32

out

 交錯していた銃声が止んだ。海老名千賀子(3番)は、一度身を隠した建物の陰から顔をのぞかせた。更に乗り出そうとしたが、梅田夏枝(2番)に腕をつかまれ、止められた。
「ねえ、誰もいなくなってる」
 夏枝の顔を見上げて言った。しかし、夏枝は千賀子の腕を掴んで離さない。
「どこ行っちゃったんだろ」
 千賀子は不安になり、更に言った。またちらと陰からのぞくが、いつの間にか銃声と一緒に人の気配も消えていた。
 純と梨沙は逃げ切ることができたのだろうか。麗未は彼女たちのどちらかを追って行ったのだろうか。あるいは──二人とも殺されてしまったのだろうか。
 千賀子はぞっとして、嫌な想像を振り切ろうと頭を振った。胸を染めた喜美と、いくつも穴を開けた弥生の死体が脳裏によみがえってきて、体が震えた。
「様子がおかしいね」
 それまで黙っていた夏枝が口を開いた。今度は夏枝が建物から顔を出し、辺りを見回した。
 ぼんやりする頭で、千賀子は考えた。一体──一体、さっきの騒ぎは何だったのだろう。あたしだって最初はすごく怖かった。梅子に会って、見つけた子に声を掛けていくところまではよかった。何がいけなかったのか──そうだ。あの子だ。操。操がいきなりあたしを疑い出すから。
 操の怯え切った顔に次ぎ、山口久恵の顔が頭に浮かんだ。
 久恵は一体、誰にやられたんだろう? 本当にこの中に久恵を殺した子がいたんだろうか? 麗未が疑ったように、操がやった可能性もある。同じグループだからといって、殺さない理由にはならない。なら、弥生がやっていないと言ったのだって、嘘かもしれない。わからない。もしかしたら、一度も会っていないけれど、河野幸子の可能性だって──。
「チカ」
 夏枝が千賀子の肩を叩いた。千賀子は考えを切り、背の高い夏枝を見上げた。
「ほんとに誰もいないみたい」
「本当に?」
 千賀子の問いかけには答えず、夏枝がまた周囲に視線を飛ばした。夏枝の後ろ、建物の屋根の辺りに黄色い蝶が飛んでいくのが見えた。
「二人を探そう」
 思わず、「え?」と聞き返した。夏枝は確かに、二人を探そうと言った。しかし。
「純ちゃんと梨沙を探そう」
 夏枝が言い直した。千賀子はぼんやりと夏枝の顔を見ていた。夏枝が何を言わんとしているのか、すぐに理解できなかった。
 すぐに答えない千賀子に痺れをきらしたのか、夏枝が首を振って付け足した。
「……言いたくないけど、麗未は多分、もう仲間になれない。でも二人なら大丈夫。梨沙なんかさっき、あたしたちを庇ってくれたじゃん。まだ遠くには行ってないはずだよ。探そう」
 言葉で説明されてやっと、千賀子は夏枝の言った言葉の意味を理解できた。しかし、同調することは出来なかった。
「ほんとに、久恵を殺したの、あの中にいなかったのかな。二人がやってないって、いえるのかな」
 こんなことを口にするつもりなどなかったが、言葉が転び出ていた。夏枝は暫く黙っていたが、一度大きく息を吐き、千賀子の肩に手を置いた。
「そうだね。あたしにもそれは、言えないよ。だけど、久恵を殺した人が、あたしたちを助けると思う? 死んでもいいと思ってたら放っとくはずだよ。危険な目に遭うのを分かってて人を助けるって、すごく大変なことだよ。だけど──」
 置かれた手が、ぎゅっと千賀子の肩を締め付けた。
「だけど梨沙には、それができたんだよ。信じてみる価値はあると思うんだ、あたしは」
 夏枝の手の平から温かい体温が伝わってきた。そしてやっと、夏枝の考えが分かった。
 あたしは、自分が怖いと思うことにだけ気を取られていた。疑うことばかりで、他の人の気持ちを考えていなかった。心の中、臆病な自分をぽかりと叩いた。
 頷いた。一回、それからもう一回。自分の意志を確認するかのように。
「そうだった」
 顔を上げ、夏枝と目が合った。
「梅子は偉いな。あたしは怖くて、どうしていいかわかんなくて、全然そんなこと考えつかなかった」
 夏枝がにこりと顔を綻ばせ、首を振った。千賀子の肩をぽんと叩き、歩き出した。すぐに後ろに続いた千賀子を振り返った。
「じゃあ、行こうか。まず必要な荷物をまとめて──」
 突然言葉を切り、夏枝が何かに気付いたように横に視線を飛ばした。続いて、建物の陰から出ていこうとした千賀子を突き飛ばした。
 芝生に仰向けに倒れ、千賀子のスカートが捲れ上がった。尻餅をついた衝撃で持ち上がった自分の脚の向こう、夏枝がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。しかし、夏枝の体が建物の壁に隠れるのを待たずして、ぱん、とよく聞き慣れた音が響いた。
 セーラーの肩が破れ、白い糸屑と一緒に血が跳ね上がった。夏枝の体が傾き、千賀子の方に助けを求めるように手を伸ばした。
 倒れる直前、また、ぱん、と銃声が届いた。夏枝の脇腹がさっと赤くなった。そのまま俯せに倒れた。
 千賀子は上半身を起こし、腰だけでずるずると後退した。後退したつもりだったが、実際はあまり移動していなかった。露になった脚には構っていなかった。今度こそ本当に、全身ががたがた震えていた。目の前で、夏枝が撃たれた。──千賀子は丸い目を更に大きく見開いた。
 夏枝の腕はまだ、千賀子の方に伸びたままになっている。その先の指が、芝を土ごと掴んだ。思わず千賀子は腹這いになって、側に寄った。
 手を握った。
「梅子」
 もう片方の手は、撃たれた脇腹に添えられている。指の隙間から血が、止めどなく溢れて芝を赤く塗り替えていた。
 俯せになった体を裏返し、夏枝の顔を見た。苦痛に歪んだ表情を見て、千賀子はぶるぶる首を振った。
「梅子……やだ、しっかりしてよ」
 血に濡れた方の手も握った。夏枝の指が少しだけ、動いた。
 なんて──なん、てことに──そもそも、これは、最初みんなで集まって、操が現れて、あたしを疑うから──ああ、なんであの時、冷静でいられなかったんだろう。あたしが落ち着いていれば、みんなはきっとばらばらにならなかったかもしれない。喜美も、弥生ちゃんも、死ななかったかもしれない。それに──夏枝だって。
 涙がはらはらと流れ出た。夏枝は撃たれる瞬間、とっさに千賀子を庇ったのだ。夏枝が言った。危険な目に遭うのを分かってて人を助けるって、すごく大変なこと。そう、それを、彼女は出来たんじゃないか!
 位置を変え、夏枝の上に覆い被さるように座った。襲撃者のことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。千賀子を助けたいという、夏枝の意を汲むことは出来なかった。置いて逃げることなど出来なかった。
「梅子……あたしを、庇ったの? 庇って、くれたんだね?」
 髪を伝い、涙が夏枝の頬に落ちた。夏枝は目を閉じている。
「やだよ、梅──」
 また、銃声が響いた。今度はもっと近く。千賀子のこめかみの辺り。
 千賀子の意識はそこで途切れ、横様に倒れた。こめかみから溢れ出した血が頬に降り、涙と混ざった。


