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Their prospects are...

 三時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、北見リナ(東京都私立大東亜女学園三年C組11番)は待ち切れずに誰よりも先に立ち上がった。適当に礼を済ませて廊下に飛び出すと、まだ入学して一月程度の一年生のグループとすれ違う。
 若いなあ。あたしもついこの前まではあんなだったのに。
 実際はたった二歳程しか違わないけれど、最近何故かそう思うことが多くなった。
 ここ、大東亜女学園は小学校から高校までが繋がっている女子校で、リナは中学から受験してやってきた。公立から来たせいもあるのだろうけど、初めての制服や女子だけの校舎や、おまけにカトリックに熱心な学校に慣れるのは少し時間を要した。
 今はもうすっかり馴染んでしまってそれすら懐かしい。きっと、彼女達もまた同じようにここに馴染んでゆくのだろう。振り返ったセーラー服の背中を映す窓の向こう、桜の木が青々とした葉を揺らしていた。
 
 リナが所属する演劇部は公演のための準備に忙しく、役決めのオーディションも控えている。今回は先輩の推薦でアメリカの劇を行うことになっていたのだけれど、顧問は渋い顔で「米帝のものは……」と言った。なんでも、今回の公演は姉妹校で行うため、校外の客から委員会のお偉いさんまで見にくるらしい。まったく、ありがたいことだ。おかげで先輩が作った台本も、セリフ覚えも全て無駄になったし、その代わりとも言えないような大東亜の総統を称える劇をやることになってしまったのだ。
 その事をまだ、D組の演劇部員達は知らない。
 リナはD組がいる視聴覚教室に急いだ。
 
 教室には既にほとんどの生徒が移動していて、保健のビデオ(確か、喫煙の害についてだったと思う)を見る席を確保していた。リナが探していたうちの二人、柴田千絵(D組13番)富永愛(同組19番)は前から二番目の席に並んでいた。
「千絵」
 千絵が振り返った。きりっとした細いフレームの眼鏡が似合う彼女は部の中でも熱心であったし、リナは信頼していた。
「先輩が考えた台本、ナシにされちゃったんだけどさ」
「何で」
「米帝の劇はダメだってさ」
 リナが差し出した新しい台本を受け取ると、千絵は少し顔を顰めてそれをめくりだした。何て理不尽なんだろう、と思っているに違いない。
 千絵がそれに目を通している間、ぐるりと教室内を見渡してみる。
 前の端の方に座っている河野幸子(5番)のグループが手帳を広げて雑談を交わしている。クラスの副委員長でしっかり者の幸子に、人懐こくて先生受けのいい望月操(34番)、明るくてモノマネが上手な(リナもよく笑わせてもらっている)海老名千賀子(3番)におっとりしていて少しふっくらした山口久恵(36番)、クールな印象の仲沢弥生(21番)
 このグループは平均して成績もいい、いわゆる、いい子ちゃんグループだ。
 いい子ちゃんグループといえばもう一つあった。
 幸子達とちょうど対照的な位置に座っている高見瑛莉(16番)が目に入った。瑛莉はクラス委員で勉強からスポーツまでそつなくこなす子で、彼女がいると河野幸子さえいつも二番手に収まってしまう。側に輪を作っているのは、彼女と小学校から一緒の茅房早苗(7番)皆川悠(32番)。早苗はクラスで一番背が高くすらっとしていて、アイドルなんかが大好きな――ちょっとあたしには付いていけないけど、まあ、それ以外は普通のいいこなのだ。反対に悠は小柄で活発な少年のような印象だ。三人は内部生で、小学校からずっと一緒に過ごしてきたという。
 三人の会話に後ろから混ざっているのは井上明菜(1番)花嶋梨沙(26番)。この二人を加えると改めて、このクラスの顔ぶれがいかに濃いか分かる。意見を主張するリーダータイプの生徒が多いのだ。
 次いで、その騒ぎを眺めている宮崎リカ(33番)成田文子(22番)。大人しい二人は本当に、このクラスにいると窮屈そうに見える。特に文子はめったに喋らず、何を考えているのかも分からない。
 
「ちょっと、あんたも部員でしょ」
 台本を片手に丸めた千絵が苛立ちを顕にした声を出した。ノートの端に落書きしていた愛がびっくりして顔を上げ、「ごめんごめん」と千絵の顔をのぞき込んだ。その隣で絵を見ていた中村香奈(20番)が、ふっと笑ったのに気が付いた。
 香奈ちゃんがすごい笑顔だ。
 リナはちょっと目を丸くして香奈の顔を見つめた。香奈は茅房早苗ほどではないが背が高く、静かで普段あまり発言したりしない。おまけに目が合った時のあのきらっとした視線。リナでなくとも恐いイメージを持つクラスメイトもいる。
 しかし、一年の時からの友達である千絵と愛といる時は違う。この二人といるときは全く普通の子なのだ。特に愛はクラスでも目立つ明るい子だし、彼女といることでだいぶ恐がられることも少なくなってきている。
 
 いつか、愛と香奈がこんな会話をしているのを見た。
「富ちゃん、これ、何」
 休み時間、絵を描いている愛の側で香奈が言った。
「うさぎ……に見えない?」
「うん、うさぎだね」
 一度にこりと顔を綻ばせると、香奈は嬉しそうに続けた。
「絵、好きなら美術部おいでよ。富ちゃんいた方が楽しい」
「入りたいんだけどね、あたし他にも色々入ってるから」
 残念ねえ、と言った愛の傍ら、香奈が拗ねたように机に伏せた。
「ていうか、香奈、美術部サボってるって聞いたんだけど」
「やめようかなと思ってるから、ちょうどいーよ」
 不貞腐れた調子で顔を伏せたまま、答えた。
 
