castaways

01

 五月三十日 PM 9:46 プログラム終了直後
 D=4 民宿の一室
 
 真っ暗な闇の中、中村香奈(20番)は薄く目を開いた。目を開けていても暗くて何も見えないのだから、瞑っていた方が楽だった。それでも香奈が目を開けたのには、激しい雨音に混じって放送のようなものが聞こえたからだった。
 それまでにも何度か放送が聞こえていたが、内容までは聞き取ることができなかった。またかと呆れながらも、つい癖で腕時計に視線を落とす。
 闇の中に浮かび上がった文字盤を見ると、まだ十時にもなっていない。通常の放送まではまだ二時間以上もある。何が起こっているのか気になったが、窓に近付くことは出来ない。外に出て様子をうかがうことなどもってのほかだった。
 あの男との約束──果たして、その約束を押し付けてきた本人はここへ戻ってくるのだろうか。
 つい数時間前のことを思い出しながら、香奈は静かに目を伏せた。
 
 
+ + +

 
 香奈が意識を取り戻した時、目の前に一人の男がいた。薄汚れた学生服を纏い、表情も疲れを滲ませていたが、そこそこ好みの顔だった。──まあ、いい男。天国はひと味違うね。
 ふ、と息を吐いて笑うと、何かの作業をしていたらしい手を止めて男がこちらを見た。自分の首に巻かれている銀色の首輪に指を挟み、一つ咳払いをした。
「身体は痛むかい?」
 香奈は身体を動かしてみようとして短く呻いた。
 破れた制服の右肩から覗く包帯、脇腹にも同じ感触があった。
 これは──。
 意識がはっきりしてくると同時に、脳内にびりびりと電気が走るような衝撃がやってきた。
 ……花井崇!
 思わず身体が強張った。逃げたいのだが、身体が痛くて思うように動かない。
 どういうつもりなんだ。痛むかい──って、撃っておいてそれはないだろう。
「時間がないから簡単に説明するよ」
 口を開きかけた香奈をよそに、花井が言った。親しげな口調と唐突な展開に思わず呆然としてしまう。
「君の首輪はもう取ったよ。あれが取れると、本部のシステムに死亡したっていう情報が送られる。つまり、君はもう死んだと思われてる」
 首に手を伸ばし、触れた。あの気持ち悪い感触はもうない。目の前に光が差し込んだようだった。
「それで、ここから守って欲しい。絶対にこの部屋から出ないで。残っている他の生徒に見つかる危険もあるけど、政府の連中は衛星を使って常に監視してる。見つかったら今度こそ命はない。ゲームが終わったとしてもここでじっとしてるんだ」
 そこでようやく、全く知らない部屋に寝かされていたことに気付く。恐らく、ついさっき倒れた民宿の中の一室に運ばれたのだろう。
 自分の生唾を飲む音が、随分はっきり聞こえた。命はどういうわけか助けられたようだが、何やらとんでもないことに巻き込まれてしまったらしい。
「俺の名前が放送で呼ばれるかもしれない。でも必ずここへ来るから、俺が戻るまではここにいて」
「なんでそんなことを……」
 掠れかけた声を振り絞って言った。
「ここから脱出するため」
 はっきりとそう答えた。
 なぜ、自分が助けられたのか。なぜ、この男は参加しておきながら脱出を望むのか。
「そろそろ梨沙ちゃんのところへ行くから、さっきのこと、分かったね」
 花井が香奈の顔を覗き込み、言った。
 勢いに押されて頷きかけ、香奈は眉を顰めた。
 梨沙ちゃん──脱出──。
「あなたは……」
「君は中村さん、だよね。梨沙ちゃんから聞いたかな」
 香奈は驚愕に言葉を失った。
 今までの情景がフラッシュバックしていき、見事に繋がった。信じられなかったけれど、唯一思い至った答えが口をついて出ていた。
「あなた、アイザワ──」
 男がゆっくり頷き、初めて笑顔を見せた。
 
