courage to be

02

 改札口を出ると、梨沙は手にしていた携帯電話の画面に視線を落とした。
 平日昼間だというのに新宿は人出が多い。流されないように端の方へ寄り、地図を確認した。新宿には何回か買い物に来たことがあったが、東口周辺のこと以外はあまりよく分からない。
 
 地図のことを考えるといてもたってもいられなくなって、あれからすぐに家を飛び出してしまった(見張られている可能性も考えて、家の裏口から外へ出た)。電車を乗り継いで横浜駅まで出て、そこから新宿までやってきた。
 格好はなるべく優勝した時とはかけ離れたイメージのものにした。服装は地味なTシャツとジーンズ。髪を一つに括り、キャップをかぶった。幸い外はまだ雨が降っていたので、傘で顔を隠すこともできた。
 
 改札前の大きな階段を降りながら、ふと、梨沙は左側の建物についているテレビスクリーンに目を奪われた。いつもは最新映画の予告や音楽のプロモーションビデオが映っているそこに、テレビでよく見るアナウンサーが映っている。”臨時ニュース”という文字が大きく点滅していた。
 画面がぱっと変わり、雨の中、ジープに乗せられている少女の映像が映し出された。乾いた血で茶色くなった制服を着た、青白い顔の梨沙。
 慌てて周りを見渡すが、梨沙に気付いている者はいないようだった。傘で顔を隠し、足早に階段を降りようとした。その時──。

『──行方不明になっていた哨戒船が相模湾沖で発見されました』

 階段の途中だったが足を止め、再びスクリーンを見上げた。
 ……行方不明。船。
 確か、教官の渡辺ヨネたちは次のプログラム会場に向かうために船で移動したはずだった。行方不明になった哨戒船というのは、その船のことだろうか。

『この船には、先月末に行われた東京都のプログラムの実施担当渡辺ヨネ教諭と専守防衛軍の兵士三名が乗っていましたが、今朝全員が船内で遺体で発見されたことから──』

 証明写真のようなヨネと他兵士たちの写真が並んだ。

『そして今日未明、プログラム会場となった神奈川県の条ノ島での検証が終わり、新たに兵士一名の遺体を発見、さらに、二名の生徒が行方不明となっている事が分かりました』

 今度こそ梨沙は傘を持ち上げ、乗り出すようにして画面を凝視していた。
 見覚えのある顔が画面に並んでいる。

『行方不明になっているのは東京都大東亜女学園三年生の中村香奈さんと、特別参加者の花井崇さんの二人です』

「すげーな」
「どうなってんの、これ?」
 すぐ近くから声が聞こえた。梨沙より数段上の場所から、カップルがスクリーンを指差していた。
 ……どういうこと。
 既に画面から香奈たちの顔は消えていたが、もう目に焼き付いてしまっている。
 奇妙な震えが全身に起こり、梨沙はその場で拳を握りしめた。
 ……やっぱり、何かある。この地図の場所には、もしかしたら……。
 梨沙は足早に階段を降り、指定された場所に向かって走り出していた。
 
 駅から離れて十分ばかり歩いたところに指定されたビルがあった。何の変哲もない、金融業の看板が掛かっている。本当に、ここで合っているのだろうか。
 人通りが少ないのはありがたいけれど、あまり治安の良さそうな場所ではない。時折派手な恰好をした外国人や、労働者風の男が通りの向こうに歩いていくのが見えた。
 メールには階数と部屋の番号が書かれている。まさか、怪しい店ではないだろう。相澤祐也が指定しているからには、何か彼に関係している場所であるはずだ。
 薄暗く狭い階段を上っていき、目的の部屋を見つけた。気持ちを奮い立たせてノックをすると、中から人の良さそうな男の返事がした。
「何かご用ですか?」
 こんなに普通に応対されると思っていなかったので、梨沙は少しもじもじして言い淀んだ。
「あの、相澤さんに教えてもらって……」
「花嶋梨沙さん?」
 名前を呼ばれて梨沙は顔を上げた。初めて男の顔をしっかり見た。優しそうなイメージとは反対に、表情が強張っている。
「そうです」
「さあ、早く入って」
 梨沙を部屋の中に引き入れると、男は急いで鍵を閉めた。その素早い動作に少し不安が生まれたけれど、梨沙は男に連れられるまま奥に進んでいった。
「ちょっと座っていてくれるかな」
 テーブルと椅子が部屋の中央に置かれていた。一見、普通のアパートの部屋と何ら変わりない。梨沙は言われた通りにその椅子の一つに腰掛けた。男はその様子を見届けると、隣の部屋に入っていった。奥の部屋から、女性の声が聞こえた。ここには先ほどの男性以外にも住んでいる人がいるらしい。女性の声を聞いて、梨沙は少し安堵した。
「あなたが、花嶋梨沙ちゃん?」
 三十代くらいの女性が奥から現れて、梨沙に微笑みかけた。綺麗な女性だった。
「まさかこんなに早く来てくれるとは思わなかった。今、話せるわよ。こっちにいらっしゃい」
 言われるままに奥の部屋に足を運んだ。薄暗い部屋の中、大型の機械──例えて言うなら、あの、放送室にあるような形の機械が部屋の半分を占領していた。
 ぼんやり部屋を見回していた梨沙に、先ほどの男性が受話器を渡した。見れば機械の真ん中に電話器が取り付けられている。奇妙なつくりだった。
 男性が耳に当てるようにジェスチャーをして寄越した。梨沙は恐る恐る受話器を耳に当て、わけもわからないまま「もしもし?」と呟いた。

