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a witness

 銃声がおさまり、それから何分も経ってようやく望月操(34番)は脚を伸ばした。まだ体が震え、突然の爆発音に驚いてしりもちをついた場所から動けずにいた。
 宿泊所前の銃撃戦から逃れた後、操は駐車場まで走った。走りながら、今度は禁止エリアのことが頭に浮かんだ。記念館周辺は最初に禁止エリアの指定を受けている。あまり近くへいくのは危険だ。操はそれで、遠くへ逃げたい衝動を抑え、駐車場のトラックの影に隠れた。
 トラックの影で過ごした時間は地獄のように長かった。銃声が絶えず響き渡り、人の気配がすぐそこまできている時もあった。そこから動き出せたのは二時間ばかり経ってからだった。
 操が一緒にいたメンバーで生きているのは、花嶋梨沙と堀川純だけだ。あとの者は皆、放送で呼ばれた。
 やっぱり、あの中にいたんだ。誰が久恵を殺した犯人? 千賀子──いや、生き残った二人のどちらか、かもしれない。
 時計が午後一時半をさした頃、操は宿泊所から条ノ島公園へ向けて歩き出した。体力にはあまり自信はなかったが、平らな道を行くよりは、山道へ入った方が誰かと遭遇した時に姿を隠しやすい。なるべく木の多い方へと歩いていくことに決めた。
 坂を上り切るとまた駐車場があった。車が点々と停められている。操は左側の歩道を選んで歩いた。それからすぐ、銃声が聞こえたのだ。
 操は慌てて歩道の脇の急な斜面をかけ降りた。脚が自分の意志によってではなく、加速度をつけて下へ引っ張られていく。細長い枝が幾重にも前に立ちふさがり、鋭い枝先が頬を引っ掻いた。続いて背後でぼん、と大きな爆発音が聞こえ、操はバランスを崩してしりもちをついた。しかし勢いはそのまま、スカートを真っ白に汚してずるずると斜面を滑った。
 止まった。操はその姿勢のまま、じっと動けずに足の先を見ていた。振り返りたかったが、体がすっかり硬直してしまって動くことができない。スカートが腿までずりあがり、擦り傷だらけの脚が見えたがそちらもどうにもできない。地面からもうもうと砂埃がたっている。存在感は抜群だった。しかし、逃げることも出来ない。
 それから、ようやく今、操は脚を動かして立ち上がる準備をはじめた。運良く誰も、操がここにいることには気がつかなかったらしい。振り返って上を見た。明るい日射しが二十メートル程上から差し込んでいる。
 スカートの汚れを払い、操はデイパックを右手にしっかり握った。擦り傷のできた頬がひりひりしている。それはもう少し落ち着ける場所についてから、じっくり鏡でも見ながら何とかしよう。
 四つん這いになって這い上がった時、駐車場の奥の建物から白い煙が上がっているのが見えた。不思議なことに、爆音にもかかわらず建物は壊れたり燃えたりしていない。
 なにがあったんだろう?
 歩道に再び立ち、周囲を見渡した。人の姿はない。建物の方へ行こうとして、操は足を止めた。
 一人で見に行くの──怖い。
 事件に対する好奇心はあったが、恐怖心がそれを凌駕していた。
 今までは隣に人がいた。いつも後ろに隠れてついていくだけでよかった。でも──今は誰もいない。
 それでも操はそろそろと前へ出た。体は恐怖で竦んで突っ張っていたけれど、ここにぼんやり立ちすくんでいるよりは移動した方がきっといい。
 がんばれ。操。大丈夫。大丈夫。
 心の中、自分を励ました。手の平が冷たくなり、汗が滲んできている。
 あたしは逃げるの上手じゃない。ね、いざとなっても、大丈夫。
 操はつい最近の体育の授業を思い浮かべた。苦手なドッチボールの授業。あまり運動は得意ではないし、攻撃的なものは好きじゃない。しかし何故か、いつも最後の方まで残ってしまうのだ。多分、逃げるのがすごくうまいのかもしれない。
 思い返してみると、このプログラムが始まってからもこんなことばかりだった。危ないところで一人だけ逃げ切った場面が何度かある。
