02

the unmerciful man

 背筋がゾクゾクした。期待と不安が半々の、不思議な感じが。
 ついに来た。
 香奈は体をぶるっと震わせ、ヨネの口元を凝視した。
 さあ、言えよ。そのルールってやつを。
 香奈はいつか、愛に言った。──平和過ぎる世界にいると、なんだか無性に生きている実感が欲しくなる。ちょっとあのプログラムっての、やってみたいかも。
 愛は不謹慎だと諌めた。その通り、香奈だって本気じゃなかった。ほんの冗談のつもりだった。生きるか死ぬか、何も殺し合い、しかもクラスメイト同士なんてことじゃなく、必死になって生きているという実感が欲しいと思っただけだ。
「冗談ですよね?」
 顔を上げると、ちょうど立ち上がりかけた井上明菜(1番)に目が止まった。
「嘘ですよね? 去年うちの学年が荒れてたからですか? だから、こうやって罰とかで、驚かせようと……ねえ、じゃなきゃ……」
 明菜は強引にでもこれをドッキリだと思いたいらしい。みんなに同意を求めるべく部屋を見渡すが、それに応える者はなかった。胸のマークから見るに、この男は政府の者に違いなかったので(政府の連中がこんなドッキリをするだろうか?)、嘘ではない。
「なに? みんなのクラスは荒れてたの? でも先生なんかな、前はヤンキーばっかの学校にいたんだ。そりゃあヒドかったんだから。みんななんか全然お上品な方だよ。さて――」
 ヨネがガラス張りになったドアを開け、そこから四人の兵士と、それに続いて男女一人ずつが入ってきた。兵士はどれもくたびれた軍服に身を包み、髪はスキンヘッドの者、三色に染めている者など、どう見ても真面目な印象は持てない。
 そのせいか隣に立った男の容姿は目を引いた。
 大人っぽいけれど優しい顔立ち、黒の学ランに黒髪。場違いではあったけれど、香奈はこの男に少し、好感を抱いた。
 対して隣の女はだらしない格好をしている。肩まで伸ばした金髪、なのにつむじの辺りは黒い髪が生え始めているのが見える。ブレザーのボタンをギリギリまで外し、スカートは極端に短く裾から緑のジャージが見える。 ──だったら短くするなよ。これは香奈がいつも思うことなのだが。
「転校生二人を紹介します。こっちが花井崇君、こっちが佐倉真由美さん」
 二人が軽く会釈する。
 転校生? 制服も違えば、年も上に見える。高校生くらいだろうか。それに、男子? 女子校なのに?
「待って下さい。津川先生は? 担任の……」
 明菜が再び声を上げた。そうだ。担任の津川の姿が見えない。まだ若いけれど熱血な、あの人ならこれを止めてくれるかもしれない。
 だが、希望はあっさりと消し去られた。
「君達の学校の先生は協力的で助かったよ。すぐにこちらからの申し出を受け入れてくれたから」
 室内が一瞬ざわめき、隣の愛が「ひどい……」ど呟いた。
 その通りだ。うちらは政府に売られたのだから。
「そういえば君達の学校はカトリックだっけ? もう分かったと思うけど、神様なんていません」
 背中の産毛が逆立つような気持ち悪さが香奈を包んだ。
 神様なんていない。そう、そうだ。常日頃、香奈はずっとそう思っていたし、時に冗談めかして言うこともあった。だが今回ばかりは笑えない。こんな時に、こんな奴に言われたのでなければ笑えたかもしれないのに。
 ヨネは黒板に升目を書くと、その中に簡単に曲線を足した。ちょうどビンゴゲームのように縦と横に数字とアルファベットが並ぶ。
「ここはある半島の近くにある島です。後で渡す地図を見れば分かるけど、半島に繋がる橋には高圧の電流が流れている柵があるので、脱出は不可能です」
 ようやくざわめきが収まり、みんなが大人しく話を聞き出した。受け入れた、いや、諦めたと言った方がしっくりくる。香奈もヨネに何か言ってやりたかったけれど、状況を把握しようとするので精一杯だった。
「例えばここならA=1、っていうふうに、この会場はたくさんのエリアに分かれています。なんでかっていうと、禁止エリアを設けるためです。えー、禁止エリアっていうのは、そこに入るとみんながつけている首輪が爆発する区域のことです!」
 みんなが一斉に首輪に触れ、カチャカチャ音がする。香奈も初めて気がつき、一気に息苦しさが突き上げた。
 こんな……何だこれは? 首輪? 冗談じゃない!
