんなとこだろう。しかし、”あの人”、という表現に不安を掻き立てられた。操はほとんどのクラスメイトをあだ名や”ちゃん”付けで呼んでいたし、彼女が言う”あの人”は、もっと別な人物を表しているように感じられた。
「あの人──あの男の人がね、みずきちゃんの死体を──」
「え……何?」
 紗代は思わず操の肩を掴んでいた。操は涙を溜めた目を開いて、首を振った。
「わかんない。怖い。あの人、みずきの死体を抱き締めてた」
 あの人、みずきの死体を、抱き締めてた。
 頭の中でゆっくり言葉を反芻し、紗代は情景を思い浮かべようとした。したけれど、うまくできなかった。かわりに疑問を投げかける言葉が唇からこぼれ出た。
「……ほんとうに?」
「あたし、見た。みずき、頭とか、半分なくて血だらけなのに……あの人、服を脱がせて抱き締めてた。おかしいよ、あの人、やばいよ」
 言い終わるや否や、操はまた紗代の胸に顔を埋めて泣き出した。紗代の方は今度は、抱き締めてやることも何か励ましの言葉を掛けてやることもできなかった。ただ呆然と立ち尽くしていた。
「え……それは……なんで……」
 操に答えを求めても仕方がない。しかし、そう言うだけで精一杯だった。西村みずき(23番)がそのような酷い死体になってしまったことも充分衝撃的だったが、紗代は別の問題により大きな衝撃を受けていた。
「あの人、女子校に来たの、そういうのが目的だったのかな」
 呟いた操の体が震えていた。それを聞いて、紗代はぶるっと全身を震わせた。一度想像しかけて、中断した、あの恐ろしい想像。それが本当だとしたら──あの男が、クラスメイトを強姦しようとした──あるいは、更に死体に興味のある酔狂な人間なのか──。
 教室であの男を見た時の、一種皮膚感覚に近いような拒否反応が全身から発せられていた。
 泣いている操の声が遠ざかり、目眩のように視界が少し歪んだ。次いで、スライド写真のように切れ切れになったイメージが頭の中に畳み掛けるように浮かび上がった。
 黒い学生服。大きな手。わいてくるような蝉の鳴き声。湿った匂い。重たいランドセルを背負っていた自分──。
「……さーちゃん? どうしたの?」
 突然真っ青になって震えだした紗代の顔を覗き込み、操が心配そうに言った。
「大丈夫? さーちゃん?」
 操が紗代の頬を軽く叩いた。それで、紗代は、目の前に突如現れた幻覚を追い払うことができた。
 暗くなったところに、突然テレビの電源を入れた時のように操の顔がじわりと目の前に広がった。操が酷く心配している様子から、一瞬、意識が全く違う方へ行ってしまったのだと分かった。紗代はおさまらない震えを振り切るように首を振り、操の手を掴んだ。
「いつ? どこで見たの?」
「覚えてないけど──多分一時間くらい前。公園の近くの建物で──」
「早く行こう」
 操の言葉を切って、紗代は歩き出した。操の背中を押すように手を添えながら、普段よりずっと早歩きで。
 一時間前。おまけにここの近く。──冗談じゃない!
 紗代は再び思い出した転校生の姿に身震いした。
 遠くへ押しやっていた記憶の面影が、紗代の首をじわじわと締めはじめていた。


【残り13人+2人】

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