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restrict

 西から射す日が頬に当たり、河野幸子(5番)は手を広げて顔に日陰をつくった。日が傾いてきているとはいえ、初夏の日射しは皮膚を焦がすように強い。
 焼けちゃうな。こんな時だけど、これ以上焼けるのは嫌だ。
 幸子は小麦色に近い肌に丸顔、その中のはっきりとした瞳を伏せ、日が当たらないところまで移動した。
 資料館の前で仲沢弥生(21番)に逃げられてしまってから、すっかり意気消沈した幸子は一人で東の海岸まで歩いた。仲間を探そうと思い立ったが、幸子にはそれはできなかった。あまりにリスクが大きい。幸子の武器は何の冗談か、ビニール製のビーチボールだったので。
 とにかく、それで、ひたすら海岸沿いの林に身を潜めることにした。放送で呼ばれていく友人たちを想い、絶望し、絶えることなく聞こえる銃声に怯えながら。
 しかしそれでも、動かなければならなくなった。人数が減ってきている今、恐ろしいけれど、仲間が欲しかった。丸一日以上一人で怯えながら過ごすことは、当然ながらいいことではない。幸子は恐怖と疲労からすっかり体力を消耗してしまっていた。そして安易に移動することを選択したということは、判断力の低下のせいだといえたが──幸子はこれ以上、孤独に耐えられそうもなかった。
 前後左右に注意を払い、誰もいないことを確認してから十メートルほど先の大きな木まで走った。木に抱きつくように休憩し、また次のポイントを決めて進んでいく。何度かそれを繰り返した。
 林が途切れた。白いコンクリート地の敷地が目の前に広がり、少し離れたところにはエメラルドグリーンのガスタンクの端が見える。とりあえず、一番近距離にある建物まで進もう。距離は──ちょっと遠い。三十メートルばかりあるだろうか。開けている場所だからこそ、危険の度合いは高くなる。
 ふーっと息を吐き、一気に駆け出した。五十メートルのタイムを計る時のように、一歩ずつに緊張がみなぎる走りだった。建物に両手を突き立てて動きを止め、幸子は息を整えた。
 とりあえず、成功。足にはちょっとだけ、自信があるんだ。次は──。
 次の目標を決めようと建物から顔をのぞかせた時、背後から声が掛かった。
「……動くと撃つよ」
 遅れて、後頭部に固い感触。恐らく、想像もしたくないけれど──銃口、というやつが突き付けられているに違いない。幸子は震える腕を無理に挙げ、ゆっくり相手の反応を窺った。
「河野……幸子?」
 何故かフルネーム。相手は幸子が何か武器を持っているのかもしれないと、警戒しているのかもしれなかった。しかしそれより何より、幸子はその声に心底ぞっとした。その声には聞き覚えがあった。
「こっち、来て」
 幸子に銃を突き付けたままの人物が言った。はじめ、幸子は自分にその言葉が向けられているのかと思ったが、振り返ろうとして更に強く銃口で押されたので、動くのをやめた。まだ他に誰かいるのだ。
「誰──あ、もしかして、幸子?」
 他の一人、会話の相手の声がした。そちらの声を聞いたことで更に、幸子は生きた心地がしなくなった。
「いいよ。幸子。こっち向きな」
 ゆっくり振り返る。そこに、いた。ほんの少し笑みを浮かべている高見瑛莉(16番)、その後ろに館山泉(17番)。更に、こちらは予想できなかった。もう一人、蓮見優子(24番)
 大変なことになった──。
 銃口からの開放感よりも強く、嫌悪感におそわれた。高見瑛莉と館山泉。最凶じゃないか。あたしが、このプログラムで一番会ったらヤバい子たちじゃないか──。

 二人とは同じ部活だった。演劇部は大人数だがまとまりがよく、先輩後輩通して仲が良い、雰囲気がいい部活ナンバーワンといわれることもあった。
 しかし二年の途中頃、他のクラスの部員がクラブに出てこなくなった。幸子も薄々勘付いていたが、瑛莉とそのグループが彼女を意図的に仲間外れにしていたようだった。彼女は程なく、部活から姿を消した。
 そしてそのうち、今度は、幸子が標的にされるようになってきた。元から顔が広く気さくだった幸子は、所謂”いじられ役”になることが多かった。普段のグループや教室の中でのことは、笑って済ませられていた。しかし、部活内での扱いは、段々と”いじられ役”の範囲を越えていった。瑛莉を中心としたグループには、そのせいで、あまり近付きたくはなかった。
 
