28

Her purpose. His intention.

 E=7、中村香奈と筒井雪乃が戦闘を行ったすぐ下、細く急な階段が岩場に向かって伸びていた。その途中、草木に覆われた石段に花井崇佐倉真由美はいた。
 人の話し声とウージーの音に反応し、すぐに飛び出そうとした真由美を花井は押さえた。花井の目が、”行くな”と告げている。歯痒かったけれど、真由美は何故か無理に出ていくことは出来なかった。
「今はだめだ」
 真由美の耳元に顔を近付け、花井が囁いた。その低い声でうなじに鳥肌が立ち、真由美は慌てて花井の顔を見上げた。花井は音のした上の方、ここからでは茶色い岩肌しか見えないけれど、その辺りをじっと見上げている。真由美の反応には注意を払っていない。
「マシンガンを持っている相手と正面からぶつかるのは危険だ」
 コルトガバメントをベルトに挟み直しながら言った。
 素直に頷きながら、真由美は首筋を擦った。鳥肌は引いていたが、まだ花井の息と低い声が耳朶に張り付いている。
 ──さっきの事をまだ、意識してるんだ。
 明け方、花井は真由美が落ち着くまでそのまま抱き締めていた。一切感情を込めない、ただ肩に手を回すだけの抱擁。しかしそれでも、とても温かかった。
 花井はそれから一切その話題に触れていない。展望台の銃撃戦の跡を見に行く時も、それからここの階段に隠れた時も、必要最低限の言葉しか交わしていない。あの抱擁は幻だったのだろうか、と思う程に自然なのだ。
 真由美の視線に気付き、花井が首を傾けた。耳に被さった黒髪が少しもつれている。
「花井君、さ」
 学ランに付いた土埃をぱたぱたと払い、花井は真由美の方を見た。
「なに?」
 黙ったままの真由美に向かい、言葉を促した。突然思い付いた疑問をぶつけてみたくなり、口を開いた。
「死にたいからきたっていうの、本当なの?」
 しばらく黙り、花井は視線を上げた。自分の言葉を思い出したのか、「ああ」と短く唸った。
「そうだよ」
 淡々とした言い方。花井の態度はいつもそうだった。特に、彼は全てに執着心がないように見える。何となく、哀れに思った。先程、恐らく同情される立場にいた真由美が、今度は彼に同情している。
「どうして? 花井君を心配してくれる人、いないの?」
 言いながら、呆れていた。この言い回し。真由美自身が何度も聞いたことのあるものだった。
 家に帰っていないことがばれた時、生徒指導の教師が言ったのだ。どうしてこんなことを? 親御さんはどう思うかしら? ──思い出した。ムカツク。
「なにを今更」
 鼻で笑うように言った。横目に真由美を見ている瞳の中に、またあの、残酷な色が浮かび上がっていた。
「死にたいだけじゃない。殺したいんだ」
 再びうなじの辺りがぞくっとしたが、耳元で囁かれた時のように体の奥が掻き立てられるときめきはなかった。
 じっと顔を見つめたまま、真由美は体を震わせた。この花井の持つ、温かさと冷たさは何なのだろう。あまりに正反対な表情、声色。花井に対して開きかけていた扉が、ぎいいと嫌な音を立てて閉まっていく。
 花井も真由美の顔を見た。そのまましばらく、二人は見つめあった。数分、いや実際は数秒に過ぎなかったかもしれないが、長い二人の静寂を破ったのは花井の方だった。
「そっちもそうだろ? 俺はここで優勝したら、次の大会へ行くよ。死ぬまでずっと、そうする」
 死ぬまで、ずっと。
 真由美は瞳を丸く開いたまま、考えた。あたしは何のためにここに来た? 死ぬため? 殺すため? ──ううん。どっちもだ。受け入れられない悲しみから逃げたくて、あたしの味わった辛さのひとかけすらも知らない温室育ちの少女達に嫉妬して──。
「そう」
 顔を上げた真由美の目に、花井と似た冷酷な光があった。
「その通り」
 花井は曖昧な笑みを浮かべると、一段飛ばしで石段をのぼった。真由美もそれに続いた。
 海に向かって張り出した石畳の端に、木製の柵がついている。花井はそこに背を付け、展望台を見上げた。真由美はその横に追い付き、逆に海の方を眺めた。普段は漁船が多く浮かんでいるであろう海の上には、政府の見張りの船が浮かんでいる。
 緑色に透き通った海を臨む絶好のロケーションは、その船の存在によって大きく雰囲気を変えていた。
「行ったみたいだな」
 慎重に様子を探っていた花井が柵から背を離し、歩き出した。その背後にぴったり寄り添うように真由美も続いた。
 吹き付ける風がスカートを持ち上げ、下に穿いている緑色のジャージを露にした。スカートの膨らみを押さえることもせず、真由美は花井の後ろ姿を追った。
 目の前を歩いている花井が突如、呟いた。
「みんないなくなってしまったよ」
「え? 何?」
 花井が首を振った。デイパックを背負い直し、答えることはしなかった。しかし、真由美には何のことか分かった。
 心配してくれる人はいるか──? 彼の答えはノーだった。
 親族か友人か、恋人か。あるいは全部の可能性もある。彼の大切な人々は、彼の心を道連れに、いなくなってしまったのだ。
 別れは死によってもたらされたのか、真由美のように相手との関係がこじれて疎遠になってしまったのか、どっちともとることができる。しかしいなくなったという表現からはどうしても死を連想してしまう。
 ──いなくなってしまったよ。
 そう言った時の花井の顔は、分からない。けれど、あの冷たい瞳の中に少しだけ憂いを含んで、口元には自嘲気味に笑みを浮かべていたに違いない。真由美にはそう思えて仕方がなかった。
 そしてとても、悲しかった。花井の背中に滲んでいる孤独は、真由美が持つそれとそっくりだった。
 だからこそ花井の冷たい言葉の数々が、強がりのように思われてならなかった。


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