13

a ray of hope

 獣道から少し脇へ逸れた薮の中、しゃがんでいるすぐ近くで虫の微かな声が聞こえた。それに応えるように、遠くの茂みからもじいっと虫が鳴く。体を少し動かすと、たちまち申し合わせたように虫の声は途切れた。
 花嶋梨沙(26番)はスタンガンを握ったままの右手を胸に引き寄せ、少しだけ足を崩した。脚全体がびりびり痺れていた。もう何時間もずっと同じ姿勢でいたせいだろう。
 それからまたたっぷり数分経ってから、梨沙はようやく茂みの中で中腰になった。たまに先程のように虫が鳴くことはあっても、辺りは静かだった。
 長い雑草の間から獣道を見る。そこにはやはり、あった。数時間前に殺害された皆川悠(32番)の死体。
 梨沙は口元を押さえ、身を乗り出した。見たくない、と思ったが、体が自然に前へ傾いていた。確認せずにはいられなかった。
 死体が着ている大東亜女学園の白い夏服は、どす黒く──富永愛が死んだ時とそっくりに染まっていた。悠の顔は幸いというべきか、梨沙の方を向いていなかった。太股の辺りまで捲れ上がったスカートの下、投げ出された脚が何ともいえず不気味で、梨沙は胸の前でぎゅっと両手を握り締めた。
 ああ、何てこと。何で見てしまったんだろう。
 思い切り目を瞑り、梨沙は体を震わせた。見てしまっていたのだ。悠が高見瑛莉(16番)に殺害されるのを。

 梨沙は悠が現れる数分前、薮の中に逃げ込むようにやって来た。転校生の花井崇に襲われたばかりで恐慌状態だった梨沙は、ただどこかへ逃げなければ、隠れなければと思い、薮の中で体を丸めていた。
 それからどれくらいか経って、誰かが横の獣道を走っていった。すぐ後に、「操なの?」という声。走っていった誰かと、もう一人は梨沙のいる薮の前で再会し、会話を始めた。だがすぐに銃声と倒れる音がした。
 そこまで思い出し、梨沙はぞっとした。あの高見瑛莉が、皆川悠を殺したところを至近距離で見てしまっていたのだ。二人と梨沙は多少なりとも付き合いはあった。特に瑛莉の方とは、クラス企画ではいつも意見がぶつかった。しかし、それでもいい友達だったのだ。明るくて快活で、面倒見が良く──。
 恐ろしい。何だって、瑛莉はあんなことを。
 この時梨沙は、クラスメイトを信じ切っていた。あの転校生(特に男)は危ないとしても、友達同士で殺し合いが起こるわけなどないと、そして殊に高見瑛莉は、みんなをまとめて助かる方法を探すのではないかと、思っていた。その瑛莉が簡単にクラスメイトを、しかも、同じグループの悠を殺してのけた。実に冷酷に。"うざいよ、あんた"。
 瑛莉は後から現れた館山泉(17番)に"仲間を集めよう"とか何とか言っていたが、一体どういうつもりなのか。ある程度集めて、それからまたさっきのように殺していくつもりだろうか?
 梨沙は溢れてくる考えを振り切るように、首を振った。
 ぶうん、と微かな音。スカート越しにポケットの中から震えが伝わって来た。梨沙は慌ててポケットからその原因を引っぱり出した。ストレートタイプの白い携帯電話と、その緑色の画面に目を落とし、梨沙はボタンを押した。そして思わず、「ああ」と呻いた。
 画面に文字が表示されていた。

 >大丈夫。落ち着いて。
 >島の様子を教えてほしい。


 すぐに返事を書いた。島の名前と、今の状況。アンテナを伸ばし、送信ボタンを押すとすぐに送信完了の表示が表れた。梨沙はぎゅっと携帯電話を握り締めた。

 お願い。届いて。助けて──相澤さん。

 四年前、相澤祐也から梨沙にあるものが届けられた。それは母親にも、あるいは友達にも言わなかった。所謂二人だけの連絡手段。それが今手にしている、一見古いタイプの携帯電話だった。
 祐也はその時言った。"何かあったらすぐこれに連絡するんだよ。どんなところにいても繋がるから"と。
 梨沙は詳しくは訊ねなかった。ただ、何か緊急用の電話なのだ、と思っただけだった。その後、祐也と会うことはなかったが、二人はこの電話でのみ連絡をとることがあった。ただ近況を伝え合うだけのこともあれば、夜中、急に姉の事を思い出して眠れなくなってしまった梨沙がかけたりということもあった。しかし、中学に上がってからはよくこの電話の話をされた。
 祐也は何かを非常に警戒している様子だった。何か──それはこのプログラムのことだったのだと今更やっと分かったのだけれど、とにかく、繰り返し言っていた。"これで助けを呼べば絶対につながる"と。
 相澤祐也は梨沙と初めて会った後、反政府組織に入ったのだという。そこでこの特殊な携帯電話を手に入れる事が出来たらしい。その仕組みは梨沙には分からなかったけれど。

 そして今、この電話を通じて祐也と連絡をとることができた。初めに普通の携帯電話で試した時は無理だったが、祐也の言った通り、秘密の電話の方は通じた。思った。助かる、と。
 携帯電話が震えた。メールが返ってきていた。

 >条ノ島? わかった。絶対に助けに行く。
 >出来る限り動かない方が安全だから、
 >地図に名前のない建物とかに隠れていた方がいい。それから


 文字を追って、スクロールさせた。

 >誰も信じちゃだめだ。

 梨沙はぐっと息を飲んだ。その文字を、何度も読み返した。誰も、信じちゃだめだ。信じちゃ、だめだ。
 教室でプログラムに選ばれたことが分かった時のように、ぎゅっと心臓を掴まれるような気持ちになった。希望を持てるはずのメールが、静かな絶望を呼んだ。誰も──。
 梨沙はまた、首を揺らした。
 それは、そう。本当にその通り。現に見たもの。瑛莉が人を殺したのを。
 分かってはいたが、梨沙はどうしても、そのように割り切ることが出来なかった。信じられる人がいるはずだ。死んでしまったけれど、富永愛のように思っているクラスメイトは絶対にまだいるはずだ。少なくとも、いつも一緒にいた井上明菜(1番)西村みずき(23番)はクラスメイトを自分から殺したりはしない。これだけは、絶対だ。
 加えて思った。これは幾分楽観的すぎる考えだったけれど。
 相澤さんが助けてくれる事を話せば、みんなもまとまってくれるはず。そしてみんな、助かるはず。
 梨沙がその姉、蘭と決定的に違う性質を持っているとすれば、恐ろしい程の行動力(それは無計画で突拍子もないものが多いとしても)だといえるだろう。
 こんなプログラムに参加するのは御免だった。死ぬのは勿論、誰かを殺すのだって絶対に嫌だった。だから一歩間違えれば殺されるような時にも意見を言った。間違っていると思った事には、絶対従わない。これは、梨沙の信念だ。
 相澤さんが危ないと言ったとしても、仲間を探そう。だって、こんなゲームでみんなが怖い思いするの、ばからしいと思わない?
 祐也からの忠告は小さな絶望を思わせたが、梨沙の中では既に、たった一つの希望に変わっていた。蜘蛛の糸。それだって何もないよりかはいいだろう。
 茂みから立ち上がり、梨沙は静かに歩き出した。


【序盤戦終了 残り30人+2人】

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