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feeling which was being accumulated

 成田文子(22番)は条ノ島管理事務所前の駐車場に停まった乗用車の陰から顔を出した。その位置からはちょうど、まばらに駐車している車数台と、事務所に通じる道、そしてそちらの方へ歩いて行く筒井雪乃(18番)が見えていた。
 チャンスだ。殺さなければ。
 腹の底から這い上がってくる黒い感情が波のようにうねりながら、文子の理性を呑み込んでいくようだった。
 文子はクラスで目立つ方ではなかった。意見も主張しなければ、話し掛けられても一言二言しか返さない。人と仲良くしたくないというわけではもちろんない。ただ、人付き合いがそもそも苦手で、自分の気持ちを伝えられる友人もあまりいなかった。
 そんな文子を変わり者だという目で見ているクラスメイトはたくさんいる。クラスメイトだけじゃない。学年で、たくさん。そのくらいのことも文子はちゃんと分かっていた。
 たまに発言すればみんなは耳をそばだてて聞き、「声が小さくて聞こえない」と陰口(といっても、聞こえるように)を叩くものもいた。
 しかし何より不愉快なのは、文子が黙っているのをいいことに仕事を押し付けたり、文子の行動をネタにして言いたい放題されることだった。そこまでする人は限られていたけれど。
 私だって、人間だ。されたら嫌なことだってある。黙っていて溜まっていることだってある。
 プログラムに選ばれた時、思った。私を馬鹿にした人を殺すいいチャンスだと。直接何かした人だけじゃなく、何もしてくれなかった人、全員。クラス全員だ。主に言いたい放題だった佐藤彩(11番)達のグループは真っ先に死んだが、まあ、いい気味だった。
 そしてそのグループで生き残った、たった一人の生徒。筒井雪乃が目の前を歩いている。少し面長だが割と可愛らしい顔に金持ちらしいと聞く家。可愛がられて育ったからかは分からないけれど、わがままさも目立つ少女。
 文子はデイパックからコルトガバメントを取り出し、弾がきちんと詰まっているのを確認して、また雪乃の姿を目で追った。
 二人の距離は二十メートル程あいている。銃など初めて扱うものであったし、この距離では当たらない確率の方が高い。手前の乗用車の陰から、その前の乗用車へと移動して距離を縮める他はない。
 ほふく前進に近い姿勢で地面を這い、距離を詰めた。アスファルトの焦げ臭い匂いが鼻を刺激している。文子はいつもの癖で、垂れてきたサイドの髪を耳に掛け直すと、顔を上げて向こうの動きを見た。
 百六十センチ前後の細身にデイパックを提げた影が、そろそろと闇に怯えるようにゆっくり前後を確認している。文子の方には注意を払っていない。
 筒井さん。あんたが馬鹿にしてたやつに殺される気分は、どう?
 頬の辺りが引き攣って、文子の笑顔を歪ませた。今までにない程に興奮していた。文子が抱いていた妄想が、現実になろうとしていた。いつも、嫌なことがある度、その原因となる人物を頭の中で殺していた。それで満足していたつもりだった。こんな状況に陥ることなど考えてもいなかったので。しかし──。
 プログラムが始まった。ルールは殺し合い。反則なんてない。それにあたしには動機もある。立派な動機。彼女に復讐する。これが誰に咎められるものか。
 右手に握ったコルトガバメントに左手を添えた。重たい撃鉄はさっき起こしたばかりだ。このまま闇の向こう、筒井雪乃の影に向かって引き金を引くだけ。それだけ──。
 右肩を何か、ずるっと擦れる感触があった。
 まずい!
 思った。しかし遅かった。肩に掛けたデイパックが滑り、どさっとアスファルトの上に着地した。文子の心臓も跳ね上がったが、雪乃もこちらを向いたようだった。雪乃の手の中の懐中電灯が点り、文子の上に光が注いだ。
 何だってこんな時に!
 混乱の中で引き金を絞った。おもちゃの鉄砲を扱うような手付きだったが、とにかく、大きな音と一緒に両腕が跳ね上がった。あまりの音と衝撃に、思わず「ひっ」と声が洩れた。
 雪乃には当たっていなかった。一瞬立ち尽くし、すぐに駆け出していた。文子も立ち上がり、もう一発撃った。しかしまた当たらない。いら立ちで顔の辺りがかっと熱くなった。
「待て! 殺してやる!」
 自分でも驚くような大きな声が出た。雪乃が短い悲鳴をあげて事務所前の門を通過した。そこで何かに躓くようにがくっと体を揺らしたが、またすぐに体勢を立て直して走った。
 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!
 加速した文子の横、事務所の扉が開いた。すぐ近くを通ったため、内側から開いたドアに突き飛ばされ、アスファルトに叩き付けられ、一度でんぐり返しするように転がった。
 中から飛び出してきた人物が一体誰なのか、文子は一瞬理解できなかった。知らない人だった。肩幅くらい脚を開き、堂々とした姿勢で銃を構えている、それは、転校生の佐倉真由美だった。外見も立ち振るまいも全く異なるだけに、文子はまた、いつものように体を硬直させたまま息を飲むばかりだった。
 真由美が銃口をすっと下げた。文子の起こした上半身に向けられている。心臓が激しく動いていた。
 あたしは終わるのか? ここで? こんなところで?
 不意に真由美が、その後ろの方に視線を飛ばした。そのコンマ数秒の間、文子の体は先程の、”キレた”感覚を取り戻していた。
 邪魔するな! みんな殺してやる!
 コルトガバメントを持ち上げていた。こちらに顔を戻しかけている真由美の顔に、驚愕の表情が浮かんだ。文子がガバメントを撃つ人指し指が曲がろうとした時、自分の顎の下から鈍い、釘か何かを打ち付けたような音を聞いた。遅れて銀色の光が残像となって見えた。意識はまだ、あった。首から小噴水のように吹き出す血を浴びながら、文子は仰向けに倒れた。猛然と熱くなる喉に手を遣ろうとして、だが途中で事切れた。

 真由美は成田文子が動かなくなるのを見届け、もう一度後ろを振り返った。花井崇が、さっきまでナイフを握っていた手を伸ばしていた。それを降ろし、真由美を一瞥してから「よそ見するな」と言った。
 花井は文子の死体に歩み寄り、彼が放ったナイフを機械的な動きで引き抜き、その手のコルトガバメントをも冷静に奪った。
 真由美は暫く、そこから動くことができなかった。


【残り28人+2人】

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