22

a premonition

『死んだ人はー』
 ヨネの脳天気な声が頭上を通り過ぎた。
 香奈はすぐに腰を落としていた。階段の左手は土が盛り上がっているため、しゃがめば向こうからは見えなくなる。そっと顔を出して動きのあった方をうかがった。
 乾いた枯れ枝の積もった土の上、腰にセーターを巻き付けたショートカットの後ろ姿があった。大きな通学鞄とデイパックを脇に置き、地図にペンを走らせている。
 デイパックの上に拳銃(ベレッタM84)が乗っていた。香奈は目を細めてウージーを持ち上げた。トリガーに掛けた指がぶるぶる震えだした。あれは誰だろう。クラスメイトの顔が頭の中をぐるぐる回りだした。向こうが武器を向ける前に撃てるだろうか。
 人見知りなところが災いしてか、香奈には柴田千絵などを除いて、話ができる友人は少なかった。別に顔が広くなりたいわけではない。しかし、こういう状況ではとてもまずかった。香奈が他のクラスメイトを客観的に信用できると思っていても、向こうは香奈について何も知らない。”こわい”と言われたこともあった。小学校の時にもそういったことはあったので半ば諦めていたが(背が高くて目つきも悪かった。更に無口だったので)、今、出会った瞬間にズドンとやられてはたまらない。
 千絵がいなければ、ひょっとしたら、小松杏奈達と一緒にいることも難しかったかもしれない。マイナスな考えが頭を巡った。
 放送では禁止エリアを発表していたが、耳で聞いて頭では聞いていなかった。心臓が早鐘のように鳴り、ウージーを握る指先もが脈を打っているような気がした。
 放送が終わった。地図を仕舞うため、ショートカットの少女が首を廻した。その動きに釘付けになっていた香奈は、瞬時に隠れることが出来なかった。河野舞(6番)と目が、合った。

 河野舞は去年の秋頃に転校生としてこの学園にやってきた。香奈はその時、特に興味を持たなかった。香奈にとって、新しい人付き合いなど疲れるだけだった。ただ、面倒だなと思っただけだった。
 もしかしたら、彼女とは卒業まで話す機会がないかもしれないな。同じクラスの人ですら話したことがない子もいるし。そう思っていた。
 何度目かの席替えの時、香奈は舞と隣になった。面倒なことになった。また思った。転校してきたばかりで舞は特に親しい友人がいるようにも見えなかったし、あまり喋っているところを見かけなかった。きっとまだ緊張しているだろうから、何か話し掛けた方がいいだろうか。隣がつんとしている奴だったら嫌だろうか──。
 ところがしばらく経って、舞がとんでもない変わり者だということに気が付いた。
 少しずつ会話するようになったある日、家庭科の授業でビデオを見た。それを見て何気なく香奈が冗談を言った。小さな声で、舞だけに聞こえるように。しかし、香奈の気遣いも虚しく、舞は大声を上げて笑った。結局二人は先生に怒られたのだが、香奈は何となく、その時から舞を面白いやつだと思いはじめていた。
 舞のあだ名は”カワマイ”になった。二年の時も同じクラスに河野幸子(5番)がいたので”河野さん”では混乱するし、”マイちゃん”で定着している子も別にいたのでそれもよくなかった。単なる省略形だったのだが、今ではすっかり馴染んでいる。
  そのうち舞の変わった行動はもっと顕著になってきた。突然変な顔をしてみたり、目が合うとこちらが降参するまで見つめたり、少しの事で奇声を上げたり。しかし彼女は決して頭が悪いということはなかった。編入試験を受けただけあって成績はいつも上位にいたし、容姿も決して悪くない(黙っていれば整った顔の少女、といったところ)。
 舞は掴みにくいところがあったせいか、一部のクラスメイトには好まれていないようだった。だが珍しく、香奈は舞に好意を持っていた。変わっていると言われながらも堂々としているところや、表面で底抜けに明るく振る舞いながらも時折見せる翳りの部分に魅力を感じていたのかもしれないが(しかしこの変わり者の”カワマイ”に、”香奈ちゃんて変わってるね”と満面の笑みを浮かべて言われた時は少し悩んだけれど)──。
 他のクラスメイトよりも、舞とは深く関わりを持っている。きっとそれは確かだ。互いにクラス行事なんかについて、こっそり文句を言い合ったこともあった。彼女の心を、他の子よりは理解している。そう思っていたが。