 ただし、やはりドッチボールの世界でも残り数人となって当てられてしまうことが多い。誰かの影に隠れて逃げ回ることが出来なくなった時、力勝負になった時が一番危険だ。
 それでも操は希望的な方へ考えた。まだいける。あたしは終盤までは絶対に死なないんだ──と。
 建物の入り口のドアが開いていた。遠くから見ていた時よりも、煙の量は減っている。窓から中を見ると、薄い霧の向こうにテーブルやソファらしき黒っぽい塊がうっすらと見えた。煙の揺らめきに合わせて濃淡を変える様子に、操は中腰になって見入った。
 ガタリと中で何かが動いた。操はすっと腰を低くしたが、頭はそのまま窓にくっつけていた。縦長の黒い影がテーブルを起こした。煙っていて、はっきりと姿は見えない。操は見ているうちに不思議な気持ちになった。爆発の起こったこの建物に人がいたなんて──しかも、しっかり立てるなんて。
 黒い影が体を折り曲げ、床から力一杯何かを持ち上げた。大きな細長い鞄のように見えた。テーブルの脚が床に擦れた音が響いた。操は背中を、誰かに指先で触れられたような心持ちになった。
 音は続いていた。黒い影は、大きな鞄と悪戦苦闘しているようだった。鞄から細長い棒が二つ出ている。鞄は何か、布で覆われていたようで、影はそれを引き剥がしにかかっている。
 操は腰をうしろに突き出したまま考えた。これは、何をやっているんだろう。この男は──。
 男。
 転校生。
 男の転校生──花井崇
 分かった時には体に電気が走ったような衝撃が駆け抜けた。しかし、操は動くことが出来なかった。まずい、早く行かなくてはと思いながら、視線が吸い寄せられるように男の一挙一動から目が放せなくなっていた。
 男の頭と制服の境が見えるようになると、操はもう一つのことに気がついた。
 花井がテーブルの上に乗せているのは、鞄ではなかった。二本の棒の先には、操と同じ、五本の指がそれぞれついていた。
 花井が力を入れてテーブルの上に寝ているものを抱き起こした。向こう側に垂れていた頭が、かくんと操の方を見た。頭が半分消えていたが、その顔は、西村みずきのものだった。
「きゃあ」
 操は口を手で覆い、叫び声をあげた。花井が勢いよく振り返った。右半分を茶色に染めた顔の中で、瞳がぎらついて見えた。学生服を着てはいるが、中のブラウスのボタンはそろって外されている。そして、その腕の中の西村みずきは上半身にスポーツタイプの白いブラジャーだけを付けていた。
 花井が手を放し、みずきの体がテーブルの上に倒れた。みずきの青白い腹がこちらに向かって滑り、再び床に転がった。頭の方から血だまりに落ち、紅い飛沫が上がった。
「ひっ……やああ」
 窓枠から勢いよく離れ、操は後ろ向きに走った。前を向いて走ればいいのだが、花井崇の目に捕えられ、それも叶わない。
 どん、と背中に何か当たった。感触からして木だろう。ふくらはぎにちくちくと葉が当たっている。
 花井が完全に操の方に体を向けた。ブラウスの間からはだけた肌と、先ほどのみずきの青白い腹の映像を突き合わせ、操はぶるぶる震えた。
 腰の辺りに手を添え、花井がガラス越しに迫ってきた。距離はあるが、コツコツとかかとが床を叩く音が近付いてくる。操は逃げることも忘れ、息を殺して花井の動向を見つめた。
 腰にあった花井の手が動いた。学生服の端を少し持ち上げ、ベルトからコルトガバメントを引き抜いた。
 操は一気に駆け出した。体はまだ、走り出す準備が出来ていなかったが、銃を目にした途端、反射的に動きだしていた。
 背後からの銃声はない。花井は操が去ったら再び、西村みずきの死体を抱くつもりなのだろうか。
 嫌だ……嫌だ……なんなの……怖いよ!
 走りながら、涙がぼろぼろこぼれてきた。口元を覆った指の隙間から、押さえることのできない嗚咽が溢れだした。

【残り14人+2人】

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