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vision

 禁止エリアとなったB=5に隣接するB=6西寄り、条ノ島大橋から続く駐車場に白っぽい光が幾度か点った。黒のワゴン車と白の乗用車の間に座り込み、宮崎リカ(33番)は耳に押し付けていた携帯電話を離すと、通話停止ボタンを静かに押した。震える手でそれを畳み、通学カバンに戻す。
 何度試しても同じだった。自宅にも、家族の携帯電話にも全く繋がらない。それどころか一度、あの渡辺ヨネとかいう男に繋がってしまって肝を潰した(”もしもし? だめだよ、おうちには繋がらないよ”)。
 ああ、ダメだ。もう助からない。
 リカは血色の悪い顔を膝に埋め、小さく呻いた。一つに束ねた髪の、どこか滑稽にくりんとはねた毛先が乗用車のボディをさっとくすぐった。
 リカは比較的裕福な家に育っていた。家族は父、母、姉がいて、その誰もがリカを愛し、可愛がっていた。
 学校行事の時は必ず両親が来た。クラス旅行の時も、集合場所まで両親が来た(これにはクラスメイト達も呆れていた。リカの知るところではなかったが)。また更に、少しでもリカの通学の負担を減らそうと、中学の近くに家を建てたりもした。
 リカにとって家族、特に母親は絶対だった。必ず自分を受け入れてくれる存在であり、また、頼れる相手だったのだ。自身の意志で何か決めるより、母親に従うことが多かったけれど、それを不満に思ったことはない。
 家に帰りたい。家に帰って、好きなアニメのビデオを見て、ネットして、それから……。
 ──今日はみんなに殺し合いをしてもらいます。
「うう……いやだよう」
 不意に思い出した言葉に、全身ががたがた震え出した。殺し合うしかない、としたら? ああ、いやだ。考えたくもない。あたしなんか、すぐみんなにやられてしまう。
 リカは体育はからきしだったし、クラスでも割と地味目なグループにいて、あまり話せる相手も多くいない。仲のいい子を殺せと言われたらためらうだろう。でも、どうでもいい子だったら? あたしに会った時、何人の人がそう思う?
 幸いというべきか、リカの武器はそれなりに当たり武器で、小型のナイフだった。背後から忍んで首に突き立てれば、殺すことも不可能ではない。首から、夜の闇で真っ黒に染まった血を吹き出すクラスメイトと、そこに立っている自分を思い浮かべる。
 思わず、ぞっとした。
 無理だ、そんな怖いことできるわけがない。とにかく、文子──成田文子(22番)を探すしかない。とりあえず普段一緒にいる誰かといたかった。でも、どうやって?
 考えようと思ったけれど、頭がうまく働かなかった。先程銃声が、南の方角から、リカの位置からは薮しか見えなかったけれど、聞こえた。
 もう始めている。誰かが、これを。あたしを殺そうとしてる!
「お母さん……助けて」
 無意識に呟き、リカは何かに気付いたように顔を持ち上げた。その時に眼鏡に涙がたまっていたのが分かったが、それを拭うことはしなかった。
 そうだ。お母さん。お母さんが、助けに来ないわけはないじゃないか。
 出発地点からすぐのこの駐車場に潜んでいるうちに、考えた。何度も。お母さんなら助けに来るはずだ、と。
 みんながいなくなってから大橋に戻り、そこから何とか逃げだせないものかとも考えた。しかし、あっけなくそこは禁止エリアとやらに入ってしまった。駐車場の目と鼻の先にあるにも関わらず、立ち入ることが出来ない。教室での説明によれば、禁止エリアに入ると首輪が爆発すると言ったけれど、本当に、本当だろうか?
 リカはそっと、首に巻き付いたものに触れた。
 これがあったら橋に行けない。電話も繋がらない。お母さんが、助けにこれない。じゃあ──。
 外してしまえばいい!
 リカは首輪と首の間に指を挟み、少し引っ張った。だが肉が圧迫される他には何もない。取れそうな気配もない。
 続いて辺りを見回した。一方向に引くと首が絞まって痛い。ならば、何かヒモか何かのようなもので両側から引いてみればいい。駐車場に張ってある金網を見つけ、そこからナイフで二本、引きちぎった。それを手にしながら、興奮気味にリカは首輪に触れた。
 外せばよかったんだ! ばかだな、あたし。何でそんな簡単なこと──。
 ヨネの説明はすっかり頭から抜け落ちていた。そもそも、プログラムに選ばれたことと同じグループの福井美希(28番)の凄惨な死体を見たことによるショックで、話が頭に入ってこなくなっていたのだ。放送時は興奮も落ち着いた頃であったので、それでも何とか禁止エリアの説明くらいは理解できたが。
 震える指に鉄の紐を握り、首輪の両端に通した。そして、見た。大橋の向こう、大好きな母親が助けに来る姿が。
 お母さん! お母さん! リカは助かったんだ!
 思いきり引いた。
 待ってて。もうじき外れるから。
 もう一度引いた。今度は、顎の下、かちっと何かが外れるような軽い音がした。首の辺りが弛んだような気がした。
 外れた。助かった。お母さん、あたしは──。
 どん、と鈍い音が響き、大橋に向かって走り出そうとしたリカの体が揺らいだ。リカはその音が、首輪に内蔵された爆弾によるものだということにも気付かないまま、乗用車のボンネットに顔から倒れた。ぶつかった衝撃で眼鏡が歪み、その上を滑った。そこから血の筋を引きながら、乗用車の脇に崩れた。崩れた時には既に事切れていた。
 だがリカは、クリムズンレッドの悪趣味なペイントを施したような顔を空に向け、笑んでいた。
 現れるはずのない母親の幻を見ながら、宮崎リカは死んだ。


【残り29人+2人】

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