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a clue

 暗い部屋の中、関口薫(15番)は立ち上がって両腕を天上に向かって伸ばした。背骨がぱきっと小さな音を立てた。ついでに指の骨も、いつものように鳴らした。これをすると毎回「指が太くなるよ」と止められるのだが、どうも癖になってしまってやめられない。
 マッキントッシュの画面中央にダウンロード開始の旨を伝えるボックスが現れ、薫はそこで一度ガッツポーズをした。
 起動が終わった後は少々使えるのか不安だったけれど、画面の下に並ぶアイコンの群れの中、アルファベットの小文字のイーの形をしたものにマウスを乗せ、ゆっくり二回クリックした。
 しばらくし、それは確かに起動した。
 白いボックスが画面中央に現れ、ダイヤルを開始したことを告げる。パソコンの機種とは反対に、未だにダイヤル式というのは古臭いが、とにかくうまくいった。外部には繋がらないと思っていたが(事実、携帯電話やこの建物に備え付けのものは駄目だった)、これはどうやら例外らしい。
 ヨネの説明を思い出し、薫は自分なりに考えをまとめた。禁止エリアがどんな仕組みになっているかはよく分からないけれど、ヨネ達が出発地点に留まりながらも首輪を操作できるということは、巨大なコンピューターシステムが出発地点にあるに違いない。エリアに入ると爆発するという点に関しては、地下に特殊な仕掛けでもあるのかとも思ったけれど、それはほとんど不可能に近いだろう。島の地中に時限爆弾のようなものを敷きつめるなんてことは、現実的な話じゃない。
 そうなればやはり、前者だ。電波を飛ばして首輪を管理していれば正確だし、生徒がここから逃れることはできない。実に憎たらしいことに、やつらは出発地点で悠々としていても急襲されることだってない。こちらから攻撃することは絶対に無理なのだ。
 ちくしょう。ぶっ壊れてしまえばいいのに。
 薫はトラックパッドを弄る指を止めた。
「あっ」
 それは突然な思いつきだった。頭に引っ掛かっていたものがぽろっと取れたような、そんな感じがした。
 その通り。逆に考えれば、そのパソコンさえどうにかしてしまえば逃げられるんじゃないの? 違う?
 ハッキング。
 頭を掠めた単語にぞくりとした。しかし、薫はパソコンには精通していたが、さすがにハッキングなんてものまでは嗜んではいなかった。
 ”ハッキング”で検索して地道にお勉強してる時間は、ない。その間にも禁止エリアは増え、いつここから追い出されてしまうか分からない。
 それに──。
 薫は顔の前で両手を合わせ、呟いた。
「真央……」
 あんたがいつ死ぬとも限らない。
「あたしと会うまで生き延びてくれてれば」
 再びパソコンに目を遣りながら、薫は呟いた。事実、政府側に殺された生徒を除いて三人死亡者がいる。三人。十分だ。その数だけやる気のクラスメイトがいるのだ。こんな小さな島ならば遭遇する確率だって高い。
 薫ははじめに、手当り次第ファイルを探してみたが、どうも役に立ちそうなものは見つからなかった。それでとにかく、インターネット(とはいえ、実際は”大東亜ネット”と呼ばれる閉鎖的なものだが)に繋がるのならば、そこで誰かにこのことを伝えようと思った。しかしまたそこで立ち塞がる難関。”プログラムをやらされているから助けてくれ”とどこかに書き込んだとして、誰が信じてくれる? 信じてくれたとしても、助ける手段は皆無なわけだし、不特定多数が見ているところで堂々と”助けてやろう”なんて言い出す人はいない。その不特定多数の中に、政府関係者が何人いるか分からないのだ。更に書き込んだことがばれて首輪に電波を送られかねない。
 薫はそこで、今度は逆に特定の信頼できる人物に助けを求めようと考えた。メールで? いや、それはだめだ。相手が気がつくまでに死んでしまうかもしれない。すぐに状況を伝えられて、答えてくれる人物。それを薫は知っていた。
 ちょうどそこでダウンロードが終了した。薫は考えを中断し、画面上に新しく現れた灰色のアイコンをクリックした。細長い、同じく灰色の画面が開く。マッキントッシュ版はやや使いにくそうだったが、そうも言っていられないだろう。
 メッセンジャーという、文字でリアルタイムに会話のできるチャットの簡易版。そこには必ず、薫がネットで知り合った友達が何人かいる。中でもパソコンに詳しいのが”松”というハンドルを使う、現在大学生の男。彼とはちょっとしたことでこじれたこともあったけれど、まだ付き合いは続いていて、”まっちゃん”、”コウちゃん”で呼び合う仲だ。一度会ったこともある。ちなみに”kou”は薫のハンドルで、かおるを香で変換したものを音読みしただけのものだったが、そのまま愛用している。
 灰色のウィンドウにリストが並んだ。オンラインしているのは一人。その、”まっちゃん”だった。
 画面に会話開始を告げるウィンドウが現れ、薫はかじりつくように見入った。
 