 
+ + +

 
 あれからもう何時間も経っている。さすがにこの暗闇の中、さらには大きな雨音と雷鳴に脅かされながら過ごすのは辛い。立ち上がろうとしたが、身体がずきっと痛んだ。
 撃たれた右肩と脇腹からの出血はほとんど止まっていた。出血時のショックであのまま気を失ったようだったが、傷はあまり深くなかった。そのおかげで今はこうして生きている。あの男──アイザワはそこまでちゃんと狙ってやったのだろう。
 ……マッチポンプ式だ。
 いくら政府のやつらを騙すためとはいえ、本当に撃ってそれから治療するなんて、なんて無駄なことをするんだろう。
 香奈はそっと脇腹の包帯に触れ、それから急に青ざめた。青ざめてすぐ、顔がかっと熱くなった。
「……最悪」
 思わずそう呟いたのも無理はなかった。アイザワがどうやって自分の治療をしたのかということを考えると、身体がむず痒くなっていてもたってもいられなくなる。
 気が付いた時にはきちんと制服が着せられていたが、包帯を巻く時には当然、上半身下着姿をさらすことになっていたのだろう。治療してもらえたのは有り難かったが──香奈は思わず頭を抱えてしまった。
 窓の外から再び放送が聞こえだした。香奈は気を取り直すように首を振ると、そっと窓に近付いた。雨の中から放送の音を聞き取ろうと耳を澄ませる。
 妙に明るい音楽と、あの教官の声が響いている。おめでとう、終了、という単語が聞き取れた。それで、香奈ははっとして顔を上げた。
 ……ゲームが終わった。
 覚えている限りまだ十数人は残っていたはずだが、ゲームが終了したということは、たった一人を除いた全員が死んでしまったのだ。
 
 数日前の体育祭を思い出す。この学年は以前からまとまりが悪く、もめることもしょっちゅうあった。そのくせ、授業のボイコットとなると団結する輩が多いから教師たちからの評判も当然良くなかった。香奈と柴田千絵も「うるさい」と授業中に大声で注意したことが何度もあった(そういうところからも香奈は怖がられていたのかもしれないが)。
 しかし、今年の体育祭のまとまり方は素晴らしかった。練習もきちんとしていたし、体育祭の中に組み込まれている仮装では高一、高二を抜いて準優勝を貰うことができた。
『うちらの学年は、最高!』
 そう言って梅田夏枝や井上明菜が手を叩いていたのを思い出す。
 ──あんなに体育祭でまとまってたのに、平気なの?
 死に際、富永愛がそう言ったのももっともだった。感動泣きなどしたことのない香奈でさえ、涙が出そうになるほどの出来事だった。
 しかし、それももう過ぎ去ってしまったことか。ただ過ぎただけではなく、もう二度と戻ることができない出来事。
 確か、D組の教室の後ろの黒板には”来年こそ優勝!”とチョークで飾られたメッセージがある。それももう、D組の生徒には叶わない願いだ。
 
 さて、では自分はこれからどうなるのか。
 優勝者ではなく脱獄犯同然となった自分は、これからどうなるのだろう。逃げ回って結局殺されるのならばいっそ、さっき死んでおいた方が楽だったのではないだろうか。
 あの男──アイザワは首輪を外してくれた。それなりにこれからの作戦も考えてあるのだろうが、こちらとは初対面で本当に信用できるか分からない。必ず戻ってくると言ってはくれたが、今生きているのかすら分からない相手を信じなければならないというのは──。
 ああ、あの、アイザワという男。梨沙ちゃんは頼りにしていたし、信用できるのかもしれない。だけど、あんな中途半端な説明されて、ちゃっちゃといなくなられたら信じられそうにもない。だいたい、もし戻ってこれなかったらあたしはどうなるんだ。
 
