30

fall

 操が続けた。
「久恵、ナイフか何かで殺されたの。あたし、見てた。だから……」
 口を開きかけた梨沙を遮り、夏枝がずんずん大股で二人のいる場所へ進んだ。操の肩に手を掛けた。
「操、落ち着こう。最初から話してよ、ちゃんと」
 夏枝と操に視線が集まった。操は夏枝を見上げながら、恐る恐るといった雰囲気で口を開いた。顔はまた、蒼白になっていた。薄い唇が微かに震えている。
「久恵と一緒にいたんだけど、急に、久恵が倒れて。音がなかったから、銃、じゃないし、血が出てたから、ナイフ、で」
 夏枝は首を振った。ぶんぶんと音がしそうな程、強く。夏枝にも分かった。操が何を思っているのか。操が、千賀子を疑っているのだと。
「チカとあたしはずっと一緒にいたよ。だから、犯人は違うよ。第一、チカが久恵を殺すわけ──」
「そんなの、そんなの……」
 操も負けじと首を振った。その怯え切った表情から見るに、平静を保っていないのは明らかだ。
「はあ?」
 千賀子が夏枝を押し退け、操の前に進んだ。いつもの健康的なピンク色の頬は赤みを増し、今や千賀子の顔は真っ赤になっていた。今にも泣き出しそうに顔を歪めながら、操の顔を睨み付けた。
「あたしが久恵を殺したっていうの? なんでそうなるわけ?」
 梨沙は無意識に両手を口元に持っていき、首を振った。このままではいけない。空気が凍り付く。しばらく嫌な沈黙が続いた。
「あたしは……」
 不意に弥生が口を開いた。睨み合っていた二人もゆっくりと弥生の顔を見た。きょろきょろと周囲に視線を飛ばしながら、言った。
「あたしの武器は、コルク抜きだった。ワインの蓋を取るような……。だから、違う」
 千賀子がきっと弥生の方に目を向けた。千賀子を庇うために発言したのではなかった。早く疑いの対象から外されたいという意図に気付き、千賀子はますます頬を赤く染め、もはや、湯気が出そうな程だ。弥生は無表情のまま俯き、ぎゅっと拳を握った。
「だって、本当にあたしじゃないから、疑われたくない」
 相変わらず千賀子から視線を外して言った。
「あたしだって違う!」
 千賀子が大きな声を上げた。今にも弥生に掴み掛かりそうな勢いの千賀子を押さえ、夏枝が二人の間に立った。
「だったらうちはハンマーだから、違う」
 喜美が本当についでに、といった感じで言った。千賀子はもう視線を喜美に飛ばすことはしなかったけれど、代わりに今まで黙っていた麗未が前に進み出た。
「だから嫌だったんだよね、操を仲間にするの」
 操がびくっと体を強張らせ、麗未の顔を見た。しかしそれに動じることもせず、続けた。
「連れてきたらこうなるって、わかんなかったの?」
 純と喜美を横目で見た。喜美がそれで、ぽかんと口を開けた。すぐに眉を寄せ、何か言おうとしたけれど、純が先に「待って」と言った。
 皆を順番に見回し、純が唇を噛んだ。
「ここで喧嘩したらおしまいだよ。ねえ操ちゃん、久恵ちゃんがナイフでやられたって確認したの?」
 操はじっと足元に視線を落とし、たっぷり思い返しているようだった。静かに首を振った。
「そうじゃないけど、でも」
「ああ、もういいよ」
 麗未が遮った。
「確認してないならいい加減なこと言わないでよね。てか、ほんとは操がやったんじゃないの?」
「麗未ちゃん!」
 純がいささか強い口調で言った。麗未はそれに圧倒されたように目を丸くしたが、すぐにまた目を細めた。
「なに、こんな時までいい子ちゃんでいたいわけ?」
 純が反応するより先に喜美がばん、と建物の壁を叩いた。これには麗未も、純も、驚きを隠せなかった。
 梨沙はじっと夏枝の背中を見つめた。助けて欲しかった。誰でもいい。せっかく集まった仲間で喧嘩をするなんて、最低だった。しかし、いつものようにはきはきと言葉を発することが出来なかった。