「首輪は海に逃亡しようとしたり、不審な行動をとっても爆発します。あ、ダメダメ、あんまりいじると爆発するよ」
 首の辺りを掻きむしるように触っていた茅房早苗(9番)が慌てて手を放す。
「あと、このゲームには通常、制限時間があったりするんですが……今回の島は狭いので、特別に設けることはしません。あとで確認してみてな。あ、でも二十四時間しても死者が出ない場合と、最後の一人が決まらない場合は全員死ぬから」
 滅茶苦茶すぎるルール。どっちにしろ生き残る確率はゼロに近いってわけだ。
「あ、そうそう。今日お休みの福井さんもちゃんと連れてきましたよ。早く連れて来て」
 福井美希(28番)は今日、休みなのだ。──まあ今日に限ったことではなく、サボり癖があるようだったが。席が近くなった時にちょっと話をしたことがある。それだけで、特に仲がいいわけではなかった。
 スキンヘッドの兵士が廊下から寝袋を抱えて戻ってきた。まるで何かが入っているみたいに下が尖って――これは。
「見せてあげてくれるかな」
 ヨネがにこやかに言った。
 乱暴に開かれたチャックから、だらりと小さな腕がこぼれ、ほとんどクラス全員が叫んでいた。中には目を覆うもの、状況がわからずによく見ようとするものもいた。美希の頭ははぜわれていて、言われなければ彼女と分からないくらいだ。
「福井さんはおうちに迎えにいってあげたんだけど、暴れて逃げ回ってゲームの進行の妨げになるといけないから、殺しちゃいました。みんなも同じだからな。先生、順調に進めたいからさ」
 部屋に静かな泣き声が、共鳴するように数を増していく。
 千絵を見た。離れていて分かりにくかったが、眉を寄せてヨネを見ている。
 よかった。とりあえず冷静でいないと、この場の命すら危ない。
 対して愛は、目を赤くしてすすり泣いている。
「富ちゃん」
 身を乗り出し、通路を挟んだ隣の愛の手を握る。言い聞かせるようにささやいた。
「どんな仕組みかは分からないけど、千絵と三人で一緒にいよう、ね」
 愛が頷いたのを確認して、前を向く。ヨネがにこにこしながら唇に人差指を当てていた――黙れって言いたいわけね。オーケイ。ただし、あんたが黙るのが先だよ。
 香奈は睨み上げてから視線を別のところに遣った。これは、このゲームからは一体どうやれば逃げ出せるのか。さっきの説明の通り行くなら、首輪で管理されている限りは容易に抜けだせない。
 「あのう」という声で香奈ははっと顔を上げた。前の長机の右端、佐藤彩(11番)が遠慮がちに手を挙げている。いつものふざけた雰囲気は微塵もなかった。
 ヨネは優雅に体を捻り、彩の方ににっこりと笑顔を送った。
「はいはい?」
「トイレ行きたいんですけど」
 彩はヨネの返事を待たず、中腰になって室内を見渡し、二、三度顎を引いた。そしてすぐ、香奈の後ろで人が立ち上がる気配がした。
「あたしも」
 声に続き、三浦美花子(31番)益子明日香(30番)篠塚美歩(12番)が手を挙げた。その三人は彩といつも一緒にいるちょっと派手目な子達だった。だが彼女達の顔ぶれを確認して、香奈は少し胸に引っ掛かるところがあった。
 あれ。彩サンのグループっていったら──。
「……いいけど、ちゃんと戻ってきてね。突き当たり曲がったところだから」
 香奈の思考を遮り、ヨネは了解を出した。四人はちらっと互いに目配せをして、教室を出ていく。まあ、これはめったにないチャンスかもしれない。何とか時間を稼いで、それで、何かいい考えが浮かべば……。
 突然、四人の靴の擦れる音が駆け足に変わった。
 室内にいた者は、あっと息を飲んだ。脱走しようとしたのだ! ──しかし、ヨネの表情に焦りは見られない。
 どういうことだろう? 自分で逃げ出せってわけか?