『もしもし、梨沙ちゃん?』

 受話器の中からだけでなく、部屋中に男の声が響き渡った。梨沙はその声をよく知っている。しかし、突然の事で声が出ない。つい、目の前にいる男性に助けを乞うように目を向けてしまった。男性が優しく微笑み、頷く。
「相澤さん……」
『大丈夫? 怪我してない?』
 死人から電話越しに心配されるなんて、すごい経験だ。いや──死人と話などできるものか。梨沙の頭の中、花井を撃った時のことや新宿駅で見たニュースのことなどがごちゃまぜに思い出されていた。
「どうして……あの時、あたし……」
『うん、あの時死んだよ。花井崇はね』
 意味が分からなくなり、梨沙は言葉を飲んだ。受話器の向こう、祐也が続ける。
『乱暴に扱ったりしてすまなかった。でも正体をばらすわけにはいかなかったんだ。あの担当教官は知ってたみたいだけど、何かの拍子に他の場所に情報が洩れることもあるからね。でもその結果──梨沙ちゃんが望んだ人を助けられなかった』
 分からないなりに理解した。相澤祐也はどうにか生きている。そして、彼女も生きているはずだ。
「仕方なかったんです──分かりますから──相澤さんは無事だし、香奈ちゃんもいるんですよね? 生きてるんですよね?」
『うん生きてる。かわろうか? あ……だめだな、さっき外に出ていったばっかりだ』
 ”生きてる”。その温かい響きが梨沙の胸を熱くした。
「いいですよ。香奈ちゃんが無事なら。後で伝えてもらえたら」
『伝えるよ』
「あの、それで、どうして二人は……どうやって助かったんですか?」
『どこから話したらいいのか……』
 祐也の声が困惑している。これだけのことを成し遂げたのだから、膨大な仕掛けがあるに違いない。
『まず、三十日の昼頃、西村みずきさんを見つけた。説得しようとしたところにもう一人の特別参加者にやられた。その時、気づいたんだ。背中を撃たれたはずの西村さんの服に血がついてないことに。一旦逃げた後戻って確認したら、西村さんは防弾チョッキを着ていた。それをもらったおかげで、撃たれても命を取り留めることができた』
 祐也がみずきを助けようとしてくれたということを知り、再び胸が熱くなる。そして、みずきのことは残念だったけれど、防弾チョッキを手に入れたおかげで祐也は梨沙の銃弾に倒れることはなかった。恐ろしいまでの偶然に感謝しなければならない。
「でも、あの後プールに飛び込んで上がってこなかったですよね?」
『それについては計算してた。あのプールの中には太いパイプがあって、そこから隣の部屋の試験用のプールに続いているんだ。普段は閉じているんだけど、梨沙ちゃんを別の部屋に拘束している時に開いて繋げておいた。……それで、俺が所属している組織から受け取った首輪の機能を停止させる──小さなスタンガンみたいなものかな。それで電気を送ることによって首輪の機能を停止させ、本部に死亡のサインを送ることができるんだけど、それを使ってからプールに飛び込んだ。俺は靴と学ランの上だけ脱いでパイプを抜けた。首輪もプールの中だ。それで、花井崇はプールで死んだことになる。中村さんの時もそれで殺したと見せ掛けたんだ』
「すごい……全部、最初から計画されてたんですね」
 思い返してみると、香奈を殺した(と見せ掛けた)のも、最後のプールも、衛星に写らないようにという配慮からくるのもだとわかった。
『でも計算が狂った。出発地点で梨沙ちゃんを逃がしてしまったからね。梨沙ちゃんを人質にとる方法で他の生徒を集めて脱出させようかと思ったんだけど、まさか最後の最後に漁夫の利を狙った奴がいたとは……』
 梨沙は大きく首を振った。明菜たちを助けられなかったことは悔やまれるが──。
 一度失いかけた大切な人が今、自分と会話している。生きている。
「相澤さん、生きてるんですね?」
『……生きてるよ。信じられない?』
 祐也がふっと笑い声を洩らした。温かい声だった。なぜこんなばかな質問をしたのか、梨沙自身にも分からない。
 祐也が無事だとはっきり理解した途端、脚が震えて受話器を持ったまましゃがみ込んでしまった。側にいた男性が慌てて梨沙の肩を支えてくれた。
「相澤さん、もう、あまり危ないことは、しないで。あたしやお姉ちゃんのこと考えてくれるのは嬉しいけど、相澤さんがもし──」
 声が震えた。
「もし、死んじゃったりしたら、絶対嫌だから……悲しいから。お姉ちゃんが最期まで好きだった人が幸せになるのが、一番の供養だと思うから、相澤さんも、幸せになって。自分のこと、もっと考えて。これからは自分のために生きて」
