20

no other way

 白壁がまだ新しさを感じさせる条ノ島ホテルの前、硬い岩肌の露出した海辺がゆっくり明るさを取り戻して来た。入り組んだ岩の間にたまっている海水と、その上に浮かび留まっている小さなボート。花嶋梨沙(26番)はそれらをぼんやり眺めながら歩を進めていた。
 薮に囲まれた道を抜け、つい先程禁止エリアになったB=5へ続く岩場を歩いてみたが、いっこうに人影は見えない。こんな小さな島で、歩ける道も限られていて、まだ三十人程が残っていれば誰かに遭遇しそうなものだが──。
 辺りを見回した。しかし、穏やかな海が広がるばかりで人は見当たらない。
 別の場所を探してみようか。
 これより北の方へ行くのは危険だ。重要な問題、禁止エリアだ。では元来た方へ戻って、誰かが隠れていそうな商店街の辺りを探索してみようか。
 何気なくデイパックから取り出したスタンガンに目を留め、梨沙は一瞬動きを止めた。
 本当は、使いたくない。もちろんあたしは聖人なんかじゃないし、問答無用で襲われたら反撃したって仕方ない。だけど、これを手にしたまま仲間になってと言ったところで、信用される?
 少し考えて、すぐに取り出せるようにポケットに浅く入れた(取り出す機会がないことを祈るが)。
 どう、と潮風が吹いた。鏡のような水面に細かい縞模様が現れ、梨沙のいる岩場に向かって寄せた。だだっ広い岩場を風が抜け、梨沙の肩までの髪をなびかせた。目を細め、沖の波に見入っているうちに欠伸が出た。欠伸なんてしたくなかったし、そんな呑気なことをしていられる状況でもなかったけれど。
 疲労で目の前がぼんやりとしてきた。一睡もしてない。こんなことは今までに一度もなかっただけに辛かった。
 その場にしゃがみこんだ。硬く茶色い岩が、白い上履きの間に見えた。自分がたった一人、どこか知らない星の地を踏んでいるような気さえした。
 さっきの欠伸のせいだろうか。目が潤んできて視界がぼやける。きつく目を閉じ、再び開くと岩に涙の散った跡が残っていた。
 携帯電話を取り出した。着信もメールもない。寂しさに耐えかねて、何度も電話をかけようと思った。しかし、たった一つの連絡手段である携帯電話の電池には限りがある。出来るだけ電池を消耗しないようにしなければならない。最後の最後に電池切れで使えなくなってしまっては笑えない。本当に。
 ただ助けを待つことしか出来ないなんて……。
 梨沙は唇を噛んだ。そう。自分は無力で、ただ、相澤祐也の助けを待つことしかできない。いや──でも、仲間を作ることはできる。他の人を助けることだってできる。他の──。
 梨沙は急いで立ち上がった。周りに人は、やはり見えない。だが背中の辺りがすっと寒くなる感じがしたのだ。こんな広い岩場の真ん中でしゃがんでいることなど、自殺行為に等しいからだ。
 条ノ島ホテルの入り口まで戻り、考えた。やはり、あたしは、みんなを疑っているんだろうか。やる気の人がいることは分かっている。だから、誰かを探す以前にみんなを怖いと思い込んでいるんじゃないだろうか。
 軽く首を振った。そしてその時、視界の隅に何か黒いものが見えたような気がした。
 梨沙は目を細めた。岩場に繋がれた小舟に、人の上半身が見えた。セーラー服の女の子。髪型などからみれば──。
 その女の子が振り返った。梨沙と目が合った。驚きで目を丸くした望月操(34番)の顔が、恐怖に歪んだ。
 梨沙と同じくらいの身長、華奢で小柄な体。ちゃんとした付き合いがあったわけではない。それだけに、彼女に一番に遭遇するとは思っていなかった。そしてどんな子なのかもあまりよく知らない。他の子から聞いた彼女の特徴と言えば、”甘えん坊”、”先生に好かれやすい”、”感情的なところがある”──そのくらい。望月操は、果たしてどういうつもりで──。
 操が立ち上がり、岩に飛び移った。呆然としている梨沙の方を見て、後ずさりした。
 誤解されてる。
 すぐ気がついた。そして言った。
「操ちゃん、あたし、仲間になってくれる人探してて……」
 操が動きを止めた。二人だけで会話をするのも、初めてかもしれない。なんと続けていいか分からなかったが、言った。
「こんなのおかしいでしょ? だから、みんなで一緒になって脱出できたらって」
