23

bloody friends

 放送が始まると千絵を含め、四人がそれぞれ地図と名簿を出した。香奈が出発して数分しか経っていない。時間を忘れてぼんやりしていたせいか、ヨネの明るい放送にあまり違和感を感じなかった。
 二度目の放送で呼ばれたのは成田文子(22番)だけだった。
 千絵は黙って名簿にチェックを入れた。文子の白い、能面のような顔が思い浮かんだ。彼女は小学校から一緒だったが、あまり話したこともなかったし、普段から目立たない子だった(目立たな過ぎて逆に目立っていたところもあったが)。
 夜の間にした銃声は、文子を仕留めたものだったのだろうか。
 思い出してぞっとした。誰が? 誰が彼女を?
「いたっ」
 良子が足を伸ばしたまま呻いた。すぐに側に寄って脚の様子を見ようとして、またぼんやりして放送を聞きそびれていたことに気付いた。
「チェックしとく」
 横から杏奈が声を掛けた。エリアは杏奈にひとまず任せて、千絵は再び良子の脚に目を落とした。
 傷の表面がまだてらてらと光を放っている。急に動かして乾きかけのものが開いたのかもしれない。それに良子はさっきから顔色がすぐれない。痛みと疲労で表情も固くなっていた。
「もう一回拭くよ」
 良子がはっとして顔を上げた。弱々しく首を縦に振ってから「ごめんね」と言った。
 傷口を拭きながら、千絵はまた思った。文子を殺した誰かがまだ島にいる中、本当に信用できる子などいるんだろうか。誰彼かまわず仲間に入れてしまっては危ないんじゃないだろうか。
 そう考えて一つ、思うことがあった。もしかしたら、香奈は高見瑛莉(16番)と合流することを嫌がっていたのではないか、と。
 香奈も千絵と同じように考えたはずだ。合流するなら信用できる子でなければ。香奈と瑛莉は、千絵が知る限りそんなに親しい仲ではない。なら警戒するのは当たり前だ。しかし──。
 瑛莉は大丈夫なのだ。彼女がいればクラスがまとまることは可能だし、きっといい方法を導き出してくれる。瑛莉は小学校の頃からずっと知っているし、大丈夫。これだけは保証できる。
「はい、エリア書いたよ」
 杏奈が地図を手渡した。
 新たに禁止エリアとして発表されたのは、B=9、E=8、C=1。B=9は陸のない場所だ。禁止エリアとする意味はないように思われたが──それは後にして、重大な問題があった。
 現在いるE=8が午前九時から禁止エリアになる。香奈が戻った後に大移動しなければならないかと思うと、少し、気が滅入ってきた。
「あれー」
 佳織がすっとんきょうな声を上げた。すぐに杏奈と良子が佳織の手元を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「見て、これ」
 佳織が探知機を差し出した。
 画面には千絵たち四人を表す点と番号、そしてその近くに点が二つ。一つは”20”。香奈の番号。もう一つは──。
「六って誰だっけ?」
「麗未?」
 佳織が目を輝かせたが、すぐに杏奈が首を振った。
「違う。麗未はあたしの前だから八番だよ」
 良子が名簿付きの地図を広げた。すぐに言った。
「カワマイだ……」
 一瞬、沈黙が落ちた。千絵は佳織と顔を見合わせて、すぐまた探知機の画面に目を落とした。
「話してるのかな」
「わかんない。でもすごく近くに……あっ」
 言いかけて、佳織が言葉を切った。名簿を見ていた良子もすぐに覗き込んだ。
 二つの点が離れだした。香奈は灯台の方へ、舞はこちらへ向かっている。
 他の三人と一緒に黙りながら、千絵は思いを巡らした。
