04

beginning

 建物を出てすぐに、小松杏奈(9番)は出発地点に戻って来ていた。つい少し前に慌てて駈け降りた石段を見上げ、その上に乗っている一見民宿のように地味なデザインの建物を見た。"大東亜記念館"という看板を掲げた建物を見据えながら、杏奈は汗で濡れた手に拳を作った。
 はじめは迷った。一つ前に出発したはずの日下部麗未(8番)は既に姿を消していたし、"みんなを信じている"と宣誓した井上明菜(1番)もいなかった。やはり、そんなのは所詮キレイゴトに過ぎないのだろうか。皆で集まって脱出なんていうのは、夢のまた夢だろうか。でも。
 杏奈は可能性を捨てたくなかった。もともとチャレンジ精神は旺盛だったし、今までもクラス企画で無謀とも思えたことを成し遂げられたのも、杏奈の希望を捨てない姿勢と縁の下の力持ち的行動のおかげともいえた。
 今回も、いや、今回こそは諦めてはいけないのではないか?
 杏奈はそう思っていた。
 入り口に置かれた赤い自動販売機の横に並びながら、腕時計に目を落とす。──まだ、時間はあまり経っていない。
 一瞬の判断で引き返したのは正解だったかもしれない。もし少しでも遅くなれば、次に出てくる後藤良子(10番)を逃してしまうところだった。
 良子は外部生ではじめはクラスこそ違ったけれど、同じコーラス部で活動するうちに仲良くなった。普段は温厚な性格なのだが、怒った時の良子は本当に人が変わったようになる。ただし、そうなる時は決まってちゃんとした理由がある時だ。彼女は不正や人を傷つける行為に対して激しく反応した。そういう点で杏奈とは気が合ったし、うまくやってきていた。
 もう一度時計を見て、杏奈は顔を顰めた。夕方の五時をすぎたところだ。本当ならもう家に帰っている時間。オレンジ色に変わった西日に照らされながら、ただぼんやりとおなかが空いた、と思った。
「杏奈」
 背後からの声に振り返り、杏奈はすっと緊張が解れるのを感じた。入り口にはいつもと変わらない良子が立っていた。切れ長の目に通った鼻筋。そして柔らかそうな真直ぐ肩まで伸びた髪。ただ、その顔は少し緊張で強張ってはいたが、すぐに笑顔が広がった。
「待っててくれてたの?」
 杏奈が頷くと、良子は目を細めて嬉しそうな顔をした。やっぱりいつもの良子だった。きっと杏奈の考えを受け入れてくれるに違いない。
「良子、すごく変なこと聞くけど、このプログラムをやろうっていうつもり、ないでしょう?」
 大きく首を縦に振ろうとして、良子は少し、眉を寄せた。すぐにそこに生じた誤解に気付き、杏奈は加えて言った。
「あ……良子を疑ってるんじゃなくて。みんな殺し合いなんて、できるわけないでしょ。だから、あたしは、みんなを集めて考えなきゃって思って。良子は、嫌?」
 ややあって、良子が「嫌じゃないよ。そうしよう」と言った。真剣な面持ちになっていた。
「麗未ちゃんは?」
 良子が辺りを見回しながら尋ねた。既にいなかったことを話すと、良子は残念そうに「そっか」とだけ言った。
「でも、ここでみんなをうまく集められたら佳織さんとも合流できるよね。そしたら先に出ちゃった人に何とか連絡とって──」
 突然、良子が言葉を切った。入り口に背を向けている杏奈の背後に目を止め、息を飲んでいた。杏奈がぱっと振り返ると、僅か数十センチの距離にあの転校生、佐倉真由美が立っていた。
 良子が杏奈の腕を引き、道を空けた。真由美はビニールバッグとデイパックを抱え直すと、二人をちら、と見てから向きを変えて歩いていった。マスカラを塗った重たげな睫毛の陰影が、しっかりと目に焼き付いてしまった。
 心臓が、破裂しそうなくらい鳴っていた。杏奈は真っ青だったかもしれない。良子が心配そうに覗き込んでいたかと思うと、ぐっと自動販売機の脇に杏奈を引き寄せた。
「やっぱり、危ないよ」
 良子が囁く。その顔は、ちょうど逆光で見えにくかったが、恐らく少し困った顔をしているのだろう。
「疑いたくないけど、特にあの二人の転校生はやばいよ。多分、多分、だけど、武器を確認して戻ってくる人だっているかもしれない」
 杏奈は「でも」と言いかけ、そのまま黙った。でも、あたし達はここでみんなを待つべきだよ。信じるべきだよ。──ううん。
 そんなことは口が裂けても言えなかった。
 口で言うことは簡単だ。だがここで待つということは、良子をも危険にさらすことになる。それに、杏奈も襲撃者が戻ってくることを恐れた。だからこそ、入り口に戻ってくることを悩んだのだ。
 腹の中で二つの感情がぶつかり合っていた。留まって、仲間を増やす? それとも、早く逃げて身を隠す?
 足元にすっと黒い影が伸びた。同時に二人、顔を上げると柴田千絵(13番)が自動販売機から体を覗かせていた。
「杏奈……」
 千絵が目を丸くして呟いた。右半分にだけ光が当たり、まるきり上弦の月のようになった顔からは驚きが滲み出ていたけれど、杏奈と良子に対する警戒はないように見えた。何より、千絵と杏奈は家が近く、小学校の頃からの仲であったし、二人のグループが一緒に行動することもよくあった。
 ああ──。
 杏奈は思った。
 千絵の登場に驚いたが、これは当然のことなのだ。彼女の前の佐藤彩(11番)篠塚美歩(12番)はもう死んでいたのだ。姿こそ見ていないが、死んだことに違いはなかったのだ。
 三人はそこで隠れ、とりあえずクラスメイトを集めることにした。
 