 無防備に視線を注いでいたせいか、不意に香奈と目が合った。長い黒髪を持ち上げて、リナの目を正面からまっすぐ見つめる。やはりきらっとした視線。心臓がきゅっと縮まった感があったが、慌ててリナは笑顔を浮かべた。わざとらしい。更に手まで振ってしまった。至近距離なのに? ますますわざとらしい。
 だが、香奈も微笑み返し、それどころか口を開いてきたのだ。
「演劇も大変だね」
「うん。せっかく台本作ってもらったのに、米帝の劇はだめだって」
 香奈は目を細め、「米帝ねえ」と呟いた。否定的なニュアンスを感じ取ることはできた。しかし、リナにはその言葉にどんな深い意味が隠されているかは分からなかった。
 不意に後ろのドアが開き、室内がどっと賑やかになった。入ってきたのは佐藤彩(11番)を始めとする少し、問題児の多いグループだ。問題といってもここは一応お上品な私立の女子校なので校則違反程度なのだが。
「ねえ、昨日スゴかったよね! 見た? ほら、プログラム優勝した人!」
「ああー、あたし、部屋にいたから見てない」
「とにかくね、スゴいの! カッコイイの!」
 彩が興奮気味に言葉を浴びせかけている。
「カッコイイって……なんかかわいそうだし、こわいと思うけど」
 そう呟きながら視線を動かすと、花嶋梨沙がこっちを見ているのに気が付いた。いや、リナ達を見ているのではない。その向こうの彩達を見ている。無理もない。あんな大声で話していたら誰だって目線を奪われるだろう。しかし見ているうちに、段々梨沙の表情が変わってきた。
「えーあたし一回別の見たけど、顔とか血で真っ黒でカッコイイとかわかんなかったよ」
 三浦美花子(31番)が笑って答える。笑い声が膨らむ。
 そのうちに梨沙はひどく怯えたように顔を歪めて、机にうつ伏せになってしまった。まわりの者が話しかけるのにも構っていなかった。
 どういうこと? ――リナは狼狽した。いつも明るくて、暗い表情など見せたことのない梨沙が、ああまで。何故。
 確かに前、一度だけ見た優勝者の映像は恐ろしかった。もしかしたら梨沙もそれにトラウマを持っているのだろうか。
 梨沙、意外と恐がりなんじない。
 そう思ったけれど、やはり府に落ちない。
「総統陛下バンザイなの? あのへん」
 香奈が呟く。その目は何故か、冷ややかだった。
「こんなクソみたいな制度に賛成するやつらはバカだね、かなり」
 頬杖を付いた香奈の隣、愛と千絵が顔を見合わせた。たまに吐き出す彼女の毒気ある言い方。これで自分の悪口でも言われたら立ち直れなくなる自信がある。
 
 休み時間の終わりのチャイムが鳴り、リナは千絵に台本を渡したまま帰ろうとした。扉に手を掛けたが、しかし、開くことはなかった。何度か力を込めて引くが、びくともしない。
「千絵、助けて開かないよ! 次、国語の先生恐いんだって!」
 振り返って助けを求めるが、さっきまで起き上がって騒いでいた生徒達は床や机に伏していた。全員に近い。何とか頭を上げようとしている者もいたが、すぐに力尽きてしまう。
 遅れて、リナの視界が揺れた。授業中、ふっと眠くなる時の感覚に、それはそっくりだった。
 教室の奇妙な静けさの中、風船の空気が抜けるようなすうすうした音が聞こえる。
 何? まさか、どこかでガスが漏れた? このままじゃ全員中毒死しちゃう!
 ぐっと拳をつくり、閉まっているドアに叩きつけた。力がうまく入らないが、こうする他はなかった。
「先生……誰か、いませんか! 助けて!」
 パニック状態でドアを叩き続けていると、突然ドアが開かれた。外にはD組の担任、津川が立っていた。日焼けした健康的な肌が、今は心無しか青ざめている。
「先生、よかった、みんな倒れちゃったんです! 何かのガス――」
 リナの腕を乱暴に引くと、こわばった表情のまま津川が口を開いた。
「君は、D組じゃないよね?」
 リナにとってはどうでもいい質問だった。クラスが違うとか、この緊急事態にどう関係あるというのだろう。よく分からないまま頷くと、すぐに視聴覚教室から引きずり出された。
 そして、リナは見た。申し訳なさそうに佇む津川の後ろに、政府のバッジをつけた兵士が担架をいくつも持って並んでいる。
「お願いします」
 津川が道を開けると、兵士達が波のようにどっと押し入った。
「教室に帰れ!」
 一人の兵士に押され、リナはもがいた。
「待ってください! 何なんですか! この人達……みんなどこに連れてくんですか!」
 運び出されて行く者達の名を順に呼びながら暴れるリナの耳に、津川の、ほとんどかすれ切った声が届いた。
「選ばれたんだよ……プログラムに」
 ちょうどC組の前に着き、教室に押し入れられた。事情を知らないC組の生徒が話しかける中、リナは、今にも泣き出しそうに顔を歪めている津川を見つめた。
 彼がそこを去ってもなお、動くことが出来なかった。


【残り38人】

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