 受話器の向こうで祐也が大きく息を吐いた。
『ありがとう。心配は掛けたくないけど、俺は自分のしたいことをしてるよ。お姉さんが死んだことに対する責任感とかじゃなく……うまくいえないな。だけど、俺はプログラムで生き残って目が覚めたんだ。この国じゃ、俺の家族も、友達も、誰も幸せになんかなれない。俺がこの国を動かすなんて到底無理な話だけど、変えて行くきっかけは作れると思う。そのために戦いたいと思っただけなんだ』
 梨沙は何度も頷き、祐也の言葉に相槌を打った。
 つい数時間前までの悲しみが消え、身体の中に喜びが満ちあふれてくる。
「相澤さん、あたしもそっちに連れてってくれるんですよね?」
 聞いた。途端、テンポよく返事をくれていた祐也が黙った。梨沙を見守っていた男女が、神妙な面持ちで顔を見合わせた。
『……だめだ』
 祐也の低い声が部屋に届いた。予想しなかった言葉に、梨沙は受話器を握りしめていた。
「どうして……時間がかかるっていうなら待ちます」
『君にはこれ以上、こちらに関わってほしくない』
「そんな、あたし……」
『そこにいる人たちのところにも、もう来たらだめだ』
 重い口調で続けた。
『意地悪で言ってるんじゃない。こちらにこれ以上関わることは危険なんだ』
「わかってます、だからあたし……」
『わかってない』
 ぴしゃりと、祐也が厳しく言い放った。今までとは正反対の言葉に梨沙は狼狽し、口を噤んでいた。
『俺が君を助けたのは、こちら側に引き込むためじゃないんだ。ただ助けるだけなら、あの時、中村さんと一緒に脱出させてた。敢えて君を優勝させようとしたのには、ちゃんと理由がある』
「何ですか?」
 消え入りそうな声で尋ねた。
 どんな理由であろうと今は納得など出来ない。思ったけれど、口をついて出ていた。
『君にこの国で、普通に生活してほしかった。花嶋が──お姉さんが経験するはずだった楽しいことや辛いこと、日常のささいな幸せを、彼女の分も味わってほしい』
「あたしはそんな幸せよりも、相澤さんと一緒に行きたい」
 相澤さんがいない、たった一人ぼっちの世界に楽しいことなどあるものか。
 梨沙はだだをこねる子供のように首を振り、嗚咽を漏らしていった。沈黙から、祐也も困り果てているのだろうということが分かる。自分の幼い態度を恥ずかしく思うと同時に、これで祐也が考えを変えてくれるのではないかという計算が梨沙の心の中にちらついていた。
『俺一人の判断で君を優勝させようとしたことは、謝る。だけど、君の御両親はどう思う? 一人は死亡、もう一人は行方不明なんてことになったら。俺の勝手なエゴだと思うけれど、君まで連れて行くことはできなかった』
 はっとした。すっかり忘れていた、両親のこと。
『わかってほしい。君のためにと言うのは、きっと俺の責任逃れかもしれないけれど』
 相澤さんは、自分を犠牲にして国の外に出た。相澤さんも、香奈ちゃんも、もしかしたらもう家族の人とは会えないかもしれない。──あたしだけわがままを通すことは、できない。
『さっき、俺に幸せになってって、言ったね?』
 梨沙の泣き声がおさまるのを待って、祐也が言った。
『梨沙ちゃんが幸せになるのが、俺にとっての幸せだよ』
 ふいに姉の笑顔が浮かんだ。相澤祐也が見せてくれた、姉の最後の笑顔の写真。
 気がついた。あの状況でどうして姉が笑えたのか。それから、姉の一番の望みも。自分と姉の中身が一瞬だぶったような、不思議な感覚だった。
「あた……あたしは……」
 興奮したせいで声が掠れてしまった。一度咳払いをして、続ける。
「相澤さんが生きていてくれたら……」
 祐也は黙って聞いている。
「それで、いつか会ってくれるって約束して下さい。そしたら、きっと、あたしは、幸せに……」
 あたしはこの人に生きていてほしいんだ。幸せでいてほしいんだ。
 お姉ちゃんの望みとあたしの望みは、きっと同じだ。
『わかった。約束するよ』
 しっかりと受話器を握りしめ、祐也の言葉を受け止めた。
『じゃあ、梨沙ちゃん、元気で』
「はい、相澤さんも……香奈ちゃんも」
『ありがとう』
 電話が終わった。
 祐也たちと会えなくなった悲しさと、それでも彼らが元気で生きていてくれた喜びが混ざって、梨沙の涙腺を刺激した。不思議な達成感の中、梨沙は溢れてくる涙を拭った。女性が差し出してくれたティッシュを受け取り、目元を押さえる。
 