 舞が少し目を丸くした後、ほんの一瞬、表情を消した。そんなような気がしただけ、かもしれない。二人の動きが、突然電池の切れたおもちゃのようにかちっと止まった。
 やばい。そうは思ったけれど、やはり、彼女の何を知っているかと聞かれたら、きっと何も──。
 先に行動を起こしたのは舞だった。にやっと笑った。さっきの無表情からは想像もつかない、いつものように唇を大きく横に広げる笑顔。見なれた笑顔のはずが、心臓を鷲掴みにされるような不思議な違和感があった。
「かーなちゃーんだー!」
 あまりの大声にまたどきっとした。泥で汚れた両手を振り回しながら駆け寄ってきた。近くで見ると、短く切った髪が少し跳ね上がっているのに気付いた。
 武器はデイパックと一緒に置いたままだ。まるきりいつもと変わらないハイテンションに思わず狼狽してしまう。
「何やってんの?」
 香奈の全身を眺め、ウージーに目を落とすと「ひーっ」と喉の奥から掠れたような声を出した。おまけに、変な顔のオプション付きで。
「撃たないってば」
 ウージーを下げて左手を振った。舞がにこにこ顔に戻った。
「ちょっと見回りに」
 全くいつもと変わらない様子に思わず笑みがこぼれた。さっきまでの緊張状態が嘘のように頬の筋肉が笑いの形を作った。黒めがちな目を丸くして「そう」と舞が言った。
「上の展望台にみんながいるよ」
「みんな?」
 舞が首を傾げた。
「そう。千絵とか、杏奈ちゃんとか……」
 下ってきた階段を指差そうとして、突然輝きだした舞の瞳に目を奪われた。
「千絵ちゃんもー!」
 はっきりと目を輝かせている。舞は千絵の事も気に入っていたようだったので、その名前が出たのが嬉しかったのだろう。千絵は大声を出される度に顔を顰めていたけれど。
「行ってみたら?」
 言い終わる前に、舞はデイパックの方に歩き出していた。とりあえずは仲間になる気があるようだ。順調に増やしていけば、杏奈達が最初に思っていたように何かいいアイデアが出るかもしれない。
 舞が飾りのついた大きな通学鞄(彼女を”歩く違反物”と言わしめる程に違反物の詰まったそれ)を右肩に掛け、デイパックを左側に掛けた。ベレッタは右手に握っている。
「灯台の方にいたの?」
 振り返り、舞が頷いた。香奈達と同じ方角から来たのならとっくに鉢合わせしていたはずだが、灯台の方からやって来たというなら話が繋がる。なら見回りに行く必要は──でも一応行ってみようか。
 香奈のいる場所まで再び戻った舞は、階段を上りはじめていた。その右手のベレッタにほんの少しだけ、先程の不信感がよぎったが──。
「先にみんなの方へ行ってて。あたしに会ったって言えば大丈夫だと思う」
 舞がまた振り返った。にやっと再び笑んでから軽快な足取りで階段を上がった。
 みんなは驚くだろう。あの”カワマイ”が現れたら、きっと。しかし佳織の探知機で二人が接触し、何ごともないことは分かっているはずだ。争いになることはきっとない。
 ごつい岩肌の上を歩きながら、香奈はもう一度振り返った。舞の姿はもう見えない。もう少しすれば、舞と千絵達は接触するだろう。
 白い灯台は目前だった。吹き付ける風と美しい白波が朝の爽やかさを強調している。だが不思議と気分が晴れない。
 さっさと見回りをしてすぐにみんなのところへ戻らなくては。
 ほんの少し、焦燥しているのが自分でも分かった。
 理由は分からない。しかし何故か、舞の表情をなくした顔が頭の中で揺れていた。


【残り28人+2人】

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