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 両側をキツネ色の草木に挟まれた赤茶色の道の向こう、白い波が岩に打ち寄せている。東の空がようやく明るくなりだした。
 E=8、白いキューブのような展望台の上、中村香奈(20番)は一度深呼吸をした。ここからは島の東側のほとんどを見渡すことができる。北の方角に工場、更に東に白い灯台が見えた。見張りにはとても便利な場所だが、目立つ上に隠れる場所がないのが難点だった。
「どう? 何か見える?」
 後ろからやって来た小松杏奈(9番)が声をかけた。先程と少し印象が違うのは、前髪を上げて額を出しているせいだろう。
「今のところ誰もいないみたい。目、悪いから確かじゃないけど」
 杏奈はちょっと笑んで、香奈の隣に並んで海の方へ目を遣った。
「大丈夫だよ。佳織の探知機があるし」
 香奈の方へ顔を向け、にこりと笑った。嫌味のない、とても感じのいい笑顔だった。香奈も笑みを返しながら、「良ちゃんは?」と聞いた。
 後藤良子(10番)は、資料館前での急襲から逃れる際、階段から落ちて右足を負傷していた。幸い歩くのに問題はなかったけれど、膝の傷が思ったよりも深く、なかなか患部の腫れが引かない。この展望台に来るまでは一応、杏奈が支えて歩いていた。
「今、下で千絵と佳織がみてるけど、まだ傷が乾かないみたい」
「けっこう深くやっちゃってたもんね。あたしも去年、足怪我したから分かるよ」
 香奈が中学二年の時、体育祭で大怪我をしたことがあった。リレーで転んだ生徒に巻き込まれて転倒して、初めはたいしたことはないと思っていたが、ジャージに傷から出た液体が染みてきて焦ったのを覚えている。その後は柴田千絵(13番)と二人三脚に出なければならなかったのでとても辛かった。今でも左の膝にその傷跡は残っている。
 下をのぞいた。姿は見えないが、三人の会話する声が聞こえる。
 展望台の前に広がる芝生の公園と、それに繋がる道が二つ。西側の駐車場からの道と、保房灯台へ続く階段。万が一、また急襲されないとも限らない。その際に逃げるとしたら道はその二つしかない。公園から薮に突っ込んで逃げることも出来るが、D=7の禁止エリアが近い以上、位置を確認せずに動き回ることは危険なのだ。
 避難経路を確保しておいた方がいいだろう。
 杏奈は銀色の柵に手を掛けて空を仰いでいた。トビのような大きな鳥が展望台の上空を飛んでいる。夜の間は分からなかったが、明るくなるにつれて徐々に集まり、今では大群を作っていた。
「ちょっと下の様子見てくるよ」
 突然話し掛けたせいか、杏奈がびくっとして香奈の方を向いた。香奈の方も、ちょっとどぎまぎした。やはりまだ、千絵や富永愛(19番)と話すように自然にふるまうのは難しかった。
 杏奈に視線で見送られながら、展望台をぐるっと囲むようについているスロープを下った。薄いピンクに塗られた壁には御丁寧に、鉄の手すりが付いていた。這わせた手の平にひんやりと冷たさが伝わってきた。夜の間の冷たさがそこにあった。
「あっ、香奈ちゃんが降りてきた」
 安原佳織(35番)が真っ先に声を上げた。柔らかい印象の丸顔にぱっと笑みが広がった。手にはいつも持ち歩いている黄色い手帳を持っている。すると千絵がすぐ横からそれを取り上げ、中身を香奈の方に向けた。佳織が好きな、アイドルグループの写真がずらっと並び、同い年くらいの少年がこちらに爽やかな笑顔を向けている。
「こんな時にもこいつらの写真持ってんだよ」
「なんでーかっこいいのに」
 佳織がアルバムを取り返して唇を尖らせた。あきれ顔の千絵の横で、良子が白いベンチに足を投げ出して笑った。千絵はこういったアイドルグループに興味はなかったので、きゃあきゃあ騒ぐ佳織に対し、時折冗談めいた文句を言っていた。
「傷はどう?」
 笑うのを一旦止め、良子が顔を上げた。
