06

never dreamed ambush

 室内は妙に静かだった。押し殺した微かな息遣いさえ聞こえてきそうな程、皆黙っている。
 花嶋梨沙(26番)は室内を見回し、聞こえるか聞こえないか分からない程小さな溜め息を吐いた。ガラスケースの中に収められた大東亜の歴史を物語る資料の数々と、不健康な蛍光灯の光に満たされた部屋の中、空腹感と軽い頭痛に見舞われる。だいたい、窓すらなく外の様子が分からない。昼か、夜かさえ不明だ。

 中村香奈(20番)が出た後に起こった爆発音には、さすがのヨネも動揺していたが、すぐに次の仲沢弥生(21番)成田文子(22番)が送りだされた。信じたくはないけれど、恐らく、ゲームは始まっている。ヨネが発破をかけるためにしたことかもしれないが、とにかく、その可能性は低いだろう。
 
 ヨネが、腕にはめている金色のフレームの時計に目を落とし、言った。
「西村みずきさん、そろそろ出発だよ」
 梨沙は顔を上げ、同じ列の右端にいる西村みずき(23番)が立ち上がるのを見た。反応を示したのは梨沙だけだった。残されたクラスメイトは皆、黙って下を向いているか、じっと、どこか別の場所へ視線を遣っている。もう分かってるのだ。へたに動けば殺される。だから、そうやって静かに──。
 仕方のないことではあったが、梨沙は少しイライラした。みずきが立ち上がり、鞄を手にする仕草を見つめているのに気付いたのか、ヨネが厭らしく笑った。
「みんな、覚えてるよな? さっきの音。あれは俺も知らないよ。誰かが勝手にやったことだよ。前に出た、君達の友達の、誰かが」
 支度をしていたみずきの手が一瞬、止まった。梨沙は怒りを抑え、机の下で拳を作って耐えた。なんてことを言うんだろう。皆を、煽っている! ──富永愛(19番)が殺された時のように何か、言いたかった。だが、そんなことをすれば今度こそはヨネは何のためらいもなく梨沙を撃つだろう。そう思うと、何も出来なかった。
 みずきが空になった長机の前を横切る。上履きの擦れる音が微かに、耳に届く。
 お願い。こっちを、見て。
 視線でその背中を追ったが、みずきはただの一度も、梨沙と目を合わせなかった。デイパックを受け取り、静かに出て行った。
 また溜め息が漏れた。だめだ、ばらばらになってしまう。だが、どうにもできずに時間だけが流れた。
 
「花井くーん」
 どれくらいじっと目を閉じていたのだろうか。梨沙は自分が呼ばれたかのように勢い良く顔を上げ、そして、ちょうどデイパックを受け取るために進み出てきた花井崇と視線を合わせることになった。瞼に掛かる程伸ばした前髪の下、花井の眼球がくるっと動き、梨沙を見た。冷えた視線に心臓が鷲掴みにされるようだった。
 そんな動揺を見抜いたのかどうか──花井は何事もなかったかのように向きを変え、扉の向こうへ姿を消した。
 
