15

the reason for participation

 広い駐車場の脇に忘れ去られたように建っている条ノ島管理事務所。そこを境に道はがらっと変わる。東の公園へ伸びる道は針葉樹と鋪装されたレンガ色の道がストライプ状に並び、島の先まで続いている。
佐倉真由美は事務所の中から外の様子を見た。ここに着いてすぐ、花井崇は例の仕掛けを作るために外へ出ていったのだが、一体どこまで行っているのか、その姿は見えなかった。
 まさか。逃げられた、なんて、ことは。
 真由美は慌てて事務所のドアを開け、外に飛び出した。花井の姿はやはり見えない。ああ、やられた!
 事務所の周りをぐるっと回ってみた。どこにもいない。左右にも目を遣った。そして、見えた。緑色の微かな灯り。闇の中でもそのシルエットは花井のものだとすぐに分かった。何せ、ここは、女子校だから。ズボンを穿いた影は頭を垂らし、手元の緑の光に目を落としている。少しばかり近付くと、それが携帯電話だということが分かった。
「何やってんの」
 花井がすっと携帯電話をポケットに戻した。なにも隠さなくったって。
「時計を持ってきてないんだ」
 花井が言った。どうやら、携帯電話をその代わりに使おうという考えらしい。なるほど、確かに。携帯電話で連絡をとる事は不可能だし、そもそも外部と連絡をとりたい人間がのこのここんなプログラムに参加するわけがないのだ。
 真由美はちょっと、小さい子を諭すような口調で言った。
「いなくなったかと思ったじゃん。あんまし驚かさないでよ」
 花井は面倒臭そうに一つ溜息をついた。
「もうじき、零時の放送が──」
 タイミングよく花井の声にスピーカーの音が被さった。ぼんやりしている真由美を余所に、花井は駆け出した。事務所の中へ。地図と、名簿を見なければならない。佐倉も続いた。

『どうもどうも。みんな、こんな夜分に騒がしくてごめんな! でも大事な連絡だから、言わないとなー』

 真由美は思わずふっと笑みをこぼし、花井を見たが笑っていなかった。黙々と地図を懐中電灯で照らすばかり。ああ、そう。ほんとに愛想がない。

『まず初めに、出発してから今までに死んだ子の名前を読むよ。えーと、全員いるとこで死んだ人は飛ばすからね。じゃあ、最初は十九番の富永愛さん、三十二番の皆川悠さん、三十六番の山口久恵さん。最後に三十三番の宮崎リカさん。あっと、宮崎さんは首輪を無理に外そうとして爆発しちゃったみたいだから、みんなは気を付けてな』