 佐倉真由美は、もう一度夏枝の頭に向けて発砲した。千賀子と同じように一度頭を揺らし、夏枝は動きを止めた。
 真由美は振り返り、ちょうど追い付いてきた花井崇を見た。構えていたCz-75を降ろした。
 花井が静かに近付き、倒れている二人と真由美を交互に見た。
「マシンガンのやつは逃げたけど……これで二人減った」
 花井の顔を見た。花井は黙ったまま、真由美を見た。見た、というよりは睨んでいる、と言った方が正しいかもしれない。少し表情が険しくなっていた。
「この二人は──いや、こっちの子は……」
 千賀子を指差した。
「少なくとも、こちらに向かってくる意志も、武器もなかったはずだ」
 真由美は眉だけ微かに動かし、「だから?」と言った。花井はそこからまた黙った。
「……なんだ、見てたんだ?」
 素っ気無く、真由美は言った。見ていたならば手伝ってよ、とでも言いたげに。
 花井が大きな溜め息をついた。
「俺の方針は、やれる時に無理なく、だ」
「今、やれそうだったからやったんだけど」
「そうじゃない」
 花井がぴしゃりと言い放った。思わず真由美は黙って、息を飲んだ。しかしすぐに、疑問と怒りが沸き上がってきた。
 最初の時もそうだった。殺せる時に、花井は殺さない。武器を持っていないという理由だけで逃がしたことだってあった。そんなもの、むしろチャンスじゃないか。ああ、そうか、そうなのか──。
「何こいつらの味方してんのよ」
 花井が顔を上げた。続けた。
「殺したいから来たなんて、とんだ大嘘じゃん。あたしの手をひっぱたいてまで殺させないようにしたこともあったよね」
 花井が目を細めた。あらあら、図星?
 更に言った。
「花井君てロリコンなんだ? おとなしそうな地味ブスがタイプなの?」
「どうしてそうなる」
 花井が、ほとんど感情のない声で言った。
「そういうことでしょ。あたしにはなんの興味も示さなかった癖に──」
 花井がそこで、くるりと踵を返した。真由美は思わず言葉を切った。ここまで言うつもりではなかった。単なる嫉妬。恥ずかしさと気まずさで、真由美は黙った。
 思わず興奮してしまったのだ。今までたまっていた不満が出ただけ。ここは謝った方がいい。顔を上げた。ちょうどその時、花井が振り返った。
「別行動だ」
 真由美は自分の耳を疑った。
「俺はここから移動する。ついてくるな」
 花井の背中が遠くなっていく。前にも同じことがあった。しかしもう、待ってといったところで待ってはくれないだろう。
「ちょ、ちょっとお」
 花井は振り返らない。
「ちょっと言ってみただけじゃん。何マジになっちゃって──」
「最初に言ったはずだ」
 背中越しに花井が言った。意見が分かれたらそこで解散──そうだった。なら今から、敵ってわけ?
 傍から見たらただの痴話喧嘩に見えるかもしれない。花井も恐らく、顔にこそ出さないが、真由美に対してそういった視線を向けているかもしれない。バカな女だと──そうに決まってる。
 花井の背に向かって銃を向けた。感情の高ぶりに任せて撃ってしまおうかと思った。だが先に、花井が振り向き、真由美にガバメントを向けた。
 花井の手の中から火が噴き、それは真由美の顔を僅か三センチほど逸れて飛んでいった。
 真由美は恐怖に竦んだ指を動かし、弾丸が通り過ぎた辺り、風に靡いた髪を撫でた。何事もなかったかのように歩いていく花井の背を見送りながら、また、ふつふつと暗い感情が腹の底から沸いてくるのを感じた。
 いい。わかった。意見が分かれたら。花井君が必要な時だけ殺すなら、あたしは、無理をしてだって全員殺してやる。最初からそのつもりだったじゃないか。あんな男を一時でも信用して、ばかだった。
 Cz-75をスカートの前に挟み、デイパックを持ち上げた。
 ──そして最後の最後、花井崇を殺してやろう。


【残り18人+2人】

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