 心臓の動悸が治まらない。自分の名前が呼ばれるまでの二分間は、地獄のようだった。
 組み合わせた手の平から滲む汗。額も、それどころか全身も汗でじっとりと濡れていた。室内が妙に暑かった。顔の周りだけサウナにでも入ったように熱く、体はつま先から冷え出していた。
 ついに、名前を呼ばれて立ち上がった。恐怖が全身を支配して、机の脇に歩み出た時に少しだけよろけた。僅かに背の高いヨネからデイパックを受け取り、視線を出口に遣ろうとして──見た。富永愛の真っ赤に染まった夏服と、その首が銃弾で引き裂かれているのを。つんと錆びたような臭いが鼻に届き、梨沙は生唾を飲んだ。胃の中から込み上げてくるものを感じて、愛の体から視線を引き剥がす。足元に広がった水たまりを避け、重い足取りで部屋から踏み出した。
 まっすぐに伸びた廊下と、その両サイドに並んだガラスケースに圧倒されながら、梨沙はふと妙なことに気がついた。右手の壁に黒い鉄板が貼られている。これは──窓を塞いでいるのだろうか? でも何のために?
 梨沙は足を進めた。そのまま進んで行くと、突き当たりに"お手洗い"の看板と"お出口"の看板が出ていた。そして少し離れたところに、黒い塊が見えた。目を細めながら近付き、梨沙はその正体を捉えて微かにふらついた。
 これは──これは。
 最初に殺された四人の死体が山積みになっていた。更に奥の方、出口に近い方に大きな水たまりが出来ており、そこから現在四人が倒れている場所まで、乾いた筆で書いたような、掠れた赤い筋がいくつも伸びていた。梨沙は、両腕で自分の体を抱き締めながら後退した。
 血だまりの中、佐藤彩(11番)のかかとの潰れたカラフルな上履きが浮いていた。一番下に俯せになっている篠塚美歩(12番)の首が、おかしな方向に曲がっていた。生前、梨沙がいつも可愛いな、と思っていた益子明日香(30番)は矯正をつけた歯を真っ赤に染めてぼんやりと天井を見ていた。三浦美花子(32番)の頭が欠けて、口と鼻から太い血の筋が流れていた。──とても、それは、酷かった。
「おい、何をしている」
 背後から掛かった声に、梨沙は飛び上がりそうになった。後ろには、大型のライフルを構えた兵士が立っていて、その爪先は赤黒く濡れていた。
 それで、分かった。四人を撃ったのはこの男で、見せしめにするために、わざわざ生徒が通る場所へ死体を移動させた。
 兵士が「早く出ろ」と言ってライフルを持ち上げたが、梨沙はそのままぼんやり死体に視線を落としていた。
「出ろ!」
 凄い剣幕で叫ばれ、音声が耳に到達した時点で駆け出していた。足元がずるっと滑り、血だまりに足を突っ込んだのだと分かったが、とにかく、出口の灯りに向かって走った。靴下に血が染みてしっとり足に貼り付く。背筋がざわざわした。
 ああ、もう、何で、何で、こんなことに!
 出口まで来て立ち止まり、振り返った。兵士の姿はない。思った以上に息が弾み、はあはあと荒い息が漏れた。
 空は蒼くなり、ちょうど日が沈んだばかりのようだった。潮風が外から吹き込み、額を濡らしていた汗が冷えて心地良かった。少しだけ歩を進め、辺りを見回したが人の姿はなかった。
 やっぱり、いない。
 肩を落とし、デイパックを抱え直した。まだ時間はそんなに経っていない。最初の井上明菜(1番)はどうか分からないが、みんなそんな遠くへは行っていないはずだ。この状況を飲み込めていないうちに、やる気になる人が現れる前に誰かと合流しなければ。
 そういえば、ヨネが言っていた。"武器とかはその中に入ってるよ。ランダムだけど"。それ──デイパックのチャックを開き、中を探った。何か、固い感触があった。黒い皮のケースの中に収まっている黒いもの──一瞬、携帯電話かと思った。サイズはそのぐらいだった。だが、取り出したものにはクワガタ虫のような二本の銀の角が生えていた。握りやすいように指の形に窪ませてあるボディ。御丁寧に取扱い説明書まで付いている、それは、スタンガンだった。
 スイッチを押すと、ジジジ、と青い火花を散らしてスタンガンが音を立てた。もちろん、手にするのも使うのも初めてだった。
 ランダムだと言ったのは確かだったようだ。自分はとりあえず、スタンガンを手に入れたが、爆弾のようなものを持つ人物もいる。そして中には、銃を渡されている者もいるはずだ。
 もう一度中を振り返り、次の原田喜美(27番)を待とうか、と考えた。喜美は、あのクラス委員の高見瑛莉(16番)に肩を並べる程成績がよく、まあ、多少はおっちょこちょいなところもあるけれど、こんな時にでも人を襲うようには見えない。信用は出来る。
 しかしながら、さっきの兵士に見つかれば撃たれてしまうかもしれない。仕方なくこの場は素直に出て、近くで潜伏して喜美を待つしかないだろう。
 視界の端に赤い自動販売機が見えた。何となしに、その陰に隠れようと思った。回り込もうとした瞬間、梨沙の心臓がびくんと跳ねた。自動販売機の脇に、背の高い男が、まるでずっとそこに生えていた木のようにじっと、立っていた。
「あっ」
 思わず声を上げた。ホラー映画ではこういう時、もっと大声で叫ぶのかもしれないが──実際はあまり声が出なくなってしまうらしい。
 それを認識する前に、梨沙はくるっと体の向きを変えていた。一瞬で焼きつけられた、学ランの黒のイメージ。あの転校生だ。しかも男の方。すっと血の気が引くのが分かった。クラスでも小柄なほうである自分と、身長が百八十はありそうな男。力の差は試すまでもない。
 そして出発前に見た男の目は、死んだ魚のそれのように生気がなく、冷たかった。あの時のざわつきが胸に蘇りつつあった。
 相手が銃でも持っていない限り、大丈夫だと思った。バレー部で鍛えた反射神経はきっと役に立つはずだ。あの茂みの中に身を隠せば──だが、遅れて腕をがっちり掴まれる感触があった。
 殺される! 殺される!
「いやっ、いやっ、やああああ」
 自由な手に拳を握り、振り返りざまに花井の胸をめいっぱい叩いたが、びくともしない。ダークブルーの空にきらっと光るものが見え、それはすぐに、花井の握っている大きなナイフだと分かった。花井は梨沙の胸の辺りにそれを突き出し、「動くな」と押し殺した声で囁いた。
 ──こういう時は、ほら、大人しくするべきなんだ。
 だが、梨沙の頭は既に混乱していた。片腕を振り回し、それを制止しようとした花井の腕が動き、ナイフは梨沙の制服に付いたネクタイを引っ掛けて千切り飛ばした。スナップが外れる音が妙に大きく、聞こえた。
「離してっ」
 半狂乱になりながらもう一度花井の胸を殴った。殴る時、手の中の物に力を込めていた。ジジジ、と青い光が弾け、梨沙を掴んでいた腕の力がふっと消失した。花井は地面に崩れていた。
 梨沙は手に持ったスタンガンを不思議そうに眺めてすぐ、落とした荷物を抱えて走り出した。
 殺される! 殺される! あの転校生に!
 原田喜美のことや、誰かと合流することはすっかり頭から抜け落ちて、じりじり焼け付くように熱くなった頬に涙を伝わせながら、逃げた。
 

 花井崇は一瞬意識を手放しそうになったが、何とか持ちこたえていた。ただ、一瞬とはいえ電流をお見舞いされては立っていられない。腕に感覚があまり残っていなかった。土下座しているような姿勢のまましばらく、動けずにいた。
 石段を誰かが登ってくる音がした。およそこのゲームの中とは思えない、軽い足取りだった。視線を上げた花井の目の前に、白い脚が二つ並んだ。更に上を見る。金色に染めた髪を垂らし、微笑みを浮かべた少女が花井を見下ろしていた。
 

【残り32人+2人】

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