 だが、そうも言っていられなくなった。ここには庇ってくれる同じグループの子はいない(そして、そのほとんどはとっくに死んでいる)。その上、彼女たちに捕まったとなれば──。
 泉が幸子の手からデイパックと通学カバンを奪った。すぐにチャックを開き、中身を地面にぶちまけた。お弁当箱、教科書、地図に支給武器の情けないビーチボール。それから、気に入っていた鏡が派手な音を立ててコンクリートに叩き付けられ、これには顔を顰めずにはいられなかった。
「武器はどこ?」
 瑛莉が訊ねた。幸子はしぼんだビーチボールを指差した。少し間を開けて、瑛莉と泉が顔を合わせて笑い出した。幸子にとっては、ちっとも可笑しくなかった。その後ろで、優子が青い顔で二人を見ていた。
「チェックしよう」
 泉が幸子に近付き、背後にまわって両腕を押さえ付けた。
「優子ちゃん、こいつの服、脱がして」
「え──」
 優子がおろおろと泉と幸子の顔を見比べた。瑛莉が「やっちゃっていいよ」と言うと、今度は瑛莉の顔と幸子の顔を交互に見た。
「……放して。武器はそれだけだよ」
 自分より細い泉を背負うように体を揺すり、腕を放そうとした。しかし泉もしがみついたまま離れない。
 瑛莉が構えていたグロックを指先でくるりと回し、ポケットに差し込んだ。動かない優子に痺れをきらしたのか、幸子に向かって歩きながら手を伸ばした。瑛莉の手が幸子のセーラーの襟を掴み、乱暴に引っ張った。
「やめてってば!」
 叫んだそばから、ぶちぶちと音を立てて胸のスナップが外れた。片側だけ留まっているネクタイがだらしなく傾いて下がっている。幸子の中に燻っていた、どろどろした赤いものが跳ね上がった。いきなり頭を振り、瑛莉に頭突きした。ごつん、といい音。それと貧血の時のような頭の奥がつんと痺れるような衝撃。
「……いった」
「何すんのよ! 瑛莉、ダイジョーブ?」
 瑛莉が額を押さえ、よろめいた。泉はようやく幸子を解放し、瑛莉の側に駆け寄った。もちろん、その際、幸子を睨み付けることも忘れずに。
 額から手を放し、瑛莉が目を細めた。降ろしていたグロックを持ち上げ、幸子に向けた。恐怖よりもむしろ、怒りが勝っていた。
「待って、仲間を集めるんじゃなかったの?」
 一触即発の状況に、一つの声が差し込まれた。優子だった。
 泉がちらと優子に視線を飛ばし、すぐに幸子に向き直った。
「仲間じゃないよ。こいつ、瑛莉に頭突きしたんだよ。見られたくないもん隠してたからに決まってるじゃん」
「でも、そんな……待って、信用できないなら、あたしが側にいて見張るから、ね? それでいいよね?」
 幸子はびっくりして優子の顔を見た。青白い頬に微かに赤みが差し、泣き出しそうになっている。突然の助け舟に驚いていたのは幸子だけではなかったようで、泉と瑛莉も一瞬、ぽかんとした。
「優子ちゃんじゃ細いから倒されちゃうよ? こいつ、武器隠しもってるかもしれないし」
「ないって言ってるでしょ!」
「じゃあ脱ぎなよ。できるでしょ?」
 これ以上の屈辱はない──そう思った。ああ、もう、どうかしちゃってるんじゃないか。銃を手に入れて、自分が何をしたって許されると思い込んでいるんじゃないだろうか。さあみなさん、とくと御覧あれ。これがクラス委員高見瑛莉の仮面ショーだよ。
 外れかかったネクタイを庇っていた腕を退け、夏服のセーラーの上着を脱いだ。ここの学校のセーラーが、下にベストを着用するタイプのものでよかった。違ったら、下着姿をさらすことになっていた。しかしどちらにせよ、日の下でこんな妙な格好をさせられているのが、不愉快でならなかった。
「腕ふとっ」
 泉が瑛莉に囁いた。二人でくすくす笑っている。怒りと恥ずかしさで耳まで熱くなった。ああそう。もう十分笑ったでしょ。これで終わりにしてちょうだい。
「もういいよ。あたしがみるから。お願い、もうやめてあげて」
 また、優子が言った。二人としては不満が残るらしく、渋ったが、瑛莉が何か思いついたように顔を綻ばせた。
「ねえ、泉の武器、手錠だったよね。じゃ、こうしない? 手錠かけとけば平気じゃん」
「そんな……」
 遮ろうとした優子を押し退け、泉が幸子の両手に手錠を付けた。かしっという音と、肉の締まる感触がたまらなく屈辱的だったが、命は助かった。当座のところは。
「平気?」
 右側から支えるように寄り添い、優子が囁きかけてきた。
「だい、じょう……」
 全部言おうとして言葉にならなかった。いつものように明るく、ピエロになってでも笑顔を見せたかったが、今度ばかりはそうはいかなかった。今にも泣き出しそうになっていたが、それでも、口からは繰り返し「だいじょうぶ」と言葉を紡ごうとしていた。



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