「ありがとうございました」
 梨沙は部屋にいた男女に頭を下げ、玄関で靴を履いた。
「ごめんなさいね」
 女性が言った。何について言っているのかは分からなかったが、何となく彼女の言葉の意味が分かるような気がして、梨沙は軽くおじぎをした。
「あと二三日もしないうちに俺たちは場所を移ろうと思ってるから、ここにはもう来ないようにね」
 申し訳なさそうな表情の二人と向かい合ったまま梨沙は頷いた。
「祐也君の協力者はね、俺の母親なんだ」
 唐突に男性が言った。
「俺の両親と弟が二人に付いていってるから、二人は安全だよ。だから安心して。俺たち夫婦は大東亜に残って、これからも君たちみたいなプログラムの被害者を支援していく。君のことも影ながら見守っていくからね」
 梨沙は頷いて、また溢れそうになる涙を拭った。
「必ず会えるから。俺たちも、祐也君や俺の家族とまた会えるって信じてるから」
 男性の分厚い大きな手が梨沙の頭を撫でた。
「あなたが元気で幸せでいれば、必ず戻ってきてくれるから」
 続けて女性が言って、梨沙にキャップを返してくれた。
「ありがとうございます」
 二人に見送られながら、梨沙は部屋を出た。
 狭い階段を下っていき、道路に出た。傘を差そうとしたが、雨はいつの間にか上がっている。
 見上げた空は曇っていたが、その灰色の曇り空の中に小さな虹が見えた。
 無意識に深呼吸をして、梨沙はキャップを脱いだ。
 ……あたしはあの人に生かされたんだ。
 そう思うだけで、身体がずしりと重たく感じられた。祐也が身を投げ出してまで救ってくれた命が、今ここにある。
 ……元気で幸せでいれば、きっと会える。
 プログラムに巻き込まれてから今に至るまでで、心の中では目まぐるしい変化が起こった。絶望と希望がせめぎ合い、ついには死を望んだこともあった。それでも今、梨沙の心には再び生に対する実感がよみがえってきている。生きていたい、生きていようという気持ちが大きく膨らんで全身を満たしていく。
 相澤祐也は梨沙を必ず助けると約束してくれた。そしてその約束の通り、彼は梨沙を死のプログラムから救い出してくれた。その彼の言葉を疑う気持ちは、今や微塵もない。
 
 ──生きていてほしい。幸せになってほしい。
 
 祐也の言葉を胸の中で反芻させながら、梨沙は空を仰いだ。
 どこかで同じ空を眺めているであろう祐也の顔を思い浮かべ、一度、しっかりと頷いた。
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