  松>コウちゃんだ! ひさしぶり!
 
 夢中でキーボードを叩いた。松は次の言葉を打ち込んでいたが、構ってはいられなかった。

 松>今日遅いじゃん。明日学校ないの?
 kou>助けて欲しい
 kou>実は、プログラムってのやらされてるんだけど
 松>どした?
 松>はーあ?

 
 会話が噛み合わない。だが、薫は焦っていた。もっと言葉を選ぶべきだったかもしれないけれど、松と言葉を交わしたことによる興奮でうまく文章がまとまらなかった。
 
 松>もっとまともな冗談言おうな(笑)
 kou>ほんとだって
 kou>お願い。助けてほしい
 松>・・・何で優雅にメッセしてんだよ
 kou>パソコンを見つけだして、たまたま繋がったんだって
 kou>時間がないから、お願い。聞いて。
 kou>首輪つけられてるんだけど、それがある限り脱出できないんだよ
 kou>んで、首輪は政府のPCが管理してるわけ。それを何とか壊せないかな?
 kou>理解できなくても理解して!

 
 一気に書き、薫は松からの返答を待った。一秒経つごとに、怖かった。もし、松が疑って回線を切ったら? そうしたら、助かる確率はゼロに戻ってしまう。説明が雑でおまけに他力本願ではあったが、そうするしかなかった。ただ、頼むことしか薫には出来なかった。
 たっぷり一分ばかり置いて、松が反応を示した。
 
 松>本当に?
 松>そういえば夜にニュースがあったけど、コウちゃんの学校だったんだ



 こんな時に嘘が言えるかってんだ!
 松の態度には苛々したが、文体には出さないように細心の注意を払った。とにかく、こちらは助けて”もらう”立場なのだ。
 
 kou>本当だよ!政府のパソコン壊す方法、何かないかな?
 kou>方法があるなら教えて
 松>おいおいおい。俺はド素人だからそんなの。。
 kou>お願い 何でもいいから
 松>うーん・・・

 
松が再び黙った。ただ、彼に任せるしかなかった。

 松>俺にはできないけど、そっち方面詳しいやついるから聞いてみるよ
 松>そいつがやるか、成功するかは分からないよ?
 松>あ、コウちゃんを助けたいのは山々なんだけどね(^^;
 kou>ありがとう! ほんとにありがとう!


 薫は礼を打ちながら、何度も頭を下げた。ありがたかった。本当に。パソコンが出来て良かった。チャットでこの人と知り合っていて良かった。
 
 kou>ありがとう! ほんと、まっちゃん神様! 大好きだ!
 松>助かったらほんとに好きになってくれる?


 薫は指を止めた。
 
 松>冗談だよ

 すぐに松はそう言った。恐らく、きっと、彼の本心。だが薫には答えを出すことは、まだできない。もしかしたら、もうできないかもしれない。しかし──。
 再び、思い出す落合真央の顔。
 真央──。
 これに成功して、首輪が無効になればみんなだって殺し合いをやめるはず。あの転校生二人については何とも言い様がないけれど。でも。あんたに及ぶ危険はぐっと減るはず。だから、だから、待ってな。
 ぼんやりしている余裕も、松との思い出に浸っている余裕もなかった。軽く首を振って、再び画面を見た。松からのメッセージ、”一旦切るけど、知り合いと連絡とれたらすぐ戻る”。松はそのまま消えたけれど、薫は彼の助けを待つ他なかった。
 鞄にしのばせておいたチョコレートをひとかけ口に含み、もう一度背伸びをした。助かる確率は、確実に上がっていた。


【残り28人+2人】

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