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unhappy encounter

 レンガ色の歩道の先、薄い緑色の屋根の建物が見えた。中村香奈(20番)はそこまで足早に進み、すぐ周囲を見渡した。人の姿はなかった。
 眠っていないのと先程の涙によって目の周りが重たかった。足取りも重く、とてもこの状況に耐えられそうになかったが、とにかく進んだ。
 二階建ての建物は展望台だった。階段を上っていくと、壁に条ノ島公園の詳しい地図が貼られていた。香奈はかつて自分がいた方角に目を遣り、それから持っていた地図を開いた。
 見比べてみると、簡易地図はいささかいい加減に作られていることが分かった。香奈はデイパックからペンを取り出し、詳しい情報を書き写した。
 先程居た展望台と、地図の中央に載っている展望台の間に現在地が赤く塗られている。展望台は少なくともこの島に三つあるということになる。
 ウージーを抱え直し、展望台の上にのぼった。東側へ伸びる幅の広い道と、両側に生えているキツネ色の背の高い草。そしてその先に、白い展望台が見えた。
 黒い鳥がその上を舞っている。香奈は目を細め、その様子をじっと眺めた。あの場所には今でも、柴田千絵を始めとする数人の死体が転がっている。後藤良子と千絵だけは何とか、胸の上で手を組ませることが出来たが、慌てて場所を変えたのであとの何人かは何もしてやることができなかった。
 またいつ、転校生が見回りに来るか分からない。とりあえず武器と予備のマガジンなどを回収し、E=8を離れた。今は恐らく、E=6か7あたりに来ているのではないだろうか。
 そういえば香奈が離れてすぐ、女の子の叫び声がした。場所は確かに、元いた展望台の辺りからだったと思う。離れたのは正解だった。
 E=8周辺に目を向けながら、香奈は考えた。
 最低だ。あたしがあんな余計なことをしなければ。
 河野舞のことを思った。やはり、彼女の心を理解することなど出来ていなかった。全て勝手な思い込み。その結果、災いは香奈でなく千絵達に降り掛かってしまった。
 千絵に渡されたウージーがまた、重みを増したようだった。彼女達の命が今、全てそこに集まっているような気さえした。
 これからどうしろというんだ。
 汗で濡れてもつれた前髪を指で分け、制服の裾を伸ばした。
 死んだ彼女達のぶんも、生きる。
 思って、何て陳腐な言い回しだろうと、自分の考えを恥じた。彼女達のぶんも生きるといえば、聞こえはいい。物語に出てくるヒロインにでもなったかのような誇りすら感じる。しかし、結局それはクラスメイトを殺す建て前に過ぎない。自分のエゴの言い訳だ。
 ──絶対、殺してやる。
 香奈は出発地点で教官に言った。しかし、それすら叶いそうにない。
 階段を降りる足取りはまた、確実に重くなっていた。これからどこに行くのかも決めていない。
 ふと、階段の脇に茶色い猫が座っているのが目についた。先程はいなかったのに、今の今までずっとそこにいたかのように堂々と座っている。香奈はゆっくり近付いた。
 香奈の動きを素早く読み、猫が立ち上がった。香奈は距離を置いたまましゃがんだ。よく見ると、辺りに固形のキャットフードが散らばっている。島民がこの猫に与えていたものだろうか。体は丸く、野良にしてはよく肥えているようだ。
 プログラムの開催地に決まったら人が住んでいようがいまいがお構い無しだ。ここの島民も、一応は協力という形でここから追い出されてしまったのだろう。
 香奈が手を伸ばした。猫はじっと見ているだけで近付いてくることはしなかった。逃げることはないが、近寄ってくることはない。あまり慣れていないのだな、と思った。
 香奈を見つめていた猫の丸い瞳が動いた。香奈の後方を、仰ぎ目で見上げた。その気配で香奈は立ち上がった。猫も素早く薮の中へ消えた。
 数メートル程後ろの薮から、筒井雪乃(18番)が顔を出していた。そして右手に握ったテニスラケット。右手は肩程の高さまで上がっていた。
 香奈は自分の頭からつま先までが一気に硬直するのを感じたが、それでもようやく、二、三歩後ずさった。雪乃の顔が強張り、右手のラケットが微かに震え出した。香奈は無意識にウージーの引き金に指を掛けていた。
「撃たないで!」
 雪乃が先に言葉を発した。ラケットがすいと前に泳ぎ、両手を香奈の方に向けた姿勢になった。その動きを眺め、香奈は首を振った。撃たない、という意味以上に混乱していた。誤解されるのは恐ろしかったが、何より、香奈が振り返った時、雪乃はラケットを掲げていた。もし気がつかなければ、後ろからぶん殴られていたのではないか? 信用は──できそうにない。
「香奈ちゃん、あたしね、成田文子ちゃんに追い掛けられたりして、怖くて、その」
 雪乃が薮をかき分け、香奈の前に姿を現した。テニス部で鍛えたすらっと伸びた脚がのぞいている。香奈は困惑した。
「あたしのこと守って。お願い」
 香奈は呆然としていた。今、この子は、なんて言った? あたしに、守ってくれと?
「え……」
 曖昧に口の辺りを緩ませ、香奈は黙った。ちょっと待った。あたしは彼女をちやほやしてる男たちとは違うのだが。
 彼女は香奈と同じ程の背丈だが、ずっと華奢で今時の女の子といった雰囲気を持っている。他校の男子生徒からも人気があると聞いたが、それはまた、別の次元の話。今、あたしに守って欲しいと言うのは筋違いじゃあないか?
 香奈の煮え切らない態度を見てか、雪乃がふんと鼻を鳴らした。雪乃の表情は、先程の怯えたものではなく、多少のいら立ちを含んだものになっていた。
「やなんでしょう?」
 低い声でそう言った。香奈が顔を上げた時、雪乃が右腕を振るった。目を閉じるのと同時、ウージーの引き金を絞った。頭に飛んできたラケットの柄がぶつかり、ウージーがドドド、と震えて弾を吐いた。
 香奈は目を開き、地面に落ちたラケットをすくい上げた。
 雪乃は既に方向を転じていた。元来た薮の中へ突っ込み、香奈はその後ろ姿へ向けてラケットを投げ付けた。しかし、当たらなかった。ラケットが縦に一回転し、黄色い草の間に倒れた。
 頭が一瞬、くらっとした。香奈は柄のぶつかった場所を擦ったが、血は出ていなかった。
 思った。やはり、ひとりぼっちだ。
 雪乃は始めから香奈に危害を加えるつもりだったのだ。そうとしか思えない。
 ウージーが撃ち抜いた道路に穴が空き、微かに煙が上がっている。
 ぼうっとしている余裕はなかった。今の音を聞き付け、また転校生がやってくるかもしれない。あるいは、やる気の、クラスメイトの誰かが。
 香奈は気を取り直すように一度首を振り、雪乃とは逆の方に歩き出した。


【残り22人+2人】

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