08

betrayed admiration

 日もすっかり暮れた頃、皆川悠(32番)はD=5に位置する小道を歩いていた。
 舗装されておらず、土が剥き出しになっているそこは、両側から背の高い笹に挟まれるように伸びていてどこか窮屈な感じがする。悠はクラスでも背は小さい方で、花嶋梨沙(26番)落合真央(4番)とはいつも背の順で先頭を決める時に揉めていた。小さいがゆえに余計、周りの笹に飲まれそうに見える。
 テニス部で程よく焼けた小麦色の額に汗が浮かび、腰に巻き付けたセーターの存在も鬱陶しかった。緊張と恐怖で体が火照っている。
 悠は一度、立ち止まって耳を澄ませた。だが、聞こえるのは波が寄せる音と風の音だけで、人がいる気配は全くない。
 出発してすぐ、合流に失敗したのだと分かった。
 いつもくっついて歩いていた高見瑛莉(16番)も、茅房早苗(7番)にも会えなかった。──いや、もしかしたらあの二人だけは一緒にいるかもしれない。あたしだけ誘われなくて寂しい思いをしたことは、今までに何度か──でも。
 あたし達は、小学校からの友達。そしてあの政府の役人は、一人になるまで殺し合いをしろと、逃げる方法はないと言ったけれど、瑛莉と一緒にいれば、何とかなるかもしれない。
 そう。瑛莉は何だってできる、あたしの自慢の友達なんだ。
 瑛莉はきっと、あたしを助けてくれる。
 思ったら幾分足取りが軽くなった気がする。ほんの少し、希望を持てる気がした。クラスで殺し合いなんて御免だけれど、もし、襲ってくる人がいれば、"これ"がある。あたしは助かる。
 デイパックから抜き出したグロック19を握り締め、思った。しかし当然ながら悠は、そんなもの一度だって使ったことはない。一緒に入っていた取扱い説明書を見ようとして──スピーカーから流れ出る歪んだ音を聞いた。
『みんな! ちょっと言い忘れたことがあったので、今言いたいと思います』
 悠は辺りを見回した。スピーカーは少し離れた場所に設置してあるのか、音はやや小さかった。
『ついさっき最後の人が出発しました。そういうわけで、これから約二十分後、この大東亜記念館があるエリアのBの5は禁止エリアになります。戻ってきたらやばいぞー』
 慌てて地図を確認すると、B=5にある条ノ島大橋の一部は禁止エリアに入ってしまうようだ。出発してすぐに、悠は駐車場を突っ切って大橋まで登ってみたのだが、本当にヨネの言った通りに柵があったので近寄れなかった。それでも柵だけなら何とかなるかもしれない。しかし、禁止エリアに入ってしまうとなればもう近付くことすら出来なくなる。
 悠は小さな溜め息を付いた。
 ちょうどその時、ぷつんと放送が切れる音がして、一層気持ちに影を落とした。いつの間にか目の前に、二つに別れた道が現れていた。右は灯台、左は馬ノ洞門の矢印が出ている。悠はもう一度地図を取り出した。
 地図に灯台は二つあった。だが、道の方角から考えてみるとどちらも違うようだ。名前がないだけでもう一つあるのだろうか。悠は右の道へ行こうと足を踏み出し、だが視界に映った人影を捉えてすぐに腰を落とした。
「誰?」
 遅かった。すぐにその人影が近付いてくる気配がして、悠は左の道に走り込んだ。道は真直ぐ続いていて、逃げ込めそうな場所はない。いっそ、やぶに突っ込もうか? いや、それともこのまま走った方がいいだろうか。
「操? 操なの?」
 右の道に現れた人物はどうも、悠を望月操(34番)と勘違いしているようだった。そういえば操も背が小さくて、髪を一つに束ねているところは一緒だった。薄暗い場所ではそっくりに見えるのかもしれない。
 悠はふと、足を止めた。その声は、まさしく、今の今までずっと会いたいと思っていた瑛莉のものによく似ている気がした。
「お願い返事して」
 落ち着きを取り戻した頭が、その声が瑛莉のものだと告げていた。迷わず振り返り、道を戻った。
「瑛莉! あたし、悠!」
 悠は叫んだ。この際ゲームのルールなんてどうでも良くなっていた。ただ、安心感が全身を満たしていた。瑛莉に会えたことへの感動を表わさずにはいられなかった。
 瑛莉は悠の姿を認めると、両手を小さく広げて駆け寄ってきた。二人が手を取り合った時、「探してたの」と瑛莉が言った。それは微かに、涙声に変わっていた。
 ああ──やっぱり、そうなの? 瑛莉も、あたしを探していた?
