29

paranoia

 B=1岩場へ続く道は禁止エリアに入っていた。
 花嶋梨沙(26番)は後ろを振り返り、「こっち」と声を掛けた。それに続く望月操(34番)は、梨沙のセーラー服の裾を引っ張りながら、そろそろと周囲に気を配っていた。
 条ノ島ホテルから道はいくつか分かれているが、あまり足場の悪い方へは行かない方がいいだろう。上履き(バレエシューズ、というやつ)のような薄い素材の靴ではすぐに足の裏が痛くなってしまう。おまけに見通しの良い場所はよくない。
 そのあたりのことを考慮に入れ、梨沙はC=2へ続く細長い階段を上がることに決めた。
 それは随分急な階段で、上の方に白い建物が見える。
 灯台──。
 梨沙は首を上に持ち上げ、白い筒型のものを見た。地図に灯台は、B=2の条ノ島灯台と保房灯台の二つ。ここはC=2にあたるので、灯台はもう一つあるということになる。
 階段をのぼり切ると、木製の柵の付いた細い道が建物の方へ伸びている。ちまちまと進む操を急かし、建物の正面へまわりこんだ。
 扉が一つだけあった。梨沙はノブをゆっくりまわし、静かに扉へ体重を掛けた。かちっ、と音がした。だがすぐに、扉はびくっと震え、動きを止めてしまった。
「閉まってるなあ」
 操がほっと息を吐いたようだった。唾を飲み込み、白い喉が上下している。
「あっちへ行ってみよう」
 芝の生えた空き地を抜けると、西洋の庭園のような美しい細工を施した噴水が現れた。水は出ておらず、たまった水は泥で濁っていた。もし万が一噴水が出ていたら、顔くらいは洗いたかったのだが──それも出来そうにない。梨沙は仕方なく汗に濡れた額を擦った。
 白い階段を下っていくと、今度は商店街の端に出た。操がいやいやするように首を振る。梨沙は、この辺りで山口久恵が死んだのだということを思い出して、パーキングエリアの方を指差した。
 まさか、まだ久恵が死んだ場所に犯人が留まっているとは思えない。操に場所を知られている以上、動くのが賢明ではないだろうか。
 そんなことを考えながら次にそちらを振り返った時──梨沙は腕を伸ばしたままびくっと体を強張らせた。
 停まっている大型トラックの影から、何の前触れもなしに二人の女子生徒が現れた。操が背後から、強く腕を握っている。
「喜美と純ちゃんだ」
 操は原田喜美(27番)堀川純(29番)の名前を挙げた。
 なるほど、よく見てみるとすぐに分かった。長い髪を二つに分け、耳の上の位置から三つ編みにしている純と、ほとんどおかっぱに近いほど切りつめたショートヘアの喜美。この二人の組み合わせは学校でもよく見られたので、とても自然だった。
 ぼんやり観察している梨沙の腕を、操が更に強く引いた。「早く早く」と言いながら、降りてきたばかりの階段の脇に引き寄せようとしている。
 しかし、喜美が顔を上げ、こちらを見た。喜美も操がしたように、純の腕を引いた。純が振り返り、その右手に黒い塊が見えた。
 とっさに梨沙は手を挙げた。こちら側にやる気がないことをアピールしなければならない。相手が一発でも撃ってしまえば、それから落ち着かせることはとても難しい。
 二人は梨沙が考えるに、どちらも友好的で仲間になってくれそうな人物だ。このチャンスを逃すわけにはいかない。やる気がないことだけでも分かってもらえれば──。
 ところが純は、思わぬ行動に出た。
「梨沙ちゃんと、操ちゃん?」
 言い終わらないうちにこちらに駆け寄ってきた。喜美は一度純を引き止めるような仕種をしたが、すぐに後から来た。純は銃を構えてはいなかった。
 静かに両手を降ろしながら、梨沙は純の顔をまじまじと見た。彼女は感じのいい笑顔を浮かべている。これはそのまま、いい意味として捉えるべきか。それとも。
 梨沙の足元を見て、純が先に口を開いた。
「大丈夫? 血が出てるよ」
 梨沙はすぐに首を振った。
「あたしのじゃないの。スタート地点から出る時に、彩達の死体の側を通って──」
 純が静かに頷いた。すっかり忘れてしまっていたが、血だまりを踏んだ時に靴下に掛かっていたのだ。染みは既に茶色くなっている。自分でそれを見下ろし、ぞっとした。
「そっか。彩ちゃんたち、最初に……」
 純も言葉を濁した。その表情から見るに、ほんとうに辛いのだろう。
「どうする?」
 喜美が純に問いかけた。すぐに梨沙の後ろの操に目を遣り、気付くか気付かないか分からないくらい微妙に、苦々しい表情を浮かべた。
 喜美の問いかけの意味は分からない。しかし、普通に考えれば仲間にするのか、そうではないのか、を尋ねているらしいことは分かる。喜美と操の間に何があるのかは知らないけれど、喜美は操をあまり良く思っていないようだ。
「喜美ちゃん」
 純が諌めるような口調で喜美の方を見て、また梨沙達の方に目を向けた。喜美はやや不満そうにしている。
「あたしと喜美ちゃんは、誰か仲間になってくれそうな人を探してるんだけど、よかったら一緒に来ない?」
 まるきり、遊びに誘う時のような口調だった。しかし、それ以外うまい言い方もないだろう。
「あたしたちもそう思って探してたの。ね?」
 振り返って操を見た。操も静かに頷く。
「今、他の人は宿泊所の方にいるんだけど……」
「他の人? まだ、いるんだね?」
 純の言葉を遮り、梨沙は興奮気味に身を乗り出した。声や表情からは喜びがにじみ出ていた。もしかすると仲の良い井上明菜(1番)西村みずき(23番)に会えるかもしれないといった希望と、救えるクラスメイトが増えるという喜びが混じっていた。
「梅子と、千賀子ちゃん、弥生ちゃんと……あと……」
「麗未ちゃん」
 喜美が付け加えた。そこに、梨沙が期待した名前はなかった。しかし、仲間がこれだけでもかなり増えた。
「チカと弥生ちゃんがいるって。よかったね」
 梨沙は振り返って操の顔を見た。操のグループの二人も混じっている。ほんの少しだが、顔色を悪くしていた操が笑顔になった。
 