「マジ?」
 真由美が感嘆の声を洩らした。花井はちらっと顔を上げただけで、特には反応しなかった。

『じゃ、禁止エリア言うからな! 一時にA=3、三時にB=1、五時にD=7。ちゃんと書いたね? じゃあまた朝にな!』

 放送が終わった。スピーカーは割と近くにあるのか、とても聞きやすかったので助かった。真由美は地図にチェックし終えた花井の顔を覗き込み、「ねえ、花井君の時はいた?」と聞いた。
 花井は暫く黙って、それから「何が?」と聞き返した。
「ほーら、さっき言ってたじゃん。首輪取ろうとして死んだって。そんなバカうちのときいなかったよ。説明聞いてなかったのかねー」
「そうとは限らないさ」
 陽気な笑い声を遮って、花井が呟いた。
「こんなことになって、気が動転していたのかもしれない。俺の時にはいなかったけど、気がおかしくなってるのはたくさんいたな」
 相槌を打ちながら、真由美は内心、複雑な思いに駆られた。花井が初めて、プログラムを経験した時のことを話した。それは、真由美に対する警戒心が薄れてきた証拠ととれば好都合だけれど、それ以前にちょっと、また期待を膨らませている自分に気がついた。内心また苦笑いをした。ばかだな、あたしは。誰も彼も同じじゃないか。
「そう──」
 あたしの時もたくさん、おかしな連中がいた。
 そこまで思い出した時にふと、先程の花井の物言いが妙な事に気が付いた。”こんなことになって”? 確かに、こんなことになって、っていうのは分かるわよ。でもその言い方はあまりに──。
「なんでそんな優しい……同情してるみたいな言い方するの?」
 花井は微かに笑んだようだった。花井の後ろ、四角いスリガラスから入る星明かりが、吊り上がった花井の唇を青白く照らした。それはぞくっとする程冷たい雰囲気を漂わせていた。
「なに、可哀想じゃないか。友達にやられるか、時間切れか、禁止エリアか、もしくは俺達のどちらかに殺されるしかないんだ。適切な表現だよ。さっきのは」
 そこまで言って、花井はまた黙った。真由美も何も言わなかった。言えなかったのだ。
 あたしは、もしや、本当にマズい男と組んでしまったんじゃないだろうか。
 思った。花井は最初に会った時とは、いや、ついさっきまでとは全く雰囲気を変えている。背中がざわついた。それは二年前、真由美がプログラムに初めて参加した時に味わった恐怖と似ていたのだ。信頼し切っていた、好きな人の雰囲気がすっと変わり、それに遅れて自分が気付いた時の、何かが違う、といった妙な違和感。そういえばあの時、好きだった人は、どんな顔をしていたっけ。途中まで浮かび、湯気のように消えてしまう残像を追い掛けるうちに、手が自然とブラウスの胸元に伸びていた。ブラウスを握り締める指が微かに震えた。
「どうしてここに?」
 花井が言った。それにびくりと体を震わせ、顔を上げた。体の震えがスカートの前に差しているCz-75に伝わり、それが触れている椅子に当たってカチカチと音がしている。花井は音の辺りに目を落とし、「寒いのか?」と先程とは別の質問を投げかけた。
「大丈夫」
 掠れた声が出た。
「何でもないって」
 念を押すように言った。花井は少し真由美の顔を見つめて、すぐに退屈そうに別の方へ顔を向けた。再び質問を繰り返すことはなかった。
 そっと花井の顔を見た。また、前と同じ穏やかな雰囲気に戻っていた。それを見ていると少しだけ安心する。一度、大きく深呼吸した。
 プログラムのことを思い出す時、感情は恐怖と悲しみに支配されることが多い。そしてどちらかといえばやはり、恐怖が勝っている。今の自分を、ヨネに連れられてこの会場へ来た時の自分が見たら、笑い、貶すだろう。それ程に弱気になっていた。
 花井崇は、怖くないのだろうか。
「ねえ」
 今度は真由美の方から口を開いた。気分はあまりいいとはいえなかったが、饒舌になって気を紛らわせたかった。
「花井君はどうしてここへ?」
 花井が制服の脚を組んで、顎に手を添えた。
「生きててもいいことないからね」
 弱々しい笑みとは裏腹に、花井が言った。真由美にとってその言葉は、相当な衝撃だった。今までの価値観が吹き飛んでしまうような、予想し得なかった言葉。これではまるで、死にに来たと言っているようなものだ。真由美が恐れるそれを、自ら、進んで受けようというのだ。
「じゃあ、さっさと死ねば」
 いら立ちを露にした声が出た。自分でも、こんなに感情を表に出していることは久々のように感じた。自分で驚き、言葉に詰まった。
 花井は暫く、続きを待っているような素振りで黙っていたが、「最後くらい必死になるのもいいさ」と呟いた。口にしながら、立ち上がって窓の方へ歩を進める。真由美は何故か、無性に悔しくなって、下唇を噛んだ。
腹の奥がちくりとした。衝動的にゲームに参加したことを振り返り、少し、自分は後悔しているのではないだろうか? 生への未練がなお、あるのではないだろうか?
 それに比べてこの男はどうだ。
 死にに来た? ──初めの理由は同じなのに、この男は恐怖を微塵も見せない。
「何よ……」
 背中に向かって文句を吐こうとした真由美の方へ、花井がすっと手を伸ばした。待て、というサイン。花井の目は窓の外に向けられている。
「誰かがいる」
 真由美の手がCz-75に伸びた。


【残り29人+2人】

Home Index ←Back Next→