 数分の後、記念館の脇に五人が集まった。
 新しく加わったのは高見瑛莉(16番)館山泉(17番)砂川ゆかり(14番)は呼ばなかった。大人しくて、いつも一緒にいる原田喜美(27番)とはよく話しているようだが、五人の中では特に親しくしている者はいなかったので。彼女を疑ったわけではないが、やはり、よく知らないで仲間になるのは危険だと判断した。
 そして、関口薫(15番)。背が百七十センチほどある中性的な雰囲気のある彼女は、五人とも関わりがあり、呼ばれたのだけれど、悩んだ挙げ句に落合真央(4番)を探しに行くと言って抜けた。最近はよく二人きりでいるのを見かけていたし、どうしても再会したいという気持ちを汲んであげた。
「信用できそうな子を出来るだけ集めてさ、何か考えればきっといい考えが浮かぶよ」
 杏奈の言葉に頷きながら「そうだね」と答えたのは高見瑛莉。入り口に目を遣りながら、「次は雪乃だけど」と言葉を濁した。正直なところ、筒井雪乃(18番)には"わがままなお嬢さん"というイメージがあったし、深く付き合っている者はそこにはいなかった。
「あたしあんまりあの子、好きじゃないな。話したことも全然ないし」
 泉がちょっとつり気味の瞳を入り口に向け、言った。冷たい言い方ではあったが、信用のない相手を無理に仲間に入れることはない。他の者も無言で同意した。
「トミーは大丈夫だよ。あと、香奈ちゃんも。千絵ちゃん、仲いいもんね」
 良子に言われ、千絵が頷く。トミーというのは富永愛(19番)の愛称の一つであって、その呼び方は愛の愛嬌のある顔立ちに良く合っていた。
 そろそろかな、と誰ともなく口にした時、中から銃声が響いた。佐藤彩達を殺したものとは違ったが、確かに、重なって聞こえた。
「待って、何、今の」
「また、誰か……」
 言葉を失った五人の耳に、中から駈けてくる音が届いた。愛の無事を喜ぶように皆、自然と表情が弛んだけれど、飛び出して来たのは中村香奈(20番)だった。びっくりしたように目を見開いた香奈の目尻に、涙が溜っているのが見えた。そしてその手の中のうさぎのキーホルダー。
 一体何が──。
 杏奈は香奈の方に一歩踏み出し、愛の身に何が起こったか尋ねようとした。しかしそれより先に、香奈が左に動いていた。それを追うように動かした視界の隅に、黒い、ちょうど卵のような丸い物が飛んで来ているのが見えた。
「危ない」
 捉えた瞬間、叫んでいた。皆の強張った表情がぐるっと回る。香奈は千絵の手を取ったかと思うと、そのまま階段とは反対方向の道を走り出した。
 一体、一体何が起こったの?
 みんなばらばらになった。香奈達が走っていった方角へ行く者、階段を降りようとする者──良子だ。良子が階段から足を滑らせ、小さな悲鳴と共に消えた。杏奈も駈けていた。
 誰もいなくなった平地に黒い塊が落ちる。瞬間、空気を震わせるような爆音が響き、辺りが真っ白になった。夢中で倒れている良子の体を起こしながら、叫んだ。
「良子! こっち!」
 傷だらけになった良子を立たせ、走った。それはもう、めちゃくちゃに。
 いたんだ。──こんな、こんなひどいゲームに乗る人が、あたしの、クラスに!
 良子の体を支えながら、夕日の落ちる西に向かって走った。


【残り32人+2人】

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