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 時計が午前七時を過ぎた頃、花嶋梨沙(26番)は地図のB=9の辺りをペンで塗りつぶした。条ノ島ホテルの玄関先、植え込みの縁に腰を下ろしていた望月操(34番)はそれをちらっと横目で見た。
 B=9は島の北東の海岸少しを含んでいるエリアで、現在は全く影響はないが、ここもあと四時間ばかりで禁止エリアになってしまう。
 まだ目を赤くしている操は、幾分やつれて見えた。ずっと黙って梨沙の行動を眺めているだけで、梨沙の方もいい考えがまとまらないので八方ふさがりだった。
「十一時に禁止エリアになるね、ここ」
 梨沙が呟いた。操が頷く。
「早いうちに移動しないとね。次はどこへ行く?」
 梨沙の問いかけを受け、操は黙った。
 午前六時の放送が終わった直後、遠くから銃声が聞こえた。それからというもの、動けずにいる。
 早くも二人の間の空気は悪くなっていた。操はそうは思っていないかもしれないが、とにかく。
 先程、商店街の方へ行こうと提案した時は”山口久恵が殺されたところだから怖い”と泣かれてしまった。それで操にその話題を振る気持ちはすっかり萎えてしまっていたのだが、このままずっとこうしているわけにもいかない。
 梨沙は溜め息をついた。
「あのね、あたしの意見を聞いてもらってもいいかな」
 操が顔を上げ、頷いた。梨沙は唇をなめ、へたに刺激しないよう慎重に言葉を選んだ。
「確かに、商店街は人が隠れられそうなところがたくさんあってあぶないかもしれない。そっちが嫌だったら、どこかやぶの中でもいいと思うんだ。そうだな、道路がきちんと整備されてないとこだと、人も来にくいし」 「やぶ?」
 操が眉を寄せて声を低くした。
「そう、いざとなったら」
 梨沙の横顔を眺めながら、操が泣きそうな声を上げた。
「草がぼうぼうのとこでしょ? 虫いるでしょ? 嫌だなあ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
 危機感のない操の発言にちょっといらっとしたが、忍耐強く笑みを作った。苦笑いだったが。
 ふとある考えが頭に浮かんだ。
「見て」
 梨沙が地図を取り出した。一度操の顔を見て、それから地図を操の方に向けた。
「もしいきなりこの地図を見せられたら、どこに行きたいと思う?」
 操は不思議そうに首を傾げた。梨沙は黙って答えを待った。
「うーん、と」
 細い指先で地図をなぞり、操はいくつかのエリアを指差した。
「ここ、あと、ここかな」
 指されたエリアは宿泊所、保房灯台、そして現在いる条ノ島ホテル。梨沙は二、三度頷いて地図を覗き込んだ。
 なるほど、相澤祐也が言っていたのはこういう意味だったのだ。
 梨沙は考えた。メールで祐也が言った”地図に載っていない場所に隠れろ”というのは、人と遭遇する確率を下げるためだったのだ。言われた時は動転していて、意味を理解できなかったけれど。
 操が選んだように皆も思っているとしたら、その方法がより安全だと言える。しかし──。
「あたしもそう思う。そしたらさ、みんなもそう思ってると思わない?」
 梨沙の言葉の意味をはかりかねてか、操がゆっくり頷いた。続けた。
「て、いうことは、宿泊所や灯台には絶対誰かいそうでしょ? あたし達の目的は仲間を増やすことだし、行ってみない?」
 ようやくその言葉の意味を理解し、操は「ああ、そっか」と言った。しかしすぐに表情を曇らせた。
「久恵を殺した犯人だったら、どうしよう」
 梨沙は首を振った。力一杯。あまり否定的に考えたくないと思う以上に、クラスメイトに疑いを持ちたくなかった。
「とりあえず、探そう。最初は宿泊所あたり。操ちゃんが危ないって判断したら声かけるのやめるから」
 ややためらいがちに操は頷いた。
「でもなるべく、信じよう。あたしが持ってる助かる方法はね、お互いが信用できてないと成功しないんだ」
 デイパックを抱えて立ち上がった。操も続いてゆっくり腰を上げ、それからスカートの裾に付いた土を払った。
 スカートの右側についたポケットから振動が伝わってきた。相澤祐也からの連絡に違いなかった。もう島の近くまで来ているかもしれない。だが、梨沙はポケットに目を落とし、すぐに何もなかったかのように歩き出した。
 連絡は三度目だった。条ノ島ホテルで二人で落ち着いた後、梨沙は操に様子を見てくると言って離れ、こっそりメールを送った。
 仲間を助けて欲しいと伝えた時、祐也はかなり渋ったが、梨沙の説得に押し切られて許可をくれた。自分一人救出されるというのは、あまり気持ちのいいことではないと思った。
 だが、その時も祐也は救出の方法を話さなかった。ただ、気をつけろとだけ言った。その通り、梨沙が死んでしまっては他のクラスメイトは助からない。しかし、具体的な方法を教えてもらえずに待つというのは少し、つらかった。
 でもそれは、あたしも操ちゃんも同じだ。
 梨沙はまだ、操に方法を話していない。わからないのだから仕方ないが、知人が助けに来るということすらも言っていない。
 操に詳しい事情を話すのは時期尚早に思われた。もう少し、落ち着いたクラスメイトを仲間にし、操も仲間を完全に信用することが出来たら。話はそれからだ。
 だがまた、思った。操は意識していなくとも、梨沙自身は確実に居心地の悪さを感じている。このまま人数が増え続け、果たして誰もが感情的にならずに話を聞いてくれるだろうか。
 考えながら、梨沙は段々と足取りが重くなっていくのを感じた。色々なことを考えれば考える程、もはやプログラムから脱出することなど不可能に思えてくる。
 何かのまじないのように信じなければと繰り返しながらも、不安は膨らんでいった。
「大丈夫だよね」
 並んだ操が呟いた。梨沙は視線を横に飛ばし、操の顔を見つめた。
「大丈夫だよね。仲間になってくれる人、いるよね」
 梨沙の気持ちが通じたのかどうか、分からない。だが、操は梨沙を信じてくれている。今はきっと、まじないでも何でも待つしかないのだ。
「うん。絶対いるよ」
 邪魔な妄想は追い払って、梨沙は何度も頷いた。


【残り22人+2人】

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