 心の中でアイザワに対する恨み言をつぶやいていると、唐突に部屋のドアが開かれた。驚きのあまり声も出せずに縮こまった香奈の上から、待ちわびた男の声が降る。
「さ、早く出発しよう」
 闇の中から手が伸びてきて、香奈の腕を掴んだ。その手は冷たく濡れている。懐中電灯のあかりの中で見たアイザワは全身、頭から爪先までびしょびしょになっていた。しかし、理由を聞く暇も与えずに香奈を立たせ、部屋に置いてあったウージーを握らせた。
「走れそう?」
 アイザワは言ったそばから香奈の手を引いて走り出した。暗闇の中、アイザワの手だけが頼りだった。香奈は何とか脚を動かしてついていく。撃たれた箇所は痛むが、何とか走れそうだった。脚をやられなくてよかったと、心底思う。
 部屋から出て微かな明かりが見えたと思った瞬間、全身がさっと冷たくなった。二人は激しい雨の中に飛び込んでいた。濡れた前髪が目にかかり、香奈は空いた方の手でそれを払った。
 本当によく分からないことに巻き込まれてしまったと、自分の運の無さにうんざりする。雷鳴が轟く曇り空を見上げて、もう一度前を走るアイザワの背中を見た。アイザワは時折振り向いて香奈の様子を見てはいたが、言葉はない。
 走っているうちに息が切れてきた。もう二、三百メートルは走ったのではないだろうか。短距離だけが得意な香奈には少し、きつかった。
 いい加減に止まって欲しい──そう言おうとしたところでアイザワがちょうど脚を止めた。香奈は助かったと言わんばかりによろよろと膝に手を付いた。
「俺たちはこのまま島に残る。あいつらが帰った後に俺の仲間が迎えに来てくれる手筈になってる」
 香奈はようやく顔を起こし、アイザワとその向こうに見える大きな船を交互に見た。B=4観光船乗り場にだいぶ近いところまで来ていたようだ。
「待って、さっき衛星で監視されてるって──」
「夜中でこの天候だから問題ない。それにもうゲームは終了しているから、リアルタイムで監視されている可能性はほとんどないよ」
 香奈は頷きかけた頭を垂れ、静かに鼻を啜った。
 怖かった。これからどうなってしまうのか。
 突然現れた男。そしてその仲間。脱走。自分の命が保証されていないのだと考えると、怖くて怖くて仕方なかった。
「どうなるの……これから」
 濡れた傷口が疼く。暗闇の中、アイザワの表情はよく見えない。
「仲間の手を借りて海外に逃げるしかない。とてもじゃないけど国内にはいられない」
 どこか他人事のようなアイザワの言葉にひどく腹が立った。
「勝手に巻き込んだのはあんたじゃないか!」
 突然大きな声を出した香奈の口を塞ぎ、アイザワは慌てた様子で「しっ」と言った。
 それでも気はおさまらなかった。辛い逃亡生活なんて御免だった。いつかきっと追い詰められて、くたくたになったところを捕まって殺される。そんな人生嫌だ。
「政府のやつらに一矢報いてやる、って言わなかった?」
 アイザワが言った。
「君が倒れる前にそう言ったのを聞いたから助けたんだ」
 香奈は見下ろしてくるアイザワと見つめあいながら、その言葉の意味を考えた。香奈は確かに、”花井”にやられる前にそう思った。政府のやつらに一矢報いてやる。みんなの仇を討ってやる。──そんな風に思った。まさか、あの時、自分は朦朧とした頭で口に出して言っていたのだろうか。
「必ず成功させるよ。それに海外──米帝まで行けば政府の手は届かない。そうだ、中村さんの御両親にはもう連絡がいっているから、安心して。君が生きていること、これからも生きていられることは理解してもらえたから。ただ、一緒に連れていくことは出来なかったけど……」
 そこまで聞いて、香奈は大きく首を振った。両親と会えなくなるのは辛い。しかし、自分の行き先を知っているのならば心配は少しだけなくなる。二人が政府の役人と喧嘩して先に逝ってしまうということもなくなるだろうし、いつか会いに来てくれるかもしれない。
「一生会えなくなるわけじゃない。この国が良くなったら戻ってこよう。今は逃げるしかないけど、この国を変えるきっかけを作るためにも外に出るんだ」
 ようやく香奈は頷き、アイザワは香奈の腕を軽く叩いた。
 
 遠く見える条ノ島大橋の上を大型のジープが走っていくのが見えた。
「あれは?」
「多分、梨沙ちゃんが乗ってる。それと、護衛の兵士たち。教官と残りのやつはもうじきあの船で次の会場に向かう予定になってる」
 アイザワが指差した船を見つめながら、香奈は黙って聞いていた。
 梨沙がどうやって優勝したのかということも気になったが、今はそれよりも別の事が重要だった。
 あの教官たちは次の会場へ行く。あいつらはそうやって、これからものうのうと生きていくのだ。
「仲間の人はいつ迎えに?」
「それはコレで連絡をとってからだな」
 アイザワは濡れたビニール袋を取り出し、香奈の前にかざした。袋の中に携帯電話が見えた。
「……あたしには、この国を出る前にしなくちゃいけないことがある」
 無謀なことだとは分かっている。しかし、黙ってこのまま見過ごすわけにはいかない。香奈はウージーをしっかり握りしめた。
「それは分かってるつもりだよ」
 意外なアイザワの言葉に、香奈は顔を上げた。
「俺もあの人にはお礼を言わなきゃならない。途中まで、あれに──」
 船を指差した。
「あの船に乗せてもらうつもりだよ」
 闇の中、再びアイザワが笑ったのが分かった。
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