09

misunderstanding

 いつの間にか闇が島全体を覆い、月のない空には大小様々な宝石をちりばめたような星が、音もなく瞬いていた。
 エリアB=2からC=2にあたる商店街は海から容赦なく吹き付ける風を遮断していたが、そこにはかつてあったであろう明るさも活気もない。深い、深い海底に沈んだような静けさがあった。
 細い、暗い店の間を進みながら、望月操(34番)山口久恵(36番)は微かな音を聞いた。シャッターを無理矢理押し上げるような音。
「今の、何かな」
 操が痩せた腕を久恵に絡ませ、ぴたりと足を止めた。不安を表わすように、操は次第に強い力を込めてくる。
「何も。気のせいでしょ」
 半歩後ろでじっと息を殺している操に目を遣り、久恵はそっけなく言った。聞こえないふりをした。操の恐怖を和らげると同時に、自分自身を落ち着かせようとして言ったのだけれど、その音は確かに、耳に届いていた。声を出してみたことで気が紛れるかとも思ったけれど、それは意外にも逆効果であったようで、久恵は心臓が破裂しそうな程脈打っているのを、胸に手を当ててこっそり確かめた。
 もう少し先へ進み、商店街の通りを抜ければ海岸がすぐそこに迫っているはずだ。現に今二人が立っている場所にも、微かな潮の香りが届いている。そこまで一気に抜けたかったが、操だけでなく久恵の足も止まっていた。例えるとしたら、出口のないお化け屋敷に入れられてしまったようで。
 久恵が囁いた。
「誰もいないよ、ほら」
 それでも操は不安げに顔を見上げてきた。五月下旬の気候には不釣り合いな冬服の袖越しにはっきり、操の細い腕の感触が伝わってくる。ちょっとふっくらした体型にコンプレックスを持っていた久恵は、こんな時ではあるもののその小さな顔や細い腕を羨ましく思っている自分に苦笑した。
 操はそんな視線にも気付かぬように、「静かになった」と呟いた。久恵はちょっと首を揺らしてから操を見た。こんなことを考えている場合ではなかった、と思い直し、言った。
「じゃあ、進んでみようか。海まで出たら、海岸沿いに進んでどこか入れそうな家を探そう」
 操が頷くのを確認して、またそろそろと足を動かす。商店街は暗く、ずっと続いていた。普段自分達が生活している街では、こんな体験をすることは出来なかった。どんなに夜遅くになったって、家の周りに外灯はついていたし、家に帰る人や散歩をする人の気配がいつもあった。
 以前、たった一度だけこんな暗闇を経験したことがあった。一年前のキャンプ教室だ。湖に近い山の中でテントを張り、友達と自炊したあのささやかな思い出。夜はすぐ近くにいる友達さえ闇に紛れ、恐ろしかったのを今でも覚えている。
「サチと、弥生とチカは一緒かな」
 操が不意に、グループの他メンバーのことを口にした。先に出た三人は、資料館の外にはいなかった。だが、あの三人のこと。まさか互いを信用していないわけがない。キャンプの回想は一旦止めて、久恵は「多分、一緒だよ」と言った。
「でも、外にいなかった」
 言わんとしていることは分かった。三人は、三人だけで一緒にいることを決めて、操と久恵を置いて行ってしまった──操はそんなことを考えているのだろう。
 久恵も、そう、資料館を出たところに操一人がいたのを見て、心細く思うと同時に三人に疑いを持った。しかし、あの謎の爆発(弥生が出て行くほんの少し前だった)のこともあって、ばらばらに逃げたかもしれないし、資料館で待機する危険性を考えて先に出たのかもしれない。島のどこかで再会した時に彼女達が襲ってくることなど、考えられなかった。
「爆発みたいなのがあったじゃない? きっと、それで、みんな逃げたのかもしれないよ。あたし達を置いてくつもりじゃなかったと思うよ」
 操がゆっくり頷き、絡ませた腕にぎゅっと力を込めた。
「久恵、あたしと一緒にいてね」
 操が暗闇に怯え、自分を頼りにしていることはすぐ分かった。安心させてあげなければならない。操は、怖がりで甘えん坊なところがあるから。
「大丈夫。一緒にいるよ」
 今度は久恵の方から腕を強く絡めた。操もそれに安心してか、闇の中で微かに笑った。
「あっ」
 突然、操が小さな声を上げ、久恵の腕を強く引いた。びくりと体が震えたが、すぐに操の顔を見た。暗闇の中、微かに見える顔の輪郭が上下する。何か発見したようだった。顎でその場所を指し示しているように見え、その先を見た。
 見たが、特に何があるわけでもない。もう一度操の方を向くと、「シャッターが」と囁いた。
 左側の店にシャッターが少しだけ開いているものが一つあった。すぐに近付こうとしたが、操に腕を引っ張られた。また顔を向けると、首を激しく振る。行くな、というつもりだろう。しかし、もしかしたらあの三人の誰かか、そうではないとしても仲間になれそうな人かもしれない。
 とりあえず、確認してみなくちゃ。
 久恵は支給武器のCz-75を右手に握り、左手に懐中電灯を握った。腕を解かれた操は、後ろからセーラーの襟の辺りを握り締め、そろそろと久恵の後に続いた。
 怖いくらいの静寂の中に、心臓の音が胸を通して辺りに響いていくようだった。心無しか、空気も先程より冷えてきている気がした。
 大丈夫。きっと。風が強いから、さっきの音も、このシャッターが吹かれただけかもしれない。それに、もし、誰か人がいても、うちのクラスに喜んで人を殺すような人なんかいない。決まってる。
 懐中電灯がぱっとついた。丸い灯りが地面を滑らかに移動して、シャッターの隙間の闇を明るく照らし出した。異物は見つからない。中からも音はしていない。
「やめようよ」
 後ろから操が囁いた。泣き出しそうな、掠れた声だった。だが、ここまできた以上、確かめないわけにはいかなかった。
 もし、万が一のことがあれば、ピストルもあるし──。
 操に見えるようにCz-75をかざしてから、シャッターに手を掛けた。操は少しだけ、久恵から距離を置いて立っていた。
 静寂にシャッターを押し上げる音が大きく広がった。緊張で手元が震える。シャッターが、一メートル程の高さまで上がった。
 久恵は懐中電灯を持った左手をコンクリート地の地面に這わせ、シャッターの下を潜った。すぐ後ろから操が付いてくる気配がした。懐中電灯に照らされた店内のあちこちに、貝殻で作られた飾り物がぶら下がっている。ここは観光客向けの土産物屋らしい。手前の棚に島の写真をポストカードにしたものが並んで売られていた。人の気配はないようだ。
 ふっと息を吐いた時、すぐ右手で何か動いた。反射的に銃を持ち上げた右手に何かがぶつかり、すぐ耳元でざくっといい音がした。事態を把握するのに数秒を要した。顎の下、生暖かい人の手が触れている。そしてその手にはナイフが握られていて、ナイフは、久恵の首に食い込んでいた。窓から吹き込む木枯らしのようなか細い声が出た。だが、それだけだった。
 ナイフが引き抜かれると同時、久恵の体が床に倒れた。すぐ後ろからシャッターを潜ろうとしていた操の頬に血が飛び散った。
「ひゃああ」
 一度尻餅を付き、操は両腕を振り回してから立ち上がった。すぐに駆け出し、振り返らなかった。
 正確に何が起こったか把握しないまま、ただ、とてつもなく恐ろしいことを目の当たりにした操は半狂乱になっていた。


【残り30人+2人】

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