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project

 空を睨み、高見瑛莉(16番)は一つ咳をした。午前中より雲が多い。いつか一雨降りそうな分厚い雲が真上からのしかかり、気分を重くさせた。次いで、目の前に立っている緑色のガスタンクの滑らかな丸みに視線をやった。
「行くよ」
 後ろを振り返り、声を掛けた。瑛莉は先頭に立って走り出した。続いて館山泉(17番)蓮見優子(24番)長谷川紗代(25番)が従った。瑛莉は一度振り返り、三人がついてきていることを確認して前に向き直った。
 C=7西部に位置する工場、広い敷地に存在感を大きく示すガスタンクの下に四人の女子生徒が集まった。
 瑛莉は三人の顔を順に眺め、その顔どれもがすっかり疲れきっていることに気がついた。
 泉の他の二人──優子と紗代は、特に。
 
 優子と紗代とは午前中に出会った。皆川悠が死んだ場所からそう遠くない獣道を歩いていた時だ。銃声がすぐ近くで交錯し、移動しようとした矢先に二人と鉢合わせた(その銃声は展望台からのものだった。瑛莉たちは知るよしもなかったが)。
 長谷川紗代。科学部。A組に佳代という双子の妹がいる。一卵生双生児で、二人を知らない人が見たらほとんど見分けがつかないほどにそっくりで、二人まとめて”サヨカヨ”と呼ばれたりもする。黒縁眼鏡に黒髪のボブショート、色白なところまで同じだ。そして、どちらも瑛莉と仲がいい。
 もう一人の蓮見優子。紗代と同じ科学部。双子と仲はいいが、瑛莉とはあまり喋ったことがない。痩せていて大人しい、たまにちょっと抜けたことを言ってまわりを笑わせる──そんなことくらいしか瑛莉には分からない。だがどちらも、瑛莉の計画を邪魔するようには見えない。殊に紗代の方は瑛莉を信頼しきっているので、仲間にするのは好都合だといえた。
 