「うん。さっき佳織サン達が洗ってくれたし、もう大丈夫。ごめんよ迷惑かけて」
 良子が目を伏せ、しょんぼりした仕種をして言った。それがなんだか可笑しくて、良子も含めた四人で笑った。
「もうちょっと安静にしてればよくなるよ」
 ペットボトルの水をティッシュに染み込ませ、千絵が傷を拭いた。良子はスカートの端を持ち上げ痛みに顔を歪めたけれど、すぐに何でもないように千絵に礼を言った。
 二人のやりとりを見ながら視線を動かした先、ベンチの上にそれぞれの支給武器が乗っていた。まず、香奈のエアガン、千絵のウージー、杏奈のハイスタンダード二十二口径二連発ダブルデリンジャー(良子の武器は大きな枝切りばさみだった)。
 エアガンは別として、銃器が二つあれば充分だ。おまけに佳織の探知機があれば急襲を未然に防ぐことができるだろう。だがやはり、避難経路のことが気に掛かる。周りの道の状態だけでも把握しておくに越したことはない。
 エアガンを手に取り、香奈は階段を降りた。
「どこ行くの?」
 すぐに千絵が声を掛けた。上からは杏奈が見下ろしている。
「ちょっと見回り行こうかなって。逃げ道とか探しておいた方がいいかもしれないし」
 二人を交互に見ながら言った。
「平気じゃない? これもあるし」
 千絵の後ろから、佳織が探知機を掲げながら言った。振り向き、千絵も頷いた。
「でも、一応」
 何となく粘ってしまった。言った後に我ながら頑固だ、とは思ったけれど。
 千絵がベンチまで戻り、ウージーを肩に掛けて香奈の側に来た。
「じゃあ、危ないからこれ持ってきなよ」
 千絵の武器なのに──。
 思って、何となく気が引けた。確かに強力ではあるが、千絵に支給された武器を手にする気にはなれなかった。
「はい」
 千絵がウージーを降ろし、香奈の胸の辺りに押し付けた。香奈が遠慮していることは、長い付き合いだから分かっていたのかもしれない。拒否したところで譲り合い合戦が起きるのは目に見えていたので素直に受け取った。
「探知機で見てるからね」
「やばくなったら戻るんだよ」
 口々に言った。重たいウージーを肩に掛け、振り返った。
「気をつけて」
 千絵が手を振った。一番強力な武器を手渡したことは、信頼がある何よりの証だった。素直に嬉しかったし、そのような仲間がいることが心強かった。香奈も手を挙げた。
 一度通ってきた西側の道は後回しにして、灯台へ続く階段の方を選んだ。段差もばらばらで急な階段の周りは痩せた木が枝を広げて頭上を覆っている。足元の枯れ葉を踏み締めながら、丸太をデザインした手すりに体重を掛けてゆっくり下った。千絵から受け取ったウージーは思ったより重量がある。寝不足でふらつく足が更に頼りなく揺れていた。
 幅の広い段に降り立つと枝葉の隙間から白い灯台が見えた。あの辺りに誰か隠れているかもしれない。肩に掛かったウージーの重みが増したような気がした。
 今もしここで誰かに襲われたとして、うまくこれが扱えるだろうか。
 展望台からは大して離れていない。距離はあるが、ほとんど垂直に下っただけなので、探知機で香奈の位置は分かっているだろう。何かあれば彼女達が助けてくれる。
 目先の根拠のない恐怖は追い払って、香奈は残りの階段を降りるために右足を踏み出した。その時ちょうど、渡辺ヨネの声が響き渡った。
『みんなおはよう! 六時になったからな。放送の時間だ』
 第二回目の放送だった。公園の辺りにスピーカーが設置されているのか、上の方から聞こえてくる。展望台からは聞こえやすいだろう。
 安心して首を上へ動かしかけた時、それまで静かだった香奈の心臓が跳ね上がった。僅か十数メートル離れた薮の中、白いセーラー服が動いているのを見た。


【残り28人+2人】

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