01

an omen

 一番に大きなあくびをして伸び上がったのは花嶋梨沙(26番)だった。紺色のセーラーの襟を曲げたまま、それには気付くこともなく肩を回す。寝ぼけまなこに映るのは、長机の列とそこに伏せているたくさんのセーラー服の後ろ姿。梨沙はこの光景をよく知っていた。
 今、何の授業だろ。
 しかし、よく見てみると黒板などない。手前には大きな白いボードが下がり、みんなが伏せている机も何人かずつで座る長机だ。教室の一個ずつ独立している机とは違う。おまけに部屋は薄暗い。
 後ろを振り返ると、山科亜矢子(37番)横田麻里(38番)が寄り添うように眠っている。亜矢子の指先がぴくりと動き、共鳴するように銀色のごついブレスレットが揺れた。共和国ではロック音楽は"退廃音楽"として禁止されているのだが、彼女は抜け道を知っているのだろうか。ずっと前、堀川純(29番)とロックの話で盛り上がっているのを見た。梨沙はそういった音楽にはあまり興味はなかったけれど、一度だけ聞かせてもらったことがあった。煽るような激しいビートに社会を風刺する過激な歌詞(なるほど、だからこの国では制限されているわけだ)──それは自由の国を連想させ、また、漠然とかっこいいな、と思わせた。彼女達が夢中になるのも頷ける。
 一瞬、二人の後ろに、大きな男が仁王立ちになっているような錯覚を起こしかけたが、ガラスの中に入った銅像だった。ほっとすると同時に、梨沙は眉を寄せた。ありがたい総統陛下の像は梨沙に向かって手を挙げるポーズをとっている。気分は──もちろんいいわけない。
 霏が掛かっていたような頭がはっきりし始め、重要なことに気が付いた。
 あたし、いつ寝た? 確か保健のビデオ見るはずで――なのに何でここに? おかしい。記憶が、ない。
 隣に伏せていた原田喜美(27番)が微かに身体を動かした。
「喜美、起きてる?」
 つい反射的に身体を揺すると、喜美の真っすぐに切り揃えられた襟足から、鈍い光を放つものが目についた。 変わったネックレスだね。でも、学校にしてきちゃダメだよ。――いや。
 無意識に自分の首筋に這わせた手に、同じ首輪の感触が、あった。
 眠りにつく生徒、知らない場所、首輪。これは。
 敷き詰められたセーラー服の背中が次々起き出し、もうすっかり言葉を失っている梨沙をよそにおのおの会話を始めた。
「今何の時間?」
「さあ」
「視聴覚で授業してたんじゃなかった?」
 前に座っている関口薫(15番)高見瑛莉(16番)が顔を見合わせている。
 明菜。みずき。
 井上明菜(1番)西村みずき(23番)の姿を探したが、二人とも梨沙の位置からは離れた所に座り、それぞれ隣の者と話し込んでいる。正気を保とうとするが、既に体が震え出していた。
 
 ねえ、まさか、そんなわけは。
 相澤さん。これって、まさか。
 
 梨沙の思考は遠く、四年前の秋の日にさかのぼっていた。
 姉の納骨が済み、まだ小学生だった梨沙が、最後の別れに墓まで戻った時。
 そこで、見つけた。背がすらっと伸びた男の人。だけど、あちこちに包帯を巻いて辛そうにしていた。
 その時初めて相澤祐也と言葉を交わした。
 姉が死んだプログラムの優勝者。初めから信用していたわけではなく、怖かったけれど、差し出された写真を見て確信した。
 この人はお姉ちゃんが言っていた通りの人だ。体育祭を見にきた梨沙に、蘭が一人の男子を指差して言った。"あの人、かっこよくてすごくいい人なんだよ"。
 二人並んで微笑む写真を受け取りながら、姉が言っていた意味を理解した。恐ろしいプログラムの中、姉は祐也の隣で笑っていた。
 梨沙と祐也はそこで別れたけれど、互いに連絡先を交換した。プログラムの事についても詳しく聞いた。気が付いたら知らない教室にいて、首輪をつけられて、知らない女が入ってくる。そこでこう言うんだ――。
 
 突然前方の扉が開き、ざわついていたクラスメイトたちの声が途切れた。ぶうん、と不気味な音を立てながら蛍光灯にあかりがつき、誰もが目を細める。小柄な男が大きなホワイトボードの前まで進み、みんなをゆっくり見渡した。背は百六十センチあるかないか、黒ぶちの丸い眼鏡に爆発気味の頭。グレーのスーツの下に濃い紫のネクタイを締め、薄い紫のシャツを着ている。胸には政府の役人であることを表すバッジがついていた。にこにこしながら、その年齢不詳の男が「どうもどうも」と言った。
「まず自己紹介な。先生は、渡辺ヨネっていいます!」
 入口付近に座っていた佐藤彩(11番)が吹き出し、それにつられて緊張が緩んだ周りの者もクスクス笑い出した。ヨネ(絶対偽名でしょ)は、怒るでもなく、彩に向かって笑顔で手を振っている。
「面白いか? もっとお話ししたかったんだけど、俺、今日は仕事でみんなのとこに来たからね」
 仕事? クラスメイト達の視線が不安げに揺れた。
 この学校では毎年、外から神父や様々な人を呼んで話を聞く機会を設けている。それのことかもしれないと、誰もが無理に納得しようとしていた。
「アイツ、神父?」
「明らかに違うでしょ」
 後ろで山科亜矢子と横田麻里がヒソヒソ話している。ヨネは両手を擦り合わせ、再びみんなを見渡した。
「今日は、あるゲームをしてもらおうと思ってます」
 みんなが注目する。
 時が止まったような静寂。ぽかんとした生徒たちとは反対に、ヨネはにっこりと笑う。
「――プログラム?」
 唐突に中村香奈(20番)が囁いた。みんなの視線が一気に彼女に集まる。表情は梨沙の位置からは見えない。しんと静まり返った教室に、ヨネの明るい声が響いた。
「や、君、すごいね! その通り! 今日はみんなに殺し合いをしてもらいます」
 誰もが息を飲んだ中、香奈が隣の富永愛(19番)の方を見た。皮肉っぽい笑みを浮かべた目が、動揺で揺れているのを梨沙は見逃さなかった。
 あたり前だった。相澤祐也の言った通り、これから一人になるまで戦う他はないのだから。


【残り38人】

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