「そんなに純ちゃんのすることが気に入らないなら、別行動すればいいじゃん」
 喜美の口調が荒くなっていた。賢い彼女のこと、普段は人当たりもよく面倒なことには首を突っ込まないようにしている感があったが、純のこととなれば別だった。喜美は仲の良い友達が何か言われている時だけは、我慢が出来なかったのだ。
 純が不安げに喜美の顔を見上げた。自分が中傷されたことよりも、喜美が感情をセーブできなくなっていることに気を取られているようだ。
 麗未の顔から、表情がすっと消えた。右腕に抱えたキャリコM950の銃口が、喜美の胸に向けられていた。喜美の表情が強張った。
「何、考えてるの」
 喜美は、それでも精一杯虚勢を張っているのだろう。語尾が震えていた。麗未は唇を引き結んだまま、銃口を喜美に向けている。
「ちょっと──」
 梨沙はようやく声を出した。その梨沙の方へ向こうとした時、これは恐らく偶然に、麗未は指に力を込めていた。一秒と待たずにキャリコは弾をまき散らし、次の瞬間にはもう、喜美は仰向けに倒れていた。建物の塗料が削れ、喜美の赤く染まった胸元に無気味なトッピングを施した。
 きゃあ、と短く叫び、操が駆け出した。よろけながら、入ってきた門にぶつかり、右へ姿を消した。一方、千賀子は怒りを忘れ、今はぼうっとした表情を浮かべている。
 麗未の脚ががくがく震えだした。恐らく本人は発作的に、喜美を脅かすつもりでキャリコを掲げたのだ。それが、誤って引き金を引いてしまった。
 輪が崩壊するのは簡単だった。弥生が勢いよく方向を転じ、デイパックに飛びかかっていた。混乱の中、何か武器を手にしようと思ったのかもしれない。しかし弥生が武器を手にするより先に、麗未が引き金を引いた。銃弾が地面を走り、弥生に追い付いた。ふくらはぎから肩までに一列に穴が空き、弥生は頭からデイパックに突っ込んだ。
「麗未! やめて! やめて──」
 夏枝の叫び声が聞こえた。しかし、麗未はその悲鳴の方へと銃口を向けた。千賀子を抱きかかえるようにして夏枝が転がった。
 危ない!
 梨沙は麗未に後ろから体当たりしていた。麗未は一度バランスを崩しかけたが、すぐに梨沙の方へ向き直った。キャリコは真直ぐ梨沙の方へ向いている。距離は、一メートルとない。狙いが外れることはほとんど、ない。
 背中が冷たい汗でぐっしょり濡れていた。ゆっくり後ずさりながら、梨沙は今までに見た死体たちを思い浮かべた。ああ、あと数秒もしない間にあたしもそうなる。
 ばん、と銃声が響き、麗未は狙いを梨沙から外した。
 振り返った先、既に茂みの中に体を隠していた純が、ブローニング・ベビーを麗未に向けていた。麗未は歪めた唇から歯をのぞかせ、その純のいる方へ向かって発砲した。腕をぴんと伸ばしているため、狙いが定まっていない。地面に置いたホースから勢いよく水を出した時のように、弾は八の字型にうねりながら飛んでいく。
 今だ。
 梨沙はくるっと踵を返していた。
 逃げるなら今しかない。
 茂みに突っ込んだ。残りの、恐らくまともな、夏枝をはじめとする三人を置いて逃げるのか? ──心のどこかで良心が咎める声がしたが、その声はあまりに小さかった。体は危険を感じている。肉体は、ここに留まることを望んでいない。
 柵を越え、茂みを割って道路に飛び出した。そこで目の前に黒い色が広がった。
 転校生──。
 思ったが、その人物はスカートを穿いていた。安堵するよりも早く、梨沙はその黒い影に衝突していた。


【残り20人+2人】

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