 悠はくしゃっと顔を歪ませて、涙を流した。めちゃくちゃに嬉しかった。やはり、瑛莉は友達だったのだ。それもあたしを探してくれていた?
 突然、瑛莉が握り合っていた左手を離した。悠は離された自分の右手を見て、苦笑した。グロックを握ったままだったのだ。
「ごめん、びっくりしちゃって」
 瑛莉が言った。すぐにそれをポケットに入れようとして、瑛莉がこちらに手を伸ばしているのに気付いた。悠は一瞬止まってから、すぐグロックを手渡した。
 瑛莉はグロックを大事そうに手に納め、トリガーに触れてから、「弾入ってる?」と尋ねた。どこか淡々とした口調だった。いつも、悠が苦手な科目の問題を教えてもらっている時のそれに似ていた。
「まだ。説明書が付いてたけど」
「貸して」
 瑛莉は受け取り、懐中電灯で手元を照らしながら、手際よく弾を詰めた。それを、悠は、いつものように尊敬の眼差しで見ていた。ただ、ああ、瑛莉って本当に何でも出来るんだ、と心から感心しながら。
「ほい。出来ました」
 軽い口調で瑛莉が言い、グロックを悠に差し出した。受け取ろうと手を出し──その持ち方が、おかしいことに気付いた。
「え……」
 間抜けな声を出して、悠は手を上げた。瑛莉の手の中、9×19経口のコンパクトモデルがしっかり悠の方を向いていた。その上の瑛莉の顔を伺う。ちょっとつり上がった唇の端に笑みがたまっていた。
「やーだあ、瑛莉。いやあ、撃たないでえ」
 芝居掛かった声を出して悠が笑った。瑛莉が吹き出した。
 からかわれているのだ、と思った。疑う心は微塵もなかった。だが、瑛莉は銃を降ろさなかった。
「もう、やめてよ」
 瑛莉の腕が持ち上がり、真直ぐに悠の胸に狙いが定まった。それですっかり、やっと、悠は状況を把握した。
 瑛莉が、あたしを。あたしを殺そうと──。
 いや、違う。
 すぐに心の中、それを否定する声が聞こえた。
 あたしを探してたって、言った。あたし達、友達なんだもん。
「あたし達、小学校からの、友達、じゃない……」
 うわ言のように呟いていた。目の前から向かってくる事実と、それを受け入れたくない気持ちが衝突していた。
「友達?」
 瑛莉が吐き出すように言った。風が瑛莉のショートヘアを弄び、顔が隠れたせいで表情が見えない。次いで、左手をグロックに添え、構えた。
「そうでしょ? 瑛莉、そうだよね?」
 ほとんど泣いていた。
 そうでしょう? そうでしょう? こんなの、冗談だって、言って!
「うざいよあんた」
 歪んだ口元から発せられた最後の言葉が、悠を打ちのめした。少し遅れて、グロックが火を噴き、悠の胸を貫いた。
 絶命の間際、頭の中、瑛莉の言葉がぐるぐる回った。
 うざい──? 瑛莉、何が? 何がいけなかった? 友達だっていうのも、全て、思い違いだった? あたしだけの? やっぱり、瑛莉みたいに頭のいい人と友達なんてありえなかった? 嬉しかったのに。瑛莉が賞状とるたび。成績優秀者として名前が載るたび。自分のことみたいに嬉しかったよ。少し自慢に思ってた。──だからなの? それがいけなかった?
 手にしていた荷物が地面に落ち、砂埃が上がった。それに遅れ、どっと悠が仰向けに倒れた。
 悠は、最後まで瑛莉の言葉を受け入れることが出来なかった。
 
 瑛莉はグロックを支えていた左手を外し、悠がもう動かなくなったのを確認すると息を吐いた。そして、背後から来る足音にゆっくり振り返った。
「瑛莉……なんで……」
 館山泉(17番)が呆然とした表情で立ち止まった。瑛莉はすぐ、言葉を紡いだ。
「やっぱり泉に隠れてもらっててよかったよ。悠……いきなり襲ってきた」
 本当に正解だった。人影を見つけ、様子を見てくると言って一人で来て良かった。泉を一緒に連れてきていたら、悠を片付けることは出来なかっただろう。だいたい、悠は騒ぎ過ぎる。仲間にしても足を引っ張るだけだ。
 泉が悠の死体を見て息を飲んだ。瑛莉はグロックをポケットに入れ、それからちょっと悲し気な表情をつくるのも忘れなかった。
「みんなが悠みたいにゲームに乗ったとは限らないよ。あたし達は、仲間を作らないとね」
 泉の隣に並び、静かに笑んだ。

 私は、まだ死ぬわけにはいかない。
 私はここで死ぬべきじゃない。

 瑛莉の決意はつゆ知らず、希望を持った表情の泉が一人、頷いた。


【残り31人+2人】

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