 二人が話せるだけの距離にいて銃声がしないということは、カワマイは仲間になったということだろうか。仮に、ほんとうに仮に、香奈がナイフか何かで傷つけられていたとしたら、舞は香奈をそのまま追うだろう。仲間になったという方が納得がいく。
「あたしじゃあ、迎えに行ってみる」
 佳織が探知機を千絵の方に出した。差し出されるままにそれを受け取ると、佳織が早くも階段を駆け降りていくのが見えた。
 大丈夫なんだろうか。カワマイこそ、あまり親しくない上に何を考えているのか分からない。
 良子と杏奈が目配せをしたのが分かった。それから杏奈と視線がかち合ったが、千絵自身の不安を映し出すような目をしていた。不安が更に大きくなる。
 探知機の中、佳織を示す点は三人から離れ、逆に二つの点が近付いていく。
「大丈夫かな」
 なるべく不平、不満は言いたくなかったが、ついに口から言葉が転び出た。良子が曖昧な表情を見せ、杏奈も首を振った。
「わかんない。でも多分……」
 ばん、と音がして、三人ほとんど同時に体をびくりと震わせた。つい数日前、体育祭でスタートの合図に使われたものと同じ音だった。いや、もっと大きかったかもしれない。
 続いて、もう一発。三人の位置からは佳織の姿は見えない。誰かが言い出すまでもなく、自然に階段の方へ駆け寄っていた。
 やっぱり。やっぱり。これは。
 階段の下に河野舞(6番)が飛び出してきた。姿を認めたのと同時に、その右手の中に握られた拳銃が火を噴いた。すぐ近くで二人が叫び声を上げた。千絵も思わず小さく呻いた。
 すぐに踵を返していた。上履きがぎゅっと鳴いた。先にベンチへ戻った良子が、その上に乗った銃を握り、振り返った。
 違う──。
 すぐに分かった。良子が握っていたのは香奈のエアガンだった。注意を呼び掛ける間もなく、良子は勢いをつけて飛び出した。
「良子! こっちに!」
 杏奈が良子の腕を捕らえた。だが、良子はそれを振り払って駆け出した。
「嫌だ! 佳織さんが──」
 良子の横顔がちらっと見えた。既に、それはいつもの良子の横顔ではなくなっていた。普段は穏やかな瞳が今は釣り上がり、怒りに燃えていた。すぐ後ろから、杏奈が追った。
 これからとてもまずいことが起こる──。
 良子を止めなければならない。杏奈を引き戻さなければならない。
 頭では分かっていたが、体がうまく反応してくれなかった。ただ、戦わなければ、と無意識のうちにデリンジャーに手が伸びた。
「良──」
 杏奈の叫び声に重なり、良子の左脇腹が弾けた。傾きかけながらも、良子は傷付いた脚で踏み止まった。エアガンに添えた人さし指に力がこもったように見えた時、追い討ちをかけるように舞の銃弾が良子の胸に被弾した。勢いよく噴き出した血がすぐ後ろにいた杏奈の制服を汚し、寄り掛かるようにどっと仰向けに倒れた。右手からエアガンが遠くへ転がった。
 呆然と立ち尽くす杏奈はあまりに無防備だった。すぐ展望台の上に向けた足を戻し、その杏奈の腕を引いて走った。その間も舞の攻撃は止まず、逸れた弾丸が白いベンチの脚を弾き飛ばした。
 何故? 何故突然こんなことに? いや、それよりも良子はどうなったのだろう。
 銃弾がすぐ近くを掠めたような気がして体を低くした。舞はもう階段を上りきっているだろう。早く逃げなければ。
「こっちに!」
 上に続くスロープを曲がろうとして、杏奈の反応が鈍いことに気がついた。それでもとにかく、逃げなければという焦りが働き、無理に腕を引いた。しかし、杏奈もそこで足を止めてしまった。
 振り返った。ちょうど壊れたベンチの辺り、舞がベレッタをすっと降ろした。表情は、なかった。
「どうして……」
 すぐ隣、杏奈が掠れた声で言った。
「どうして……なんで、こんなことするの?」
