25

confusion

 山科亜矢子(37番)は、展望台から少し離れた茂みの中に立っていた。目の前には白い展望台と、血まみれになった誰かの死体、そして──それを見下ろしている中村香奈(20番)がいた。
 香奈はぐるっと首をまわし、散乱したデイパックをいくつか拾い上げた。それから、展望台の上に上がって行き、戻ってきた時には左手に拳銃を握っていた。
 その光景に見入っていた亜矢子は、ふと、自分が全身をさらしていることに気付いてしゃがみこんだ。そうしたことで一気に恐怖の感情が込み上げた。
 中村香奈が、殺した!
 ぎゅっと両腕で体を抱き締めながら、頭の中をその言葉が巡った。
 殺した。殺した。殺した。
 呪文のように頭の中で繰り返しながら、亜矢子は教室で見た光景を思い出した。
 富永愛が殺された時、中村香奈はあの担当教官に反抗した。それを見て、ああ、大丈夫かもしれない、香奈は大丈夫かもしれない、そう思った。
 しかし──目の前にあるのは、銃を持ち、死体を見下ろしている香奈の姿。亜矢子のささやかな期待は、いとも簡単に裏切られた。香奈は、このプログラムを有利に進めるために演技してみせただけだったのだ。
 またそっと、茂みから顔を出した。香奈は既にデイパックをまとめ、肩に掛けていた。もう一度死体の方へ顔を向けてから、亜矢子のいる方へ体を向けた。
 亜矢子は見つからないようにさっと身を低くした。香奈の足音が近くなるにつれ、心臓が激しく鳴り響いた。
 閉まった自分のデイパックを見つめ、考えた。亜矢子の武器は、ふざけたことに高さ三十センチほどの大東亜総統のブロンズ像だった。到底拳銃にかなうわけはない。そしてそれはとっくに捨ててしまっていた(もちろん、捨てる際には叩き割ってやった)。ここはこのまま、やり過ごすしかないだろう。
 お気に入りのごついブレスレットに視線を落としたまま、息を殺して香奈が去るのを待った。
 香奈の姿が横目に見えた。長い黒髪がさっと通り過ぎた。香奈の通った後に、つんと錆びたような匂いがした。亜矢子はそれから十分待って、また顔を上げた。
 死んでいるのは誰だろう。
 銃声を聞き付けた時からは想像できないほど辺りは静かだった。周囲に誰もいないことを確認してから、そっと茂みから出て歩き出した。
 血の匂いが濃くなった。口元を押さえながら、死体の側に屈んだ。後藤良子が、胸の上で手を組んだまま死んでいた。良子とは、一緒にコンサートにも行ったことがあるし、それなりに親しい仲だった。その彼女が動かなくなっているのが、信じられなかった。恐る恐る肩を揺すったが、反応はなかった。
 大きな鳥の声が聞こえた。先程までは静かだと思っていたのだが、それは気のせいだったのだろうか。
 亜矢子は立ち上がり、上を見上げた。展望台の上空に、鳶のような大きな鳥が舞っていた。時折降りてきてはまた舞い上がるのを繰り返している。
 何かあるんだろうか。
 少しばかり興味をそそられて亜矢子は歩き出した。そういえば、香奈も上に行っていた。
 スロープを曲がったところ、小松杏奈が死んでいた。やはり銃で胸を撃たれている。足を止めかけたが、背後でまた鳥が鳴き、振り返った。
 倒れている誰かの上半身に、黒い大きな鳥が集まっていた。駆け寄ると、驚いた鳥が飛び去った。亜矢子は目を見開いた。
 一部が欠け、ピンク色の豆腐のような物体がはみ出た頭。顔は亜矢子の位置からは見えなかった。だが、確認するより先に亜矢子はそこに膝をついていた。
 鳥に脳みそを食われている!
 口内に唾液が溢れ、喉の奥が酸っぱくなってきた。
 最低だ。最低だ。中村香奈は、良子や杏奈とだって仲良くしていたじゃないか。この頭を食われているのも、グループの一人か? ああ、それを、こんなにも残酷に殺した!