 宿泊所までの道のりは遠かったが、途中は誰とも遭遇せずに進むことが出来た。
「操だ。弥生ちゃん、操が来たよ」
 迎えに出た海老名千賀子(3番)は操に駆け寄った。そして振り返り、手招きをした。その明るい声に少しだけ安心した。呼ばれるままに仲沢弥生(21番)もすぐ二人の側へ進み、その途中で梨沙の方へ目をやり、弥生は軽く会釈した。
 梨沙も軽く笑み返しながら周囲を見渡した。しかし──。
 やっぱり、明菜とみずきはいない。
 井上明菜も西村みずきもいなかった。二人とは、出発してから一度も顔を合わせていない。二人は今のところ死亡者リストには入っていないけれど、銃声はもう何度か聞こえている。
 再会を喜ぶ三人の姿をぼんやり眺めていると、梅田夏枝(2番)が梨沙の隣に並んだ。
「操に会うまで一人だったんだって? 大丈夫だった?」
 梨沙は背の高い夏枝を見上げて(同じバレー部だというのに、夏枝の方は百七十センチを越えている)首を縦に振った。
「大丈夫。ありがとう」
「そうか。よし。もうみんないるから安心だからね」
 にっこりと破顔し、梨沙の肩を叩いてから荷物のまとめてある方へ戻っていく。彼女の落ち着いた態度と前向きな姿勢は健在だった。梨沙はその背中を見ながら、頼れる人物に会えてよかったと心から思った。
 夏枝は屈み、デイパックに手を入れてガサガサとかき回した。それから振り返って丸い缶詰めをかざした。
「そろそろみんなでこれを分けましょう! あたしの支給武器、感謝していただきましょう!」
 はあい、と明るい声で純が答えた。夏枝の武器は本当にそんなものだったのだろうか。缶詰めのラベルには派手な色使いの果物が描かれている。この人数で分けて、腹の足しになるだろうか。──だが、鮮やかなラベルの色に刺激され、胃が空腹を訴えだした。
 梨沙が首を回した先、松の木に寄り掛かっていた日下部麗未(8番)が眠たそうに目を擦っている。そしてその手の中、長さ三十センチはあるマシンガン、キャリコM950が見えた。
 純の持っているブローニング・ベビーと合わせれば、銃は二つある。危険な状況に陥っても、人数もいれば武器もある。何とかうまくいきそうな、気がした。
「操?」
 背後からした声に梨沙は振り返った。千賀子と操が向かいあっている。その姿は先程とほとんど変わらないものだったが、二人の顔だけは強張っていた。
「ちょっと、何?」
 千賀子が操の方へ一歩踏み出した。操がすぐに後ずさる。その異様な雰囲気に気付き、他のメンバーも二人に注目した。
「やだ。何もするわけないでしょ。操が見せてって言うから……」
 千賀子が右手を前に差し出した。その手に握られている錆びて赤くなった包丁。梨沙はその支給武器と操の顔を交互に眺めながら、少しずつ、事態を飲み込んでいった。
 待ってよ。せっかく仲間ができたっていうのに──。
「来ないで」
 梨沙が言葉を挟むより先に、操が弱々しく震えた声を吐き出した。


【残り22人+2人】

Home Index ←Back Next→