 どこかぼんやりとした表情で舞を見据えたまま、杏奈が続けた。白いセーラーの上と、首筋が良子の血で濡れていた。何年も付き合いがあったけれど、こんな表情をする杏奈を見たのは初めてだった。
 杏奈はきっと、クラスメイトをとても信じている。良子がすぐ近くで撃たれたショック以上に、クラスメイトがクラスメイトを傷つける行為を目の当たりにした衝撃で少し、気が動転してしまっているのかもしれない。千絵にとってもかなりの衝撃だったが、受け止め方が違った。
 右手に収まったデリンジャーは、小さいながらずしりと重たかった。物理的な重さ以上に、ずっと重く感じられた。
 舞の方も、杏奈の顔をじっと見つめ返している。
 今しかないかもしれない。
 デリンジャーを握りしめる手に汗が滲んだ。舞を倒せるのは、今しかない。
「香奈ちゃんに会わなかった? あたし達は、なるべくみんなを集めて仲間になって……」
 黙って聞いていた舞が首を振った。千絵も思わず目を見張った。
「そんなこといったって一人じゃん。助かるの」
 淡々とした低い声だった。杏奈も弱々しく首を振った。
 心の底、ほとんど無意識の領域にいた自分が、静かに頷いた。助かるのは一人。そう、正しい。このまま杏奈達と居続けても、瑛莉と合流しても、その条件は変わらない。
「だからって……そんなのおかしいよ」
 杏奈の言葉の意味も、舞の言葉の意味も分かった。どちらの気持ちも分かる。あたしは──。
 舞がまた、すっとベレッタを持ち上げた。隣にいる杏奈の体が強張るのが分かった。すぐ、それを待っていたかのように、ばんという音と一緒に杏奈の胸に穴が開いた。スロープの壁に背をつけたまま、ずずっと杏奈の体が沈んだ。
 杏奈を支えようと屈めた頭の上、弾丸が手すりを貫いた。ちょうど舞から隠れるような位置についたが、すぐにも舞はこちらに向かってくるだろう。
 震える足に力を入れ、一番上まで駆け上がった。真下に舞の姿が見えた。
 舞が上を見上げた時、反射的にデリンジャーを向けた。舞はすぐに体を引いた。
 千絵は舞の消えた後を見つめていたが、脚を投げ出して俯いている杏奈の方にすぐ目を遣った。
 杏奈は動かなかった。痛いと呻くこともしなければ、立ち上がろうともしない。崩れた時に背中を擦った壁にべったりと血が付いており、被弾した胸からはなお新しい血が溢れ出していた。
 貧血の時に起こるような、軽いめまいがした。今目に見えているものは揺るぎのない事実であるのに、気持ちがそれを理解してくれない。杏奈は、幼馴染みでよく一緒に遊んだ、杏奈は──。
 舞が隠れていた場所から飛び出した。一気に杏奈の側まで駆け、体を捻りざま千絵に向けて発砲したが、それは僅かに逸れて備え付けの双眼鏡の首を打ち抜いた。
 バランスを崩し、そのまま舞が杏奈の体の上に転んだ。杏奈の体がびくっと震えた。すぐに上から体を乗り出し、舞に向けて撃った。しかし、弾は舞の頭から逸れ、杏奈の肩に当たった。
 引いてはいけない。
 そう思ったが、一瞬、千絵の体は硬直していた。杏奈に当ててしまった。杏奈が助からないだろうということは分かっていた。だが、それでも杏奈に当ててしまった後悔で一杯になり、デリンジャーを向けた腕が降りていた。
 舞の右手がくっと持ち上がった。デリンジャーを持ち上げかけたが、遅かった。撃発音に遅れ、腹部に鈍い痛みが走った。喉の奥から洩れた呻きに合わせ、温かいものが千絵の唇を伝った。
 傾いていく視界の中、表情を消した舞の顔が遠ざかっていった。


【残り25人+2人】

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