 香奈が視線を戻しかけた瞬間、工事のドリルのようなどぱぱっという音が廊下で響いた。それに遅れ、悲鳴が響き、またどぱぱっと音がして静かになった。
「あーあーやっちゃったな。なるべく減らすなって言われてたのにな」
 教室にいた誰もが、押し黙った。四人はヨネの話から推測するに殺されたのだ。
「みんなはあんな風にならないように気を付けてな。兵士として雇ってるやつらは俺が教師してた時のヤンキーたちだからさ、短気なんだよなあ」
 愛の左隣に座っている筒井雪乃(18番)が細い顎を震わせているのが目についた。そうだ。さっきの違和感はこれだった。彩サンのグループは全部で五人──だが、雪乃は一緒に行かなかった。彼女は頭の回転が早いようだったし、行ったらどうなるか分かっていたのかもしれない。そして、結果は見事にこうなった。
「えー。共学の場合は男女交互なんだけど、ここは女子校だから一番から行っちゃおうか。なっ。出る時にそこに積んであるバッグを渡します。武器とかはその中に入ってるよ。ランダムだけど。じゃあー、出席番号一番の井上明菜さんから出発ー!」
 前方奥にいる明菜が立ち上がり、首をぐぐっとみんなの方へ向けた。普段の笑顔は消え、目鼻立ちのはっきりした顔に影が落ちていた。机の脇に置かれている自分の鞄を抱き上げ、ゆっくりした足取りで出口に向かって歩く。三色頭の兵士からデイパックを受け取ると、くるっと再び皆の方に向き直った。
「あたしはみんなを信じてるから!」
 言い終わらないうちに駆け出していた。廊下を走る音が続き、一度それはぴたりと止まり、また続いた。明菜の大声にクラスメイト達は面食らっていたようだが、すぐに元の嫌な雰囲気が漂い始めた。
「二分のインターバルを置いてから、次の人は出発。な、梅田夏枝さん」
 明菜の消えた出口を見ていた梅田夏枝(2番)の表情が、ぐっと強張った。彼女もまたクラスの中心人物で、皆には"梅子"と呼ばれて親しまれていた。その彼女も、あっという間に時間は過ぎ、出口に消えていった。
 香奈はじっと考えた。クラスメイトが延々と送りだされていく中、どうすればここを逃げられるか。だが、タチの悪いなぞなぞのようにいっこうに答えが現れない。そうしている間に、すぐ十五分程過ぎた。
「次、サ行ね。えー、佐倉真由美さん」
 室内に緊張が走った。転校生二人はどうせ最後だろうと思って安心していたが──計算が少し狂った。佐倉真由美は派手なビニールバッグを肩に掛け、誰にも視線を飛ばすことなくデイパックを受け取って消えた。消えた瞬間、室内の雰囲気も僅かではあるが和らいだ、ような気がする。
 二分はあっと言う間に過ぎ、ついに柴田千絵の名が呼ばれた。出口に歩いていく千絵を見た。眼鏡の中の目が張り詰め、感情を押し殺すように唇を引き結んでいる。香奈と愛には目もくれなかった。体の奥がぴりぴりしたが、これは仕方のないことだ、と自分に言い聞かせた。千絵だってこのゲームを受け入れられていないのだ。他に注意を向けられなくとも仕方ない。ここで下手に千絵の行動を疑ってしまっては、ヨネの思うつぼだ。
 右から次々に席が空き、愛と香奈に近付いていた。その間、ずっと愛の表情を伺おうとしていたのだが、両手で顔を覆ってしまっていてよく分からない。しかし、根拠はないが、大丈夫だと確信が持てた。愛と自分は番号が続いているし、すぐに追いつける。大丈夫だ、ともう一度心の中で唱えた時、愛が呼ばれた。
「はいっ、早く! 富永サン!」
 愛は何か言いたそうに唇を丸く開けたが、香奈が深く頷くと、泣き顔に無理矢理笑みを浮かべて立ち上がった。その決意を込めた表情に香奈は希望を見い出していたのだけれど、愛は、香奈とはまた違った意味を込めて笑んでいた。


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