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dissolution

 佐倉真由美は絶命した山口久恵の手からCz-75を拾い上げると、走り去る望月操の背に向けて構えた。素早い動きで引き金に指を掛けたが、それより先に花井崇が真由美の指先から銃を払い除けた。
「よせ」
 床をCz-75が転がる音に乗せ、花井の低い囁きが店内に存在を大きく示した。
 銃をなくした手を静かに降ろし、少しの間の後、佐倉が花井をきっと睨んだ。
「バカじゃない?」
 真由美が唐突に言った。視線の先、操の背中が海の方へ消えた。
「あの子は何も持ってない。今焦って殺す必要はない」
 ナイフを拾い上げ、一度振った。ぴしっと床に血が滴る音がした。ちょっとした隙に──花井に武器が戻ってしまった。
 真由美は腹の中で舌打ちしたが、自分が銃を手にしていることでとりあえず気を取り直した。
「本当に経験者? そんな甘いんじゃ生き残れないわよ」
 花井は何も言わず横を擦り抜け、店内に久恵の死体を引きずり込んでシャッターを降ろした。転がった懐中電灯を拾い上げ、その微かな明かりが首がすぱっと裂けた久恵の顔の上を通過した。ぎょっとしたように丸く目を開けた顔の下から、赤い血がじわじわと水たまりを広げている。
 これにはいささか気分が悪くなった。自分がしたこととはいえ。
「違うの?」
 いら立ちを露にして問う。
「何が」
 花井が、ほとんど感情の篭っていない声で返す。
「どこかの優勝者なんでしょ?」
 花井の顔が、懐中電灯の灯りで黄色っぽく照らされた。その目は真由美をじっと見ている。髪から、制服から、黒一色の体は闇に紛れ、顔だけ浮かんでいるような不気味さに少しだけ、ぞくりとした。同じ志願者、そして恐らく、同じようにどこかの優勝者であるはずが、自分とは全く異質な雰囲気を醸し出している。
「なんで?」
 少し間を置き、返す。なんで? ──なんでって、あたしは、そう聞いたことがあるし。それに自分から参加しようなんて人、普通はいないんじゃない? そんなことより、先に質問したのはあたしじゃない。
 多少の不満はとりあえず我慢した。とにかく、このゲームは花井と組んでいた方が有利に事が進むのだ(仲間というのは二人きりになるまで。最後の最後、結局は倒してしまおうと思っているにせよ)。ちょっと考えるように視線を動かしてから、真由美が言った。
「これの志願者は、ほとんどが経験者って聞いてるし。それに花井君、手榴弾の種類を見分けられた。なかなか、普通に生活してきた人には出来ないことだと思うけど」
 得意げに話し終えた真由美を余所に、花井は天井からぶら下がっている貝殻の飾り物をナイフで切り、テグスを引き抜いた。答えを考える様子も見せない花井には少々呆れたが、もう一度、興奮した様子で言った。
「さっき、あたしの手から銃を落としたじゃない。あれも訓練してなかったら難しいと思うんだけど」
「だったら何?」
 床に、テグスを抜かれてばらばらになった貝殻が落ちた。花井は器用にテグスを巻取り、また別の飾りにナイフを当てる。今の今までそうだったことだが、花井は他の者に全く関心を示さないようだ。
 だったら何──っか。この男の警戒を解くには苦労がいるようだ。警戒というより、性格の問題のようだけど。
 無意識に小さな溜息が出た。
「それ、何してんの」
 花井がちょっと顔を持ち上げた。その反応は不思議と気分を良くさせた。この男の関心を引きたいんだろうか、あたしは? ──いや、そんなこと、ないか。
「ちょっとした仕掛けだ」
「仕掛け?」
 おうむ返しの言葉を聞いて、花井はこくりと頷いた。
「島の南東の公園に管理事務所がある。そこでしばらく様子を伺うことにするよ」
「それ──」
 同時に疑問がいくつか湧き、言葉に詰まった。
「前に観光で来たことがあったから」
 真由美をちらっと見遣り、花井が口にした。一つの疑問、なぜ、地図にない場所を把握しているのかということは分かった。それにしてもこの男は、人に関心がないふりをして、こちらの考えを先読みすることが多い。
「それで、そのヒモは何に使うの?」
 真由美が指差した先、ちょうど二つ目の飾りからテグスを引き抜き、両端を固く結んだ。またそれを巻き取ってからナイフをベルトに差した。真由美の爪先辺りに落としていた視線を上げた。
「事務所の入り口から道を通って木に結ぶ。誰かが引っ掛けたらすぐにわかる」
 はあ、と感嘆の声を洩らして真由美が頷いた。なるほど、本当にこの男は色々と知っているらしい。先程生徒を一人逃したのも、余裕からくるものなのだろうか。
 花井は懐中電灯で久恵の死体の周りを照らし、その腕に掴まれたままのデイパックを引き上げた。デイパックを取り上げられた久恵の腕が地面に落ち、微かな砂埃が黄色く吹き上がる。それにも気を留めず、花井はシャッターを開けて潜ろうと身を屈めた。
「それで、あたしにそれを言うってことは、一緒に行動する気があるってことだよね?」
 その背中に向け、言った。それはちょっとした意地悪のようなものだった。しかし、心無しか期待していた。生き残る計画云々は関係なく、どこか別の次元のところで。
 花井が身を屈めたまま首をこちらに向けた。
「来るなって言っても無駄だろうから」
 そっけなく言いながら、シャッターを潜った。続いてその下から這い出た目には外の星明かりが心地良かった。そして花井がもう一言言った。
「ただ、随分お互い方針が違うようだから、意見が分かれたらそこで解散だ」
 返事を待たずに歩き出した背中を見ながら、真由美は人知れずちらっと笑った。Cz-75を左に持ち替え、ずり落ちかかったバッグを掛け直した。
「イイよ」
 言いながら花井を追う気分は、いつの間にか、このプログラムに参加を決めた時とは掛け離れたものになっていた。
 しかし、悪くはない──そう思った。


【残り30人+2人】

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