「……脱出?」
 ひと呼吸置いて、操が言った。だいぶ恐怖心は薄らいでいるように見えた。オーケイ、怖がらなくていい。
「そう。もしかしたら助かるかもしれないの。だから、操ちゃんに仲間になってほしい」
 何とか伝えたいことは口にできた。あとは──。
「梨沙ちゃん、今までどこに?」
 今度は操から言った。少し距離を縮めながら、梨沙は頷いてみせた。
「地図でいうと、真ん中の山のあたり。みんなを探そうと思って、こっちまで来たんだ」
 操も頷いた。
「武器は?」
 梨沙の制服の上の辺りを、少し無遠慮に眺めながら言った。一瞬何のことか分からなかった。だが、信用を得るためには見せた方が良さそうだった。ポケットに入れたスタンガンを取り出し、掲げた。
「何、それ?」
 スイッチを押した。青い火花とじじっという音がした。操は再び目を丸くしたが、ちょっと考え込むような仕種をしてから「ありがとう」と言った。
 梨沙は歩を進めた。二人の間がわずか数メートルの距離まで来た。操も歩み寄って来た。そこで気がついた。操の頬に茶色い、何か擦ったような筋がついていた。
「怪我、したの? ほっぺに血が……」
 言いかけた時、びっくりした様子で操が頬を擦った。心無しか、顔が青ざめているようだった。すぐに操の目に、透明な涙の雫が盛り上がった。
「大丈夫?」
 突然泣き出した操の背を摩りながら、梨沙は必死に状況を把握しようとした。操もこの様子だと、ずっと一人で震えていたのかもしれない。梨沙と言葉を交わしたことによって堪えていた感情が爆発したのかもしれなかった。
「大丈夫だよ」
 繰り返した。操を安心させてあげなければ。そう思った。
「久恵が……」
 随分聞き取りにくい涙声で、操が言った。夜中の放送で呼ばれた山口久恵(36番)の名だった。
「殺されたの。よくわかんないけど、先に進んでた久恵がね、いきなり、倒れて」
「誰がやったの?」
 静かな声で尋ねた。一瞬、また高見瑛莉(16番)の顔を思い出した。操は首を振った。
「わからないの?」
 返事の代わりに、ぎゅっと抱きついてきた。梨沙は黙ったままそれを受け止めたが、また目の前の希望が掻き消されたような気分になった。他にもいる。やる気になっている人が。
 また、こんな少しの事で抱き合える自分達は、なんて無防備なんだろうと思った。今、どちらかが裏切って相手を殺そうとすることだって、充分考えられる。
 いや──だめだ。そんなこと考えてたら。
 心の中、激しく首を振った。
 暗い気持ちになったところでどうにもならなかった。取りあえず、一人目の仲間をつかまえた。これだけでもましな方だ。
 辺りを見回した。やっぱり、こんなところで抱き合っていたら格好の標的になるだろう。操の背中を軽く叩いた。
「ね、もう大丈夫だから。とりあえず仲間も見つかったし、これからみんなを仲間にしなきゃ。だから、もうちょっと移動して計画たてよう?」
 操がゆっくり顔を上げた。とても笑える状況などではなかったが、梨沙は笑んでみせた。操が頷いたのを確認して、歩き出した。
「本当に助かる? あたしたち」
 操が聞いた。助かるか? もちろん、確信は持てない。しかし梨沙は信じていた。だから、きっと、助かる。
 大きく頷いた。
「絶対助かるよ。あたしが保証する。うん」
 涙に濡れた頬を拭いながら、操がようやく笑顔を見せた。こんな時だが、思った。操は梨沙と同じくらい小さいので、話す時にちょうどいい。二人で笑みを交わしていると、まるで本物の双児にでもなったようだった。
「方法は、後で話すよ。聞かれたらちょっとまずいことなんだ」
 操は辺りを見回し、不思議そうな顔をした。聞かれる対象が他の生徒だと思っているからだろう。だが四年もの間、相澤祐也と密かに連絡を取っていた梨沙のこと、首輪の盗聴の事はとっくに聞いていた。ゆっくり全てを説明(筆談含め)するには、もう少し落ち着いた場所でないとだめだろう。
 もう一度、ポケットから携帯電話を出した。やはり変化はない。だが──。
 彼に希望を託す他は、ない。


【残り28人+2人】

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