 戻してしまう、と思った時、背後に誰かの気配を感じて無理矢理に顔を上げた。
 人が立っていた。恐怖で口元を拭うのも忘れ、亜矢子は飛び退いた。茅房早苗(7番)がびくっとして手を引っこめた。
 早苗の手元には、綱引きで使うような荒縄(ただし、一メートルほどのものだが)があった。二人はそのまま、無言で向かい合っていた。
 縄──。この子は、後ろから近付いてきて、首を絞めようとしたんだ!
 怒りで顔が歪んだ。それを見て取ったのか、早苗がぎこちない動きで後ずさり、くるっと踵を返して逃げ出した。
 そこで別の思考が入り込んだ。早苗は、もしかしたら亜矢子が殺したと思って恐れたのかもしれない。弁解しなくては。あたしじゃ、ない。
「あたしじゃない!」
 ──中村香奈。
「香奈ちゃんが! あたし、見たの!」
 逃げ出した早苗の肩を掴んだ。早苗は腕を振り回し、叫び声を上げた。その腕が亜矢子の顔にぶつかった。目の前に星が散ったような衝撃だった。それでも空いた左手を伸ばした。早苗は亜矢子の手を振り払い、柵にもたれ掛かるように細身の体をぶつけた。
 勢いがついていたからなのか、錯乱していたからか、分からない。亜矢子は早苗を止めようと、早苗の背中に体当たりした。
 早苗の悲鳴が大きくなった。そして柵と亜矢子の体に挟まれていた早苗の上半身が、くるっと回って柵から飛び出した。手を伸ばしたが、遅かった。
 早苗は良子の死体に添い寝するような形でばたんと倒れた。
 まさか、死んで──。
 思ったが、すぐに早苗は動いた。頭を打っているのか、鈍い動きで脚を動かしている。
 亜矢子はすぐに下へ降り、早苗の顔を覗き込んだ。早苗は苦痛に顔を歪めながら、どよんとした目を亜矢子に向けている。亜矢子には、それが恐怖と非難を込めたものに見えた。
 違う、これは事故──事故で。殺したのは、あたしじゃなくて、ううん、そんなの、どうだっていい。早苗があたしの首を絞めようとしたんだ。だから、これは、仕方のないこと。
 亜矢子の頭の中、意識の下に潜っていたもう一人の亜矢子が何か言った。それに命じられるまま、亜矢子は側にあった良子のデイパックから枝切りばさみを抜き出した。
 早苗のせい。こうするしか、仕方ないじゃない。
 頭上にかざされた枝切りばさみの存在を認め、早苗はぶるぶる首を振った。目には涙が滲み、やめて、と掠れた声を出した。
 亜矢子は静かに、しかし勢いをつけて早苗の喉にそれを突き刺した。首から勢いよく飛び出した血が、早苗自身の顔から胸を汚し、コンクリートに大きな水たまりを作った。しばらく痙攣を繰り返してから、早苗の体は動かなくなった。
 亜矢子はしばらくぼうっと二つの死体を見下ろしていた。
 はじめから殺そうという気は全くなかったのだ。だが、早苗が叫び、逃げ出したのを見て、何とかしなければと思った。突き落とす気などなかった。しかし、早苗に怪我をさせた混乱から、恐ろしくなってはさみを振り降ろしてしまった。
 何気なく口元を拭った指に、血がついていた。先程、早苗の腕がぶつかった時にでも切れたのだろう。頭の一部が冷静さを取り戻してくると、はさみを握っていた右手が震えだした。はさみを放した。血に濡れたはさみがコンクリートの上でかしゃんと音を立てた。
 事故とはいえ、殺してしまったのだ。慌てて周りに目を遣ったが、誰もいなかった。震える手で転がっていたエアガンをひったくると、香奈とは別の方向に走り出した。


【残り22人+2人】

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