 ちょっと遅くなってしまったな。
 もっと人数が多いうちに、実行すべきだった。

 瑛莉は腹の中でひとりごちた。無論、表情には微塵も見せなかったが。
「ここからどうする?」
 泉が言った。言葉だけをみれば、話しの主導権を握っているようにみえる。だが、そう言いながら瑛莉を見遣るところからみると、やはり、瑛莉の次の指示を待っていることが分かる。
 瑛莉は右手に握ったグロック19をくるりと回し、泉に顔を向けた。
「もう少ししたら、ここの上から」
 人さし指を上に向けた。つられて三人がガスタンクを見上げる。
「残ってる人に声を掛けてみようと思う」
 三人の視線が瑛莉の顔に戻った。
「それ……危なくないの?」
 静かな声で優子が言った。
 ──やっぱりそうきたか。
 瑛莉は表情はそのまま、優子の方に体を向けて続けた。
「うん、危なくないとは言い切れない。でもきっとこれが最後だと思う。これ以上人数が減っちゃったら、一緒にいて大丈夫そうな子がみんないなくなっちゃうかもしれない。それだけはマズイんだ」
 優子と紗代を交互に見た。
「あたしは見てなかったけど、香奈ちゃんと梨沙があの教官に楯突いたんでしょう? その二人はきっと大丈夫だよ。うちらと同じこと考えてる。二人が生きてる今、呼び掛けた方がきっといいと思うんだ」
 演説に熱がこもってきた。泉は一緒になって頷き、優子と紗代を見つめている。もう少しだ。
「うん……二人は大丈夫だと思う。生きてるうちに、呼んだ方がいいかも」
 紗代の方が先に同意した。優子は紗代をちらりと見た。その目には驚きより諦めの方が多く含まれている、ように見えた。優子は紗代が折れるだろうと、はじめから分かっていたのかもしれない。
 優子も黙って頷いた。
「じゃあ、決まりね。それでどうやって呼ぼうか?」
 泉が再び瑛莉に振った。瑛莉は頷いて、「配られた武器を出して」と言った。
 瑛莉の本来の武器は発煙筒だった。車が故障した時などに使う、煙で合図を送る道具だ。家の車に積んであるところは見たことがあるが、使ったことはもちろんない。泉の武器は手錠、優子はハンドマイク、紗代はスミスアンドウエスンM29。手錠以外はちょうど役に立ちそうだ。それぞれの支給武器を確認して、瑛莉は現在の作戦を思いついた。
「まず……紗代」
 紗代が顔を上げた。人さし指で自分の顔を差す。そう、あんただ。
「紗代は銃を持ってこの辺りの見張りをして」
「えっ、一人で──」
「えっ、じゃないの。決まりね。それから……」
 紗代がまだ何か言いたそうに口をもごもごさせている。瑛莉はそれには構わず、今度は泉の方を見た。
「泉は優子ちゃんのハンドマイクを使って呼び掛けて。優子ちゃんは泉と一緒にいて」
「……わかった。瑛莉は?」
 泉はちょっと苦い顔をした。泉ははっきり物を言う方だが、みんなの前で何かを発表したりするのは得意ではないようだったので。しかし文句は言わずに了解した。これも瑛莉の思惑通りだった。
「あたしは紗代と反対方向に見張りに行くよ。銃があれば大丈夫」
 東側を指さして言った。瑛莉はそれで、自分が東側に行くことをアピールした。足場の悪い海岸のある東側。生徒が潜んでいる可能性の低い東側。瑛莉が自分の希望をはっきり言うことによって、紗代が西側に行くことはほとんど決定した。紗代は何も言わずに、そして、瑛莉の思惑には何も気がつかずに西側へ見張りに行くだろう。
「でもやっぱり、瑛莉が言った方が一番効果あると思うんだけどなあ」
 ……そうかもしれない。あたしもそう思う。でもそれは、できない。
 何も言わずに微笑む瑛莉を見て、泉はその役割を代わってもらえないことを了承したらしい。
「あっ、じゃあさ、瑛莉がいるって言えば、みんな来るよね? 瑛莉が仲間を集めてるって言えば──」
「そうだといいね」
 瑛莉は曖昧に返事をした。謙遜第一だ。泉は瑛莉の名前を出すことで安心したようだったし、うまくいきそうだ。
「呼び掛けるのはわかったけど、みんなはここにいることが分かるかな?」
 優子が言った。細い体にぴったりの静かな声色だった。
「工場にいるっていえば?」
「でも、広いから」
 泉と優子の会話を聞きながら、瑛莉も考えた。正確な集合場所を知らせるにはどうしたらいいか。瑛莉が一人でいる東側に集まられたらたまったものではない。計画が台なしになる。
 そうだ。これがあった。
 瑛莉はデイパックから、本来の支給武器である発煙筒を取り出した。
「これに火をつけると煙が出るって書いてある。これを持ってガスタンクの上から呼び掛けたら──」
 ──あ。
 瑛莉はそこまで言って言葉を切った。
 そうだ。その手があった。うまくいけば……。
「そっかあ、じゃ、それがあれば分かるね」
 泉がさも名案だと言わんばかりに手を叩いた。瑛莉は笑い出したくなるのを押さえて、頷いた。その笑いは決して、泉と同じ意味のものではなかった。瑛莉だけのゴールに結びつく、名案をみつけたことに対する笑いだった。
「扱いには気を付けてね。危ないから」
 泉が素直に頷いた隣、まだ腑に落ちない顔をしている紗代の後ろで優子がじっと瑛莉を見ていた。瑛莉のまだ笑みの引かない顔を見て、少し遅れて笑顔をみせた。その遅れの中に、瑛莉はためらいを見た。恐らく、優子は、瑛莉の考えに勘付いている。
「さあ、紗代。そろそろ出発して」
 気を取り直して紗代の方に声を掛けた。紗代は黒縁の眼鏡を中指で上げ、「わかったよ」と渋々頷いた。指示した通り、西の方に歩き出した。
 あとは泉と呼び掛けの内容を考え、しばらくしたら呼び掛けを開始するだけだ。だいぶ時間はかかってしまったが、ここまでは順調だ。それに──。
 今は泉と発煙筒の注意書きを読んでいる優子に目を遣った。
 優子が瑛莉の考えに気付いていたとして、それを止める術はない。どんなやり方をもってどうしようとしているかまでは、到底分かってはいない。優子が唯一、心の内を吐露できそうな紗代は見張りとして遠ざけた。メンバーは瑛莉の考え通りに動き、その作戦を成功へと誘う。それだけだ。
 泉はというと、二人でいた時よりも表情が明るい。方向が具体的に決まり、優子と紗代がメンバーに加わった。それだけで安心しているのだろう。また、瑛莉と視線を合わせて頷いた。”成功させようね”、という、笑顔。
 瑛莉は幾分複雑な気持ちで微笑み返した。状況が状況なのだ。誰に恨みがあるわけではないが、やらなければならない。生き残るのがたった一人というなら、迷わずに自分の命を選ぶ。それが当然だ。
 溜め息を一つつき、思った。泉の笑顔を思えば少しは気が重くなる。
 呼び掛けに誰かが応じた時──あたし以外、みんな死ぬのにね。


【残り14人+2人】

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