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jealousy

 花井がテーブルの脚を掴んで引き倒した。塹壕に隠れるようにその薄い板の後ろに体を滑り込ませ、真由美から見えなくなった。
 Cz-75を握る指から少しだけ力が抜けた。花井の前に立っていた女子生徒は死んだ。背中に二発、それから頭部に一発被弾したはずだ。生きているわけはない。だが、花井には一発も当たっていないようだった。
 心のどこかでほっとしてしまった自分に気がつき、真由美は敢えて舌打ちをした。
 わざと外したんじゃない。たまたま、あいつの立っていたところがよかっただけ。
 花井が隠れたテーブルに向け、Cz-75の引き金を絞った。銃声が鼓膜を震わせ、テーブルの右端が木屑を噴いて消失した。微かに、黒い学生服が見えた。
 当たった──?
 形を残している左側から花井がひょっと顔を出した。花井が動いたことにだけではなく、真由美は驚きで息を飲んだ。視線が花井の顔に釘付けになってしまった。
 佐倉から見て左側、花井の右頬から眉の辺りにかけてが血に染まっていた。顔の左右の色が違う、ピカソなんかが作った奇妙な芸術作品のようだと思った。その花井の右目はウインクしているように閉じられている。血が目の中に入ったのだろう。恐らく──西村みずきの頭部が破裂した時に頭から血をかぶったのだ。
 チャンスだった。
 真由美は真直ぐに腕を伸ばし、花井の頭部に銃口を向けた。しかし花井はそのまま背を丸め、再びテーブルの向こうに姿を隠した。
 距離を詰めて撃てば弾丸はテーブルを貫通し、確実に花井にダメージを与えることができる。そう思って前へ進みかけ──テーブルの端から銃口がのぞいていることに気がついた。
 すぐに花井の方から撃ってきた。弾丸は真由美のブラウスの左肩を破いた。真由美は遅れてよろめき、左肩を庇って後退した。一瞬感じた熱の感覚は痛みに変わっている。傷を押さえた右手に熱いものが溢れ出してくるのを感じた。
 傷は浅い。しかし、このまま続ければ痛みとそれによるショックで神経が弱っていくだろう。早急に決着をつけなければならない。
 花井が再び顔を出した。右頬に擦ったような跡がある。隠れてすぐに袖で血を拭ったのかもしれない。すぐに真由美に狙いを定め、続けて二発撃った。
 今度は当たらなかった。真由美の足元と、窓枠に一発ずつ。花井の実力から考えれば当たってもおかしくないのだが──そこまで考え、思い直してその甘い考えを払拭した。
 花井崇がわざと外しているとしたら──これがただの威嚇射撃なのだとしたら──いいや。
 棚の影に体を隠した。花井はまだテーブルの向こうからこちらの様子を窺っている。
 何の前触れもなく、真由美は先程外から見たものを思い浮かべた。
 セーラー服の女子生徒と向かい合う花井崇。戦闘中かと思ったが、二人は落ち着いた様子で会話を始めた。内容は聞こえない。だが──。
 気がついたら駆け寄って扉を開けていた。花井崇が仕掛けた防犯装置を引っ掛けてしまったことにも構わず、撃った。多分、それは、女子生徒の背中にだけ向けて。
 中学生が好きなのかと自分が言った。それは本当に、的外れな問いだった。だから花井が別行動を選んだのも分かる。だが、その時見た光景はその自身の問いを裏付けられたようで頭に血が上ってしまった。花井が穏やかに女子生徒と会話している姿が、写真のネガのように強く脳裏に焼き付いている。
 また、花井が撃った。今度は窓ガラスが景気よく割れた。
 それでぼんやりしていた意識が、すっと真由美の中に戻ってきた。その時にはもう、ほとんど迷いはなくなっていた。
 いつの間にか花井の抱擁に救いを見い出していた。傷を受け入れてくれた花井に、真由美は心を許しかけていた。しかし花井は、敵になるはずの女子生徒に味方した。──許すことは、できなかった。
 あたしはあの時からずっと一人。今も独りぼっちだ。
 誰かが癒してくれることなんて、やっぱりない。
 傷口から放した右手が紅く染まっている。改めて見て、ぞくりとした。しかしもう恐れはない。恐れはなくさなければ、ならない。頭が怒りと混乱で熱くなっている。
 ポケットから取り出した手榴弾のピンを掴んだ。ほとんど衝動的に。
 友達は死んだ。親はあたしを見捨てた。恋人はあたしを裏切った。だから、一人きり。だから──。
 ピンを引き抜き、振り返って投げた。西村みずきの死体を越え、花井のいるテーブルの向こうに丸いものが転がっていく。花井の頭がテーブルから微かにのぞき、転がっていく手榴弾を振り向いた。そこまで見送ってから真由美はドアノブを掴んで外に出た。
 同時にぼん、と大きな音と白い煙がドアから溢れだした。真由美は口を袖で覆い、入り口の方へ走り出した。花井は出口を目指して床を這っているはずだ。それも、真由美が逃げたのとは反対方向に進んでいるに違いない。
 数十秒が経過した。真由美は痺れをきらし、また裏口の方へまわってみた。花井は出て来ない。
 まだ中に──?
 窓からのぞいてみるものの、密閉されている室内はまだ煙っていてよく見えない。
 ぱん、と中から銃声がした。続いて表のドアが開いた音がした。真由美はすぐにCz-75を抜き出し、再び入り口へ向かった。
 そっと様子を窺うが、花井は現れない。待っている佐倉の耳に、今度は裏口の方からの音が聞こえた。
 まさか!
 駆け戻る途中、花井の背中が見えた。学生服は少し白く汚れ、花井の髪も乱れている。少しこちらを振り向き、すぐに薮に突っ込んだ。真由美は慌ててCz-75を構えたが、揺れる草が遠ざかっていくのを静かに見守ることしかできなかった。
 振り返った時の花井の瞳が、まだこちらを見つめているような気がした。冷たく無感情なようでいて、どこか少し苦しそうな目。真由美は大きく息を吐き、銃を降ろした。唇が震え、吐き出す息も震えている。
 花井はもう、わざわざ戻ってきて反撃することはしないだろう。花井の行動から全て分かった。どんなに真由美が必死に向かっても、花井は本気で相手にしない。相手を殺すだけの力がありながら、その場面に遭遇することを避けている。
 思い出した。二年前のプログラムでも、彼のような目をしていた人が、いた。何人も。ゲームには乗らないと苦しげに誓った彼らは、真由美が会場で逃げ回っているうちに次々名前を呼ばれていった。力があっても生き残る気力がなければ死んでしまうだけだ。その時はそう思った。
 待って。じゃあなんで、花井君はここにいるんだろう。あたしの友達は──相手を殺せなくて死んでいった。花井君は死にに来たと言った。それが正しくて、相手から殺されるのを待っているのだとしたら、何で逃げていったのだろう。死にたいのに、必死に生きのびようとしているじゃないか。
 もう一度花井が消えていった方を見た。真由美の疑問に答えるものは誰もない。花井に対する激しい嫉妬や怒りは薄れていた。
 思い出したように痛みだした左肩を押さえ、真由美はよろよろと歩き出した。早くどこかに隠れて応急処置をしなければならない。
 滲み出した血が、つーっと肘の辺りまで降りてきた。それをまた拭いながら、静かに思いを巡らせた。
 花井君がどうしたいのかは分からない。だけどあたしは──ひとりぼっち。あたしを生かせるのはあたしだけ。
 全員殺してでも、一